16-2.

「ジャネット! ジョンを――早くッ!」

 ハリーだった。彼は手に握る刃物を交差させ、上段から振り落とされたムサシの刀を受け止めていた。

「――――ッ!」

 ムサシの攻撃を受け止め、思わず膝を折りそうになりながらも、ハリーはなんとか耐える。なんという重圧か。ハリーは歯を食い縛り、渾身の力を込めて刀を弾き返すと、急いで後ろに下がった。


 その最中、ジャネットがジョンの襟を後ろから掴んでその場から遠ざけた。彼女がジョンに返事を求めるも、虚ろな声しか返って来ない。

 ジャネットがどうすればいいのかと戸惑っている中、それでも敵が止まる訳がない。むしろ大いなる隙、好機と捉え、ムサシは彼女に向けて突き進んで来る。


 それを阻む為、ムサシの前にハリーが立ちはだかる。彼が構える剣はククリ、若しくはグルカとも呼ばれる「く」の字に折れた刀身を持つ、鉈状の刃物。数ある中で自らの体質を考慮して選び取った得物だった。更に彼は片手に一つずつそれを携える、二刀を操る剣士だった。


「奇妙な剣だ、面白い」

 目を見開き、敵の一挙一動を見逃すまいとするハリーに対し、ムサシは刀を肩に置き、ジョンの時と同様、いっそ楽しむような物言いだった。

「今日は人斬り冥利に尽きるな」

「……随分と余裕そうですね。貴方は確か、皇国の祓魔師ではなかったでしょうか」

「そうさな」

 ハリーの問いに平然とそう答えるムサシ。ジャネットもその答えに目を丸くした。

 何故、祓魔師とジョンは戦っていたのか。いや、それは勿論彼が敵であるからに間違いないのだが、どうして敵対に至ったのかが不明だ。それでもムサシが刀を振るい、ジョンの体を斬り刻む様をまざまざと見せ付けられたのは事実。このまま野放しには出来ない。


「さて――、行くぞ」

 言って、ムサシが前に出た。構えるハリーは引かず、迎え撃つ。彼の後ろにはジャネットとジョンがいる。彼に引く事などあり得なかった。

 ムサシの振り下ろしに合わせ、ハリーは冷静に体を横に回して避けると同時に右腕を振り下ろした。ムサシはその一刀を、背を反らしてやり過ごすと、更に前に出ようと体を傾けた――直後、バッと後方へ跳んだ。

 ハリーは軽く舌打ちし、腕をブンブンと振って力を抜く。


「…………」

 ムサシは後ろに跳んだ自分を「どうしてだろうか」とかえりみる。

 視界の外――下方から危険な気配を感じ、思わず後ろへ下がったが、その正体は分からない。自分は一体、何を感じ取ったのか……。しかし、それが判明するより前に、今度はハリーが前に出て来た。

 オーソドックスではなく、何かが変則的。ムサシは迫り来るハリーを前にしながら、彼の剣を分析しようと試みる。一挙手一投足を見逃すまいとする彼の目は、至極楽しそうだった。


 そんな敵の目を受けながら、それでも自分の技を信じるだけだ。決意と共に、ハリーは右腕を振り下ろす。

 退屈な一刀、なんの意図も策も感じない真っ直ぐな剣だった。ムサシが溜め息交じりに体を左に回してそれを躱した――その時だった。躱した筈の剣が踵を返し、自分の胸に向かって迫りつつあった。

「――――」

 縦から横への切り替え、方向転換。そのタイミングの絶妙さ。攻撃が終わり、こちらの出番だと意識を変えた瞬間を追い掛けて来る「後」の剣。

 ムサシは刀を振り、前に出つつあった体を無理矢理制し、なんとか後ろへ下がった。しかし、敵の切っ先は彼の体を捉えた。それでも皮一枚で防げたのは、彼が長年戦場で培った勘の良さだろう。

 ハリーはしかし下がらず、更に前に出る。敵はまだ自分の剣に対して対応し切れていない、攻めるなら今だ。腕を顔の前で交差させ、体を前傾させた低い姿勢でハリーはムサシを追う。


 敵の剣は未知、しかし間合いはこちらの方が確実に長い。ムサシの刀とハリーの剣が持つリーチは明らかに違う。敵が攻撃を当てようとするなら、向こうから近付いて来なければならない。こちらは敵の剣を見極めるまで自分の間合いを保てば良い。

 ムサシの判断は確かに賢明だった。しかし彼の思考を上回るような身体能力を、ハリーは有していた。


 ムサシが繰り出した牽制の横振り。それを――ハリーは前後に脚を開き、地面に沈み込むようにして掻い潜った。自分の腕と刀で隠れ、ムサシはハリーの姿を一瞬だけではあったが、完全に見失った。

 立ち上がりの勢いを乗せて斬り上げる。ハリーの剣がムサシを捉え、胸を通り肩から抜けた。しかしそれは命まで捉えるには至らず、肉の浅い部分を切り裂いたに過ぎなかった。


 反応が早過ぎる、ぼくを見失ってすぐに後ろに飛び退いた――ッ! ハリーは目の前に立つ敵のレヴェルに驚嘆する。

 場数の違いが魅せる、自身に迫る危機をいち早く感じ取る生き汚さ。敵が戦場に立ち続けて来られた真の強さを見せ付けられていた。

 それでもハリーは怖気付く事なく、前に出る。敵の回避はまだギリギリだ。あと一歩を詰められれば、確実に自分の剣は敵を捉えられる……!

 右の振り下ろし――からの左の払い、左右の剣を上下左右で斬り分ける。ハリーの蛇のような軌跡を描く攻撃に、しかしムサシは落ち着いていた。回避――、叶わぬなら刀の峰で弾き、軌道を逸らす。

 猛攻も長くは続かない。殆ど無呼吸だったハリーは自身の速度が疲労で下がらぬ内に、息継ぎの為に後ろへ下がる。――それをほぼ同時に追い掛けるムサシの判断の切り替えに、ハリーは思わず目を見張った。


 ムサシが放つ袈裟斬りをハリーは剣で弾く。続く横振りを――、ハリーは再び前後の開脚で体を下げて躱す。先と同じ回避を、しかし二度目は見極められた。即座に自分を追い掛けて来た刀を、開脚したまま後頭部が後ろ脚の踵に付く程まで背を反らして回避する。敵の刀が地面に激突するや否や、前にある右足を軸にするようにして左へ振りながら体を起こした。

 ムサシの瞳が自分のすぐ右、真横を取ったハリーの姿を捉える。これが人間の動きなのかと、ムサシはただただ驚愕した。そんな彼の心中など考える余地のないハリーは円運動を活かしたまま、両腕の剣を渾身の思いで振り払った。

 ハリーの剣がムサシの脇腹を捉える――筈だった。ムサシの最後に放った振り落としは、右から左へと落ちるもの。それに繋がるムサシの体は、奇しくもハリーの横振りから逃げるような軌道だった。剣の切っ先は確かにムサシの体を刺したものの、即座に逃げられてしまった。


 ムサシは勢い任せに体を転がしてハリーから距離を取ると、強く息を吐いて脇腹の傷に手を当てる。傷は深くない、この程度なら動くに支障はないだろう。そんな事を考えながら、彼はやはり笑みを浮かべていた。

 生きるも死ぬも日常の中。「強さ」のみを追い求める人生を生き抜く彼にとっての価値観はそれこそ「生きるか死ぬか」の二択。生きれば勝ち、死ねば負け。それ以外の一切を排除する事で、彼は死線の上を渡り歩く生を悦びとした。

「その柔軟性、生来のものか。生まれ持った稀有な才能を剣の道に活かすとは、考えたものだ」

 そう言いながら、ムサシは刀を一度振るって見せた。上からの振り下ろし――の最中、手首を返して下から振り上げに転じる。ハリーがムサシに向けて放った一撃目と同じだ。


 ムサシの英語は拙いものであったが、ハリーは自分の動きを真似され、敵に自分の技が看破されたのだと思い知った。

 そう、ハリーは自身の柔軟性を存分に活かした技を確立した剣士だった。相手の予想のつかない動きで翻弄させ、上下前後の死角から、関節をしならせて腕全体を鞭のように振るう事で重い一撃を作り出す。特に手首のスナップを利かせた鋭い振りを得手としていた。それをより活かす為に、先端に重心の寄った鉈状の武器を選び取った。

 しかし奇妙、奇天烈を狙った攻撃が最も通るのは、多くの場合、初見の相手だ。


 ……それがどうした。ハリーはフッと小さく笑みを浮かべる。相手が自分の動きを見極めたと思い込んだ時が、絶好のチャンスだ。相手の思考を上回るものを見せてやる。

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