15-1.
「出血は収まったけれど、安静にしていた方がいい」
ヴィクターの言葉を受け、包帯を頭に巻かれたジャネットが胡乱なままに頷いた。
二階にあるレストランに前夜祭出席者一同は集合していた。上階にいたカラスの侵入を防ぐ為に扉を硬く閉め、ホテルスタッフが警戒に当たっていた。
「ジョンは……?」
「分からない、ここにはいないよ」
ジャネットの問いに、首を振るヴィクター。隣に座るジュネが彼女の肩を、メアリーが手を握った。
「貴女はヴィクターの言う通り、大人しくしてなさいよ。医者の言葉は聞きなさい」
「お姉ちゃん……」
心配そうにジャネットの顔を覗き込むメアリーは、今にも泣きそうだ。なんでアンタが泣きそうになってんのよと、ジャネットは力なく笑った。
「静かになりましたね……」
ドアの付近で耳を澄ませていたオリバーがひっそりと呟いた。カラスの羽音や鳴き声がピタリと止んだのだ。むしろどこかへと飛んでいくような気配を感じた。
「確認します」
オリバーの隣にいたスタッフが扉を少し開け、外を確認する。
「何もいません……」
その声に合わせ、オリバーが扉を全開する。そこには大量の羽根が落下しているだけだった。思わずホッと息を付くも、どうしてカラス達が消えたのかを思案した。
「まさか、ホームズ様の下に――」
「そうだろうな」
オリバーの零した言葉にそう答えたのは、椅子に座ってワインを口にするリチャードだった。
「なら、彼の助けに向かわなければ」
「好きにすればいい。だが祓魔師と探偵はここに残す」
それはつまり助けを出さないという意味ではないのか。オリバーはそう問いたくなるのを堪えたが、我慢出来なかった者がいた。
「ここで出し惜しみするのにどういった意味があるんですか?」
ジャネットだった。まだ痛むのか、頭を手で押さえつつ詰問するような口調でリチャードに詰め寄る。背後には尚も心配そうな面持ちのメアリーとジュネ、そして仕方なさそうに肩を竦めるヴィクターがいた。
「敵はどうせここに来る。なら、このまま守りを固めていればいい」
それはそうだ、確かに理解出来る。――それでも納得は出来ない。ジャネットにとってはそれが何より重要だった。
「ジョンがもし襲われていたとしても――ですか?」
リチャードはようやくジャネットに振り返る。彼女の震える拳を見、それでも姿勢を崩さぬまま、いっそ優雅に頷いた。
「そうだ。あいつはそもそも『会議』にはなんの関係もない、素性の知れない人間だ」
「それは……そうですが、でもジョンはアタシ達を助けて――」
「そう、そこなんだよなァ」リチャードはグラスの中のワインを飲み干し、ジャネットの声を遮る。「あいつはどうしてか敵の攻撃を感知出来た。それは敵と連絡し合っているからじゃないか? あいつが実は内通者で、わざと『会議』を襲わせ、自分の手柄にして評価を上げようとしていたりしてなァ」
「そんな訳が――ッ!」
思わず声を上げるジャネットに対し、リチャードは愉快そうに、
「目立つ為にならなんだってするんじゃないか? 何せあのガキは、あのシャーロック・ホームズの息子なんだからなァ」
――そんな訳がねえだろうが……ッ! 今度は声に出さなかった。けれどジャネットは床を強く蹴って前に出、リチャードに向かって硬く握った拳を――、
「――ジャネット!」
怒りに我を忘れ、リチャードに飛び掛かったジャネットの前に出たのはハリーだった。正面から彼女の両肩を掴むと、力尽くで押さえ込んだ。
「何を考えている、彼は『聖人』だぞ。手を出していいような相手ではない!」
「うるせえ、知るかッ! ジョンだけじゃ飽き足らず、シャーロックまで侮辱されて黙っていられる訳ねえだろうが!」
「はッ。オマケだった親父とは違って、娘の方は威勢がいいな」
何故、火に油を注ぐのか……ッ。ハリーはジャネットの怒りの形相を目の前にしながらそう言いたくなったが、更に圧力を増した彼女を押さえ込むので精一杯だった。
「ジャネット、落ち着いて下さい」
見るに見かねたジャンヌが声を掛ける。ジャネットは彼女に振り返り、睨み付けた。
「落ち着ける訳ねえだろ、ナメてんのか」
ジャネットの物言いに、「血が頭に昇っていますね……」とジャンヌは大きく溜め息を付いた。慣れたものなのか、そこに物怖じした様子はなかった。
「もういいわ、アタシ一人で行く……!」
ジャネットはハリーを振り切り、扉の方へと向かった。それを阻んだのはリチャードだった。
「聞こえなかったのか、祓魔師はここに残れと言っただろう」
まるで拒否される事を考えていないような淡々とした口調に、更に苛立ちを覚えたジャネットは力任せに扉を蹴り開けた。
枠から弾け飛んだ扉が音を立てて倒れる姿に驚いた様子もなく、リチャードはフィリップにワインを注がせた。
ジャネットは悠長な態度を続けるリチャードに向けて大きく舌打ちし、彼の言葉を無視してレストランを飛び出して行った。
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