13-4.

「ふむ」

 ムサシはジョンとの間に十分な間合いを取ると、刀を腰に仕舞う。そして地面に伸びていたシムナの肩を掴むと、乱暴に揺さぶった。

「ヘイヘ殿、起きろ」

「う……」

 低い呻き声の後、シムナが頭を押さえながら顔を上げた。そして目の前にいるムサシを見、少し驚いたように、


「ムサシ殿……。なるほど、そうか。私はまた足を引っ張ってしまったようだ……」

「呵々ッ」申し訳なさそうなシムナに対し、ムサシは快活に笑った。「気にするな。俺達の方がよっぽど貴公に助けられている」

「……そうだろうか」

「相変わらず貴公は自分に自信がない。貴公の狙撃の腕前に勝てる者が果たしてどれだけいるか」


 シムナは苦笑いを浮かべつつ、ムサシの手を借りて立ち上がる。が、脚に力が入らず思わず倒れそうになった。腕で彼を受け止めたムサシは、

「……『眼』を使い過ぎたな。少し休むがいい」

「……いや、限界か。もう、あまり目が見えない」

「…………」

 ムサシは何かを堪えるようにしばらく目を閉じた。


 ――『魔眼』はヒトの範疇から外れたチカラ。例え持ち主であっても使用すれば、特に脳へ大きな負担を掛ける。

 シムナは今日、殆どの時間を『眼』に費やして来た。脳への負担は危険なレヴェルにまで迫っていた。


「……これ以上、迷惑は掛けられない」

 シムナがフラフラと覚束ない足取りで橋の欄干に近づいていく。ムサシはそれを止めない。背を向け、ただ真っ直ぐに前を向いていた。

「私は部隊の中でも足を引っ張ってばかりだった。役立たずの私を、仲間と言ってくれた貴方達には本当に感謝している」

「そんな事はない。俺達の中で誰か一人でも欠けていたら、今ここに立ってはいなかった」

「……それならそれで、アレを見る羽目にならなかったかもな」

「呵々ッ。そうかも知れんなあ!」

 豪快に口を開けて笑うムサシ。欄干を背にし、小さな微笑みを浮かべるシムナ。


 どこか相反するような二人の様子に、ジョンは危機感を抱いた。何かがおかしい。

ジョンはふくらはぎに突き刺さっていた十字型の刃物を引き抜く。後で知ったが、手裏剣と呼ばれる暗器の一種らしい。


「……最初から無謀なのは分かっていた。けれど、それでも一矢報いたかった……」

「貴公の言いたい事は分かる、その気持ちも分かる。だから俺は貴公の話に乗ったのだ」

「それには本当に感謝している。貴方が来てくれた事がどれだけ励みになったか……」

「感謝など要らん。俺と貴公の間にそんなモノは必要ない。俺は当然の事を当然のままにしただけだ。それはこれからも今までも変わらん」

「……ああ、貴方のそういう清々しさは心地よい」

「だが、少しだけ違和感がある。どうも上手く行き過ぎた気がする」

「……そう、だろうか? あの少年に阻止されてしまったが……」

「いや、それよりも前。皇国を出、ここに至るまでの話だ。付け焼刃の作戦にしては、やけに功を奏した。運が良かったのやも知れぬが、どこか臭い」


 シムナはムサシの言葉に口を閉じた。そうかも知れないと思える節があったからだ。タワー・ブリッジの橋桁を上げ、ホテルへの交通を制限されていたが、肝心の橋に侵入するのは容易だった。やろうと思えば操作室に入り、橋桁を下げる事も出来たが、そのままにしておいた方が自分にとっても有利だからしなかっただけだ。……それを見、違和感を抱いたのは確かだが、深く思考しなかった。そもそも警察が来るまでやけに時間が掛かった。

「……匂いはする、だが――」

 言った後、シムナが咳き込み始め、震える手で口元を押さえる。そして、その手が血に染まった様を見、重たい息を吐いた。


「……遺体はどうする、拾った方が良いか?」

 ムサシは尚も前を向いたまま、問い掛ける。シムナは緩く首を振った。

「いや、そのまま、自然のままに」

 一体なんの話をしているのか。ジョンは不穏な会話に慌てて立ち上がる。それを見たムサシが牽制するように刀を抜いた。

「貴公の想い、俺が受け取った。後は貴公の好きにするがいい」

「ありがとう……」


 そしてシムナの浮かべた笑顔を――、どう言えばいいのか、ジョンには分からなかった。笑顔自体は柔らかなものなのに、その裏にある壮絶さは覚悟の重さ。震える灯が掻き消える一瞬前、その最後の揺らめき。


 故郷の森を出、その果てにあった戦場。

 飛び荒む砂の土地、出会えた掛け替えのない友。

 傷付き、傷付け、奪い、奪われ、血と汗を流して。

 私に戦う理由などなかった。私の生はあの森の中で終わる筈だった。

 関わりのない土地、関わりのない人々。

 そんなものの為に引く引鉄などないと思っていたのに。

 彼らに出会った、出会ってしまった。

 語り、笑い、励まし、食事を共にし、肩を叩き、互いの命を守り合って前へ進む。

 戦争を終わらせ、彼らを家族の下へ帰らせたい。

 ――それだけが、『聖戦』の中で私が持ち得た理由だった。

 

 ……私はしかしその果てに、掛け替えのないものを奪われた。『聖戦』の終わり、友はバラバラになった。

 知らなくていいものを知った。見てはならないものを見た。私達は、取り返しのつかない真実を見せられた。


 ――『聖戦』に意味はなく、ただ多くの兵と、多くの闇を創った。

 戦場での願いも、最期の願いも叶えられなかった。――だが、死に場所は選べる。


 シムナが欄干に凭れ掛かる。やがてそのまま――、体が欄干に乗り上げる。

 落下する! ジョンは慌ててシムナに向けて駆け出した。しかし、それをムサシが阻んだ。ジョンの前に立ち塞がると、言葉なく刀を振るう。ジョンは咄嗟に足を止めて横に跳んだ。

 そんな中でシムナの姿がスッと消えた。声もなく、躊躇いもなく。まるで煙のように、シムナの姿が橋の上から消え、やがて真下の川水と激突する音が聞こえた。


 仲間だと語ったムサシは、最後まで彼に振り返らなかった。

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