11-4.


「もしもし、どうしたの?」

「今、狙撃犯の目は僕らに向いている。その隙を突いて欲しい」

 ジョンの言葉に、スピーカーから戸惑ったようなジャネットの声が返って来た。

「……どうやって?」

「屋上に銃がある筈だ。それで奴を狙撃し返して欲しい」

「……嘘でしょ、冗談言わないでよ」

 ジョンは顔を上げ、廊下の方を見る。ジャネットはギョッとした顔付きだった。


「学生時代に射撃大会で一位を取っただろ」

「あんなの、本物と比べたらオモチャよ! 比べ物にならないわ!」

 最早悲鳴に近かった。ジョンは溜め息を付き、項垂れるようにして、

「……悪い、無茶な事を言っているのは分かる。でも――、頼む。今はお前しかいないんだ」

「――――」

 ジャネットは、いっそ息を呑む。


 ジョンはどこまで考えてその言葉を口にしたのは分からない。けれど憧れの彼に「頼む」と言われて、こんな状況の中にあっても、浮足立たない心はなかった。

 背を追い続けるだけだった彼から、「背中を任せる」と言われたあの日。それは彼女が待ち望み続けた言葉。彼女が「強くなりたい」と願ったのは、彼の為だ。戦い続ける事を選んだ彼を、傷付いても止まらない事を選んだ彼を護ると誓った幼き日。その誓いは彼女と、そして今はいない彼女の魂に。


 刻まれた想いに準じて、彼女は無線機を握り締める。

「……当たるかどうかは問題じゃない。とにかくアンタ達が動けない状況にあるのを助ければいいのよね?」

 ジョンは顔を上げ、イヤフォンに指を当てる。

「ああ、それで十分だ」

 頷き、顔を廊下へ向けた。明るいとは言えない顔色をしながら、ジャネットが親指を立てるのが見えた。

「奴は恐らくタワー・ブリッジにいる筈だ。確認してくれ」

 ジョンもまた同じサインを向けると、ジャネットは小さく頷いて走り去った。


「どうなさるおつもりですか」

 ジャネットの後を追うオリバーが、彼女の背中に声を掛ける。

「屋上に行って、狙撃犯をこちらから狙撃します。当たろうが当たらなかろうが、アタシの方に意識が向けば、ジョン達が逃げられるでしょう」


 階段を昇り切った踊り場に扉があった。その先に広がるのがザ・タワー・ホテルの屋上だ。ジャネットは躊躇わずその扉を開いた。

 南側、北側それぞれに狙撃手と観測主は配置されていた。しかし、その四名とも例外なく撃ち殺されていた。恐らくはこの襲撃の最初の被害者になるだろう。彼らが気付くよりも先に、狙撃犯は引き金を引いた。


 タワー・ブリッジは――……。ジャネットは姿勢を低く保ちながら、テムズ川を跨る跳開橋の方を見遣る。床に投げ出された狙撃銃を手に取って構え、スコープを覗く。

「助けます」オリバーも傍に転がる望遠鏡を覗き込んだ。「弾道計算などは出来ませんが、人がいるかいないかくらいなら分かります」

「お願いします」


 二人掛かりでタワー・ブリッジに目を向ける。やがて橋桁の上空、塔と塔を繋ぐ展望通路に伏せる男を見付けた。

 白いダウンコートで全身を包み、バンダナを巻いて顔を半分以上隠す小柄な男。床に寝そべった姿勢で照準を覗き込んでいた。驚くべき事に、彼が握る銃に倍率スコープは乗っていなかった。彼は標準の照準器だけで狙撃を行っていたのだ。


「あいつだ……」

 観測手はどこに? あの位置からどうやって北側の窓から銃弾を撃ち込むのか? スコープもなく、二百メートル以上先の標的をどう捉えるのか? ――ジャネットはスコープ越しに狙撃手を見ながら、様々な疑問が湧いた。


 フゥッと、強く息を吐く。今、そんな事は重要じゃない。ジャネットは姿勢を正し、再びスコープを覗いて引き金に指を掛ける。

「ホームズ様、狙撃手を見付けました。貴方の言った通り、タワー・ブリッジの展望通路にいます」

「銃弾を装填するタイミングを待ってください。敵の銃の装弾数は恐らく五発です」

 オリバーの声に、ジョンが答える。彼は撃ち込まれる弾丸を数えていたのだろう。オリバーは望遠鏡を通して敵を睨み続け、やがて彼が銃弾を装填し始めると、即座に「今ですッ」と叫んだ。


 命中させる必要はない、ただ敵にこちらの存在を意識させられればいい。細かい計算は度外視だ。ジャネットは息を止めると、躊躇う事なく引き金を引いた。

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