11-3.

「さて――」

 これからどうしようかとコゴロウが一息ついた途端、南北の窓ガラスが弾け飛んだ。衝撃で誰もが床に倒れ込み、なんだ――と誰かが声を上げた。しかし、けたたましい羽音と吹き荒ぶ風の音がその声を掻き消した。


 カラスだった。幸福を運ぶ筈の黒い鳥が、不吉を孕んで頭上を飛んで渦を巻く姿に、誰もが息を呑んだ。


「こっちに来いッッッ!」

 その声が辛うじて聞こえたハイドは声のした方へと振り返る。廊下に立つジョンが目の前に広がる状況に驚きながらも、こちらに向かって手を伸ばしていた。

 はためくカーテン、飛び交うカラス。そんな中で目標に向けて狙撃を行うのは難しい筈……。ジョンはそう考え、今なら室内から逃げられると踏んでいた。


 ハイドが傍にいた探偵達を叩き、扉を指差す。ジョンの姿を認め、ハイドが何を言いたいのか察した彼らは強い風の中で立ち上がるも、カラスの爪や嘴に襲われ、思うように動けなかった。

 それでも探偵達は祓魔師達と連携し、彼らが振るう炎や剣、拳によって襲い来るカラスの撃退の手助けを受けながら王族達を守護し、そうしてなんとか室内の人間を廊下へと導いていく。


 ほんの数時間前まで絢爛な装いと食事で飾られた空間だったが、今では襲い掛かるカラスと、それから逃げ惑う人間とが入り乱れる混沌とした大広間に変貌していた。誰もそれに気付かないまま、階下へと急ぐ事しか頭になかった。パニック――その手前、それを少しでも和らげようと探偵と祓魔師が王族達を挟んで移動しようとする。


「待ってくれ」ジョンは最前列にいたハイドの肩を叩いて、耳打ちする。「ロビーは血の海だ。そこに行くのはやめた方がいい」

「なんだって? ならどうす――いや、済まない。それならそれでなんとかする」

 戸惑ったハイドだったが、すぐに気を取り直してジョンの肩を叩き返し、皆を連れて階段を降りて行く。ジョンはそれを見送ると、また大広間前の廊下へ戻る。


 銃弾が飛び込んで来る様子はない。ジョンの推測通り――かと思われたが、最後に残ったリチャードが廊下に向かう時だった。

「――――」

 ジョンは今までに感じた事のない程に重く、暗い敵意――否、「殺意」を浴びる。思わずおぞけ、動けなくなりそうな体に叱咤を掛け、室内へと跳び出した。「ジョンッ!」

 と、叫んだジャネットが彼に向けて手を伸ばすも、既に後の祭りだった。


 最初の銃撃と同じだ。狙撃犯の狙いはリチャード、彼にのみ殺意が向けられている。彼の聖人を殺害する事が目的の襲撃――なのか。


「おい、動くなッ!」

 ジョンの声がとどろく。しかし耳に留めなかったのか、リチャードがソファーの陰から体を乗り出した。途端に爆発し、集束する殺意。迫り来る二つの殺意――銃弾に急かされ、ジョンは強く床を蹴った。飛び込んだジョンは投げ出した脚を銃弾に貫かれながらも、共に倒れ込むようにして、リチャードをソファーの陰に押し戻した。

「てッめえ! 一体なんのつもりだッ!」

「うるせえよ、撃たれてんのが分かんねえのか!」

 頭を打ったリチャードが怒鳴るが、それに負けじとジョンもまた怒鳴り返した。そんな彼らの頭上を銃弾が通り過ぎる。

「敵はあんたが狙いみたいだが、相手に心当たりはあるのか?」

「知らねえよ、悪魔の糞共だろ」

 それはそうだ、それはそうだろう。ジョンはチッと舌打ちをし、脚が回復したかを確認する。その間にも、絶え間なく銃弾が飛び込んで来ていた。


 ……これじゃ、ここから出られないな。ジョンは自分の体を盾にする事も考えたが、流石に銃弾の数が多過ぎる。ここまで来たが、さてどうするか。


「おい」リチャードがジョンを小突いた。「ここが撃たれているなら好都合だ。奴はここにしか目を向けていない。居場所を掴んで逆に撃ち殺せばいい。屋上に狙撃手を配置していたのは聞いている。銃がまだ上にあるだろう」

 成程と、ジョンは頷いた。しかし、廊下に残るジャネットとオリバーに声が届かなかった。ジョンはイヤフォンに手を当て、マイクロフトと通話する。

「ホテルの支配人のオリバーと通信出来ないか!」

「少し待て」マイクロフトは即答した。「すぐに繋がる」

 そして、一瞬のノイズの後、廊下にいるオリバーが胸元の無線機を操作し始め、やがて彼の声がジョンの耳元に届いた。


「こちら、オリバー。どなたからの通信ですか」

「ホームズです。そこには今、誰がいますか?」

「ホームズ様……」オリバーはどうやって通話しているのかを問いたかったが、状況が状況だ。今はそれどころではないと思い直した。「今、ここにいるのはわたしとジャネット様だけです。他の皆さんは下の階に避難しております」

 狙撃経験のあるピンカートンがいるなら、彼に頼みたかったのだが、探偵と祓魔師は王族の保護を優先したのだろう。ジョンは彼らの判断に納得はするが、しかし歯痒い思いだった。


「……ジャネットに替わって貰えますか」

 ジョンは息を吐く。なるべくならば彼女に危険な事は頼みたくはないのだが、背に腹は代えられない。今、この場に狙撃の経験があるのは、彼女だけなのだ。

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