11-1.

 ザ・タワー・ホテル、最上階、大広間。蝋燭ろうそくの心許ない光だけが揺れていた室内、その天井の照明が明滅したと思えば、パッと花開くように灯りが点いた。

 わあっと声を上げる客人達の表情が和らぎ、その様子を見たホテルの支配人であるオリバーもほっと息を吐いた。


 どうやら下階に降りた二人が電源を復旧してくれたようだ。止まっていた暖房も動き出すだろう。客人達の気が少しでも晴れればいいが……。オリバーはしかし、状況は何も変わっていない事を胸に刻む。室内に残るスタッフを自分の下に呼び集め、声を掛ける。


「電気は点きました。少しでもお客様方の心身の負担を減らせるよう、出来得る限り水分や食料を分配しましょう。まずは私達が落ち着いた行動を心掛るように」

 全員が頷き、意思のある瞳でオリバーを見詰め返す。彼らは今一時、共通の任に就くだけの間柄。それでもその任の重大さを理解し、実直に行動している。任務への忠実さを感じ、オリバーは彼らを頼もしく思った。


 その時、胸元のトランシーバーから轟音が響く。ただのノイズかと思いきや、その裏から人の叫び声のようなものが聞こえ、オリバーは咄嗟に応答した。

「こちら、オリバーです」

「今すぐそこの扉を閉めてッ、早くッ!」

「その声は――」

 ジョン・シャーロック・ホームズと共に階下へと降りた祓魔師の女性だ。オリバーはジャネットの姿を思い出すと、バッと顔を上げた。視線の先、扉の向こう――、階段の方からトランシーバーから響いたものと同じ轟音が近付いて来る。


「――扉を閉めて下さいッ!」

 不吉な物音に急かされるようにオリバーが叫ぶ。その鬼気迫る声音に目を見張りながらも、扉の近くにいたハイドとアッディーンが動いた。二人は扉の取っ手を掴むと、オリバーと同じように階段の方から響いてい来る物音に気付き、顔を見合わせた。

「これは――、」

 何だ――と続けようとしたハイドの目に、何か黒い塊が蜷局とぐろを巻きながら凄まじい勢いでこちらに迫り来ているのが映った。


「「うおおおおおッ!?」」

 二人は悲鳴を上げながら扉を閉める。直後、扉に強い衝撃が走った。弾き飛ばされそうになるのをなんとか堪え、衰えぬ圧力に屈しまいと力を込めた。

「誰か手を貸してくれッ!」

 アッディーンの声にピンカートン、ラスプーチン、ヴィドック、そしてオリバーが続き、全員で必死になって扉を押さえ込む。

「扉の向こうに何がいるんだ!」

 人並み以上の体躯をしている自分が吹き飛ばされそうになっている――。ラスプーチンは扉の外から襲い来る威力に驚いて叫んだ。

「分からないけど、不吉なモノなのは確かだ!」

 ハイドの必死の声が響く。それを聞き、何事かと王族達の方から困惑の声が上がった。


「く……っ」

 ハイドは扉を皆に任せ、背後へと跳び退った。懐から取り出した聖書を手の上に広げ、

「Our Father in heaven, hallowed be your Name――」

と、一文を口遊んだ。途端、扉からの圧力が途絶え、押さえていた全員が床に倒れ込んだ。


 荒い息を続ける彼らがハイドに振り返る。ほっと息をつくハイド――その手の中の開かれた聖書の上にヒラヒラと舞い落ちる、一枚の黒い羽。

「――――」

 黒い羽が聖書に触れた。その瞬間、羽も聖書もまるで腐ったかのように形を崩し、汚泥のような液体になって床に落ちた。


 ハイドが目を見張り、自身の手から零れた泥を見詰める。その直後、左の肩を誰かに掴まれ、ハッと顔を上げると、彼と肩を並べるようにして男が立っていた。

 肌を一切見せない、全身を包む黒のロングコートに鍔広帽子。何よりも特徴的だったのは、顔を包む怪しげなペストマスク。


「今更、ヒトが何を祈る、何を捧げる。最早、彼の者に声は届かない」


 マスクの向こうから低く囁くような声がした。ハイドは自身の肩を掴む彼の手に力が籠るのを感じ取った――直後、体は上空にあった。

「ハ――――」

 声を上げる事もままならぬまま、ハイドは天井近くから床へと背中から落下した。


 ハイドに駆け寄る探偵達を尻目に、黒衣の男は悠然と歩を進める。そしてリチャードの前に立ち止まると、深く礼をした。

「ご機嫌よう、リチャード・ザ・ライオンハート殿。パーティはお楽しみ頂けておりますかな」

「……ンな訳ねえだろ、フザけやがって」

 黒衣の男の不敵な態度に、リチャードが牙を剥く。直後、折れた剣を手に、フィリップが男目掛けて跳び出した。

 男は彼に一瞥いちべつすらくれなかった。そのままフィリップの一刀が男を切り裂くかと思いきや、次の瞬間に彼の姿は先のハイドと同様、空中にあった。何が起きたのかを理解する間もないまま、フィリップは床に落下して大きく呻き声を上げた。


「……『転送』、だったか」リチャードは男から目を離す事なく、「お前のチカラには苦労した。部隊を送り込んでも、その部隊丸ごと別の場所へ運ばれた事もあった」

「それでも、わたし達は貴方達に負けた」黒衣の男は重く溜め息を付き、顔を上げる。「しかし、今回は違う。わたし達は今度こそ、貴方を亡き者にしてみせる」

「ハッ」リチャードは足を組んで椅子に背を預けると、笑みを浮かべる。「ここにはお前らの大嫌いな祓魔師共がいる。お前の思い通りにはならねえよ」

「最早そのような問題ではない」男の声に力が籠る。「貴方を真実、殺せようが殺せまいが、それは問題になどならないのですよ」

「…………」

 リチャードは男が語る言葉の意味を掴み切れず、訝し気に眉を寄せた。


「失敗にも成功にも意味はない。わたし達の怒りはそのような境地にない」

「何を、言っている?」

 リチャードの言葉に、黒衣の男はマスクの下で皮肉気な笑みを浮かべた。

「貴方の負けだと言っているのですよ、リチャード殿」

 男がコートをひるがえし、バッと腕をリチャードに向けて伸ばす。彼はそれを見、それでも姿勢を崩さなかった。


「だから言っただろう。何をしようが、お前の思い通りにはならねえよ」

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