10-7.

 状況は動いた。狙撃手もそれに気付いている。これから敵は新たな動きを始めるだろう。これ以上の被害を出さない為には迅速な行動が求められる。それを理解しているジョンは大怪我を負っても止まらずに足を進めた。水を差すような真似をする為に、アタシは同行を志願した訳ではない。ジャネットは拳を握り、ジョンの後に続いた。


 下の階に降りてすぐだった。階段を固めていたのだろう警備スタッフと「人形」が血を流して倒れていた。ジョンは首に手をやって確認するが、既に脈はなく、事切れていた。

「敵は最上階のすぐ下まで来てたって事よね……?」

「そうなるな……」

 ジョンはジャネットに言葉を返しながら、スタッフの衣服を剥いで、体を調べた。何か刃物で右肩から腰にかけて深く斬られていた。明らかに致命傷だった。

 ジョンは更に周囲に争った形跡がない事に気付いた。全員が死角から一撃で殺されている。ジョンは不謹慎ながらも、襲撃犯の妙技に舌を巻く思いだった。

 ホテルと『教会』は各階に警備スタッフを配置していたようだが、その全員が死体となって床に倒れていた。ジョンとジャネットは暗い面持ちで階段を降りていく。


 ジョンとジャネットは二階に辿り着き、大階段からロビーに降りようとした時だった。

 ロビーのそこら中にホテルスタッフや『教会』が手配した警備員が倒れ、血の海と化していた。物音一つしない様子からすれば、倒れている者全てが既に事切れている。

「こ、れは……ッ」

 目の前に広がるあまりに凄惨な光景に、ジョンとジャネットは思わず息を呑み、しばし呆然としてしまった。


 ホテル内に生きている人間は最上階のみ。自分達の知らぬ間に、そんな悪夢のような状況を作り上げられていた。


「――糞っ垂れ!」

 それでもジョンとジャネットが抱くのは、絶望ではなく怒りだった。自分達の不甲斐なさ、そして許し難き所業を成した敵への義憤。

「ねえ、誰かいないの!」

 ジャネットが血の海の中に足を踏み入れ、声を上げる。しかし返る声はなかった。それでも二人は手分けして生き残っている者がいないかと探し始めた。物陰に体を隠しながら、ホテルの外の状況も伺う。道路には幾人もの遺体があった。狙撃手は外へと逃げようとした者も容赦なく撃ち殺したのだろう。それを見て中へと戻った者、残った者も残らず殺された。


 濃厚な血の香りに噎せながら、ジョンははたと気付く。倒れている全てのスタッフに残る致命傷は、刺突か斬撃に因るものだ。しかも残る傷はその一撃のみ。体には刃物に因る傷しか残っていないのだ。更にその斬撃に因る傷口が恐ろしく綺麗だった。

 全員を一撃で殺す斬撃を繰り出せる者――。ジョンの脳裏に映るのは、最上階に姿のなかった宮本ムサシだった。

 彼の技量を全て見た訳ではない。だが彼ならこの所業を成し遂げられるのではと、ジョンは思ってしまった。しかし仮にそうだとして、その動機は一体なんなのか。彼は皇国からの祓魔師として『会議』に参加する筈だ。敵対者である祓魔師が悪魔を手助けするような真似をして、何になる? しかし彼は自分を「祓魔師ではない」と言っていたのも確かだ。ただ悪魔を斬れるだけと、彼はそう語っていた。

 見付けた遺体の中に宮本ムサシのものはなかった。ならば彼はまだこのホテルのどこかにいる筈だ。


「じゃあ、皇国の客室に行きましょう」

「いや……、先に電源を復旧させよう。地下に発電設備がある」

 二人はフロントを抜け、エレベーターホールに入る。脇にある階段へ続く扉を開け、様子を伺う。人影は見当たらず、物音もしないのを確認すると、素早く階段を降りる。

 しかし警戒の甲斐はなく、発電設備の周りには誰もいなかった。周囲を探索し、落とされていた電源を入れる。大きな駆動音がして設備が動き出し、やがて天井の灯りが点いた。

 あまりにもあっさりとした結末に、二人は顔を見合わせる。


「――ジョン、聞こえるか」

 久し振りに耳元からマイクロフトの声がして、ジョンは飛び上がった。

「あン、通信が……、あァ?」

「どうやら回復したらしい。お前が何かしたか?」

「ホテルの電気を復旧させた」

「成程……」マイクロフトはしばし黙り込むと、「妨害電波を発生している機械は、恐らくホテルの電源を間借りしていたのだろう。しかしホテル側に電気が流れるようになり、今度はそちらの電源が落ちたのだ」

「はあ、そうなのか?」

 ジョンはいまいちピンと来ていなかった。それを察したマイクロフトは「まあいい」と話を続ける。

「とにかく通信が回復したのは僥倖だ。して、今そちらの状況は?」

 ジョンは掻い摘んで現状を彼に伝える。姿の見えぬ狙撃手、悪魔、カラス、大広間に縛り付けられた王族、そして血塗れのロビー――。


 マイクロフトは重い溜め息をつき、

「警察をそちらに派遣する。少しの間堪えてくれ。お前は上階の皆と合流するんだ」

 事態が好転する気配がして来た。ジョンは「ああ」と少しばかり声を高くした。

「誰と話しているの?」

 振り返ったジョンに、ジャネットが気味悪そうに尋ねる。ジョンはイヤフォンを取り出して見せる。

「コレで遠くにいる人間と会話出来るんだ」

「そいつが――、ジョンがここにいる理由?」

「そう、今回の仕事の依頼主だよ」


 二人は話しながら階段を上がって地下階からロビーへと戻る。血に濡れたロビーを見回し、ふと外を見た。

 ガラスの向こうは真っ黒に染まっていた。先程まで見えていた道路どころか、外界を覗く事の出来る窓という窓、扉という扉全てがインクでも撒き散らしたかのように黒く塗られ、何も見えなくなっていた。


「なン――だ……?」

 ジョンはその光景を目にした途端、体全周が押し潰されるような敵意に襲われ、思わずその場に蹲った。

「どうしたの……!?」

 ジャネットが慌てて彼の肩を掴んだ。ジョンは呻き声を上げ、顔を歪ませながら立ち上がる。

「急いで上に行こう、嫌な予感がする……」

 ジョンが窓を指差す。その先にある光景を目にし、ジャネットは息を呑んだ。

「何、アレ……」

「分からねえ」ジョンは息を吐いて、「とにかく上に行って、情報を共有しよう」

 そう言い、ロビーの中央にある大階段に足を乗せた時、背後からミシミシと嫌な音が響いて来た。二人は引き攣った表情の顔を見合わせ、恐る恐る振り返る。


 ガラスが――内側に膨らんでいる。外から窓を覆う黒いモノに外から押されているのか。そんな状態が長続きする筈もなく、やがて大きな音を立て、まるで破裂したかのように破片を飛び散らしながら窓が破られた。

 外にいた黒いモノが一斉に屋内へと雪崩のように流れ込む。バサバサという羽音――黒いモノの正体はカラスだった。ジョンとジャネットはその場に伏せ、頭上を飛び去り上階へと翔けて行くカラスの大群を成す術もなく見詰める事しか出来なかった。


 やがてジャネットが姿勢を低くしたまま転がるように階段から降りる。遺体の胸にあるトランシーバーを手に取ると、叫ぶようにして応答を請うた。

「今すぐそこの扉を閉めてッ、早くッ!」

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