10-4.
「視界の『転送』で死角を補完している、と?」
「通路から出ようとした時、カラスが窓に止まっていた。カラスって確か目がいいんだったような――」
「そうだね」ハイドがジョンの言葉を受け取るように、「視力は人の五倍あるって言うし、色も分かるし、紫外線量だって認識出来るそうだ。しかも夜目も効く」
ジョンは知らなかったカラスの生態に驚きつつも、この場に於いては厄介だと溜め息を付く。
「まずカラスの目を潰そう」
ジョンの発言にハイドが頷く。そんな彼らに対し、ヴィドックが首を振った。
「待ちたまえ。方針を決めたいのは分かるが、君の話している事は全て憶測に過ぎない。確かな情報もないまま、私は動きたくない」
憶測――そう言われてしまえば、頷く他ない。ジョンには「悪意の察知」があるが、他人から言わせてみれば、信用出来るモノである筈がない。
「そもそも君は一体どこから来たんだ。この部屋の中で最も怪しい人間は君だという自覚はあるかね?」
「…………」
ヴィドックの言葉は尤もだ。ジョンは自分でもそう思う。振り返る探偵達の視線もどことなく鋭さを感じる。
いる筈のない六人目、それが自分だ。ジョンはいっそ本当の事を言ってやろうかと思ったが、耳に差すイヤフォンの感触がそれをなんとか阻む。こめかみのヒクつきを指で揉みほぐしながら、
「僕をいくら怪しんでも構わない。けれどそんな事をしたって、事態の解決にはならないでしょう
」
「皆、正しい事を言っていると思うよ。しかし忘れていないかい」今まで一歩下がっていたコゴロウが口を開く。「私らは王族の護衛としてここに招かれているんだ。彼らを置いて、ここを離れる事が出来るかい?」
「……ああ、成程」
ジョンは低く呟いた。ハイドがそれに同情のような色を瞳に映して彼を見る。
敵の動向は掴めない。もし万が一、この最上階に敵が攻め込んで来たとしたら、可能な限り応戦しなければならない。その為の戦力はこの場に残すべきだ。そして祓魔師と探偵はそのような事態の為に呼ばれた。
つまり、自由に動き回れるのはジョンだけだという事だ。
まさかマイクロフトはこれを予想して……? ジョンはしかし、首を振った。邪推し過ぎだと判断したが、真偽の程は不明のままだ。
「……そう言う事なら、」ジョンはニィと牙を見せる。その不敵な笑みに、探偵達は眉をひそめた。「僕の好きなようにさせて貰うけれど、別に構わないよなァ?」
ハイドは猛烈に嫌な予感がした。こっそりと周りを伺うと、皆同じような顔をしていた。
目の前にいる少年とも思える新人探偵。しかし彼はあのシャーロック・ホームズの息子。切り裂きジャック事件を解決した以降、小さな依頼を幾つもこなし、地元住民からの信頼を集めている。これはまた厄介なライバルが誕生したものだと、担当地区は違うも、ハイドは嬉しい危機感を抱いたものだった。
しかし初対面の彼と話し、相対したが、ハイドはどこか彼に違和感を持った。思っていた印象と随分違う。なんとなく――薄い。今、目の前にいる筈なのに違う場所に立っているような、そんな生きている雰囲気が薄い。言ってしまえば、存在感が薄いのだ。どうしてそんな感触を覚えてしまうのかは分からない。
それに銃弾に向かって自ら飛び込む辺り、自分自身を蔑ろにし過ぎているきらいがある。ハイドはジョンの撃ち抜かれた筈の手を見る。既に傷はなく、その痕すらも消えている。明らかに常軌を逸した治癒力。ソレが故に体を労わらないのだろうが、そうだとしても、その考え方は異常だ。ヒトはなんであれ「自分」が可愛いものだ。価値を比べる天秤そのもの――とは、どこで聞いた言葉だったか。
死して尚、義務に準じて動いている死体のような。……ハイドは言い得て妙な気がして、自分の発想に嫌気が差した。
「オイ、貴様ら」
棘のある声がして、一同が振り返る。リチャードが眉間に皺を寄せ、睨みを利かせながらこちらに歩み寄っていた。
「いつまで時間をかける気だ。探偵ならさっさと悪魔を見つけ出せ」
乱暴な口振りに一様に顔をしかめるも、「申し訳ない」と頭を下げた。リチャードはその様子に大きく舌打ちをして、「使えない」と吐き捨てた。
「あァ?」
そう言った言葉に思わず反応してしまうのが、ジョンという男である。剣呑な声を上げ、周囲の制止する声を無視して、リチャードに詰め寄った。
しかし両者の間へジャンヌが割って入る。その素早さはジョンの性格を知っているからだろうか。予想の的確さに舌を巻きつつも、ジョンは彼女も睨み付けた。
「今の態度に黙っていられるか」
「慎みなさい、ジョン。彼は聖サンダルフォンの『聖人』です。そのような口振りは許されません」
「天使の名前なんか知らねえよ。僕の目の前にいるのは、ただの人間だろうが」
『聖人』と言えど、そこにいるのはただの人間――。ジョンにとっては当たり前だが、それを聞いたリチャードには聞き捨てならない言葉だった。
「ただの人間だと……!」
リチャードがジャンヌを押し退け、ジョンの胸倉に掴み掛かった。
反射的にジョンは彼の腕を取って飛び付いた。急に体重を掛けられ、リチャードの体が倒れ込む。床に倒れた時には、腕ひしぎ十字固めの形になっていた。
「ぐあッ!」
「貴様……ッ!」
呻き声を上げるリチャード。それを見たフィリップが剣を抜いて床を蹴る。
ジョンはリチャードの腕を離し、後方へ転がるようにして、フィリップが突き立てる剣を躱した。
しかし攻撃は止まらない。フィリップは剣を床から引き抜くと、雄叫びと共に前進しながら剣を右へ振るった。
ジョンは後退を止め、上体を後ろへ反らしながら右膝を振り上げてフィリップの剣を打ち、その一刀の軌道を空へと曲げた――直後、膝の上で弾んだ剣に右肘を振り落とし、脚と腕で挟み込むようにして剣を叩き折った。
「……ッ!」
なんだ、今の動きは――? フィリップは目の前で繰り出された妙技に、思わず息を呑み、同時に怖気立った。
ジョンは躊躇う事なく前に出、折れた剣を茫然と見詰めるフィリップの肝臓に向けて強烈な下突きを加えた。堪らずフィリップが剣を落とし、腹を抱えて床に倒れ込んだ。
「…………」
『聖人』とその従者。瞬く間に二名を制したジョンを、部屋の中にいた皆が唖然とした表情で見詰めていた。
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