10-3.

「……遺体を使おう」ラスプーチンが苦そうに口を開く。「わざと奴に撃たせて、そこから敵の位置を割り出すのだ」

「…………」

 全員しばらく黙っていたが、新たな犠牲者を出す訳にはいかない。フウと息を吐き、ジョンが真っ先に動いた。窓際に倒れる遺体に向けて素早く移動する。


「じゃあ、片方は僕が」

 ジョンが遺体を抱えると、もう一体をハイドが抱えた。その中で、ハイドが声を潜ませる。

「『MI6』から少し話は聞いている。僕に出来る事は少ないけれど、可能限りフォローしたい」

「……ありがとうございます」

 彼がどこまで自分の状況を把握しているのか分からないが、その言葉はありがたい。そう思い、ジョンは素直に礼を言った。


 ハイドの合図と共にジョンは通路へ飛び出す。しかしすぐに銃弾は飛んで来なかった。「おや?」と互いに顔を見合わせる。そのまま通路外へ出られるのではないかと勘繰り、慎重に足を進ませる。


 その時、バサッと羽ばたく音を聞く。ジョンが窓を見ると、カラスが窓枠に止まり、こちらを見ていた。


 ジョンとカラスが見つめ合う。目が合った数秒後、その視線の中に「悪意」が混じる――それを感じた途端、銃声が聞こえた。素早く振り返ったジョンの視界に、天井の隅で何かが弾け、火花が飛び散るのが映った。

「危ないッ!」

 ジョンの声に驚き、ハイドが思わず飛び上がる。その直後に銃弾が床に突き刺さる。ジョンは遺体を投げ捨て、ハイドの衣服を掴み上げ、強引に室内へと戻る。

「これも失敗か……!」

 ラスプーチンが落胆の声を上げる。その傍らでハイドが這う這うの体で呟く。

「助かったよ、ありがとう……」

「いや……」


 ジョンは荒い息を落ち着ける為に大きく息をする。結局振り出しに戻ってしまった――と、肩を落としそうになった時、先程見たカラスの瞳を思い出した。


「……カラスに化ける悪魔って、いるのか?」

「――なに?」

 ジョンの言葉に、ピンカートンが反応した。ハイドとジョンを除く四人も同様に、何かを思い出したように口を開ける。

「思い当たる節があるんですか?」

「その前に聞きたい。なぜそんな発想を?」


「…………」

 ジョンは少し黙り、自分の特性である「悪意の察知」についてどう説明するか考えた。その結果、右手首の包帯を解き、そこにある傷を見せた。

「『神の子』の聖痕を模したモノだ。『悪性』に痛みを伴って反応する――」

 そこまで説明して、視界の隅で「聖痕」を目にしてこちらへと近付く気配を感じ取った。咄嗟にそちらへ目を動かすと、コゴロウの助手を務めるコウスケが思案気にジョンの「傷」を見詰めていた。

 彼の表情に違和感を持ちながらも、やがてジョンは視線を元に戻した。

「……さっき窓の外にカラスがいた。そいつと目が合った際に、何者かの『悪意』を感じた。だからカラスに擬態する悪魔がいるんじゃないかと考えました」

「成程……」アッディーンが頬を掻く。「誰か、説明したい人はいるかい」

 彼の問いに、四人は黙り込んだままだ。その様を見て、ハイドが口を開く。


「……『聖戦』で敵対した悪魔、なんですか?」

 重たい息を吐いて、ピンカートンが問いに答える。

「そうだ、あの戦争にいた悪魔の中にカラスに変身するモノがいた。名を、ラウム。『魔人王』に直接指揮されていた七十二体の悪魔の内の一体だ」

 ――『魔人王』。その名前くらいなら聞いた事はあるが、しかしその姿や能力については一切情報が出回っていない。『教会』の厳しい情報管理の所為だ。

 シモ・ヘイヘもラウムも『聖戦』に関係している。そして、狙撃手はまず初めにリチャードを狙った。もしや彼を標的にした攻撃なのか?


「……あのリチャードって『聖人』は、『聖戦』で何かしたのか?」

 ジョンの問いに、驚きを持って「まさかそこまで知らないのか?」と、ピンカートンが振り返る。

「彼は『聖戦』にてその指揮を担った人物だ。『聖戦』に勝利する為に、彼は天使からの『啓示』を受け、『聖人』と成ったのだ」


 ――『聖戦』にて、『教会』に勝利の旗を掲げさせた大英雄。それがリチャード・ザ・ライオンハートだった。


 彼を狙うならば、どういう人物か。あの『聖戦』で大きな屈辱を受けた者だろう。戦争で敗北した『魔人王』の部下なら、それに当て嵌まる。ラウムと手を組んだ者に因る狙撃で、自分達はこの状況を強いられている。

 こういった事態に陥らない為に自分は派遣されたのに。自分の目はホテルのごく付近にだけ向けられていた。もっと広い視界を持つべきだったのだ。

 ジョンは歯を喰い縛る。今更ながら歯痒さが込み上げて来た。……だが、周囲に細工がなかったのは確かだ。つまり、この襲撃に事前準備は必要なく、自分の腕だけで成し遂げられる自負があったのだろう。

 ホテルの警備状況についてマイクロフトから聞いた限りでは、情報漏洩を防ぐ為に人間は極力置かず、各階に武装した『人形』を、屋上には狙撃手まで配置していた筈だ。しかし階下から連絡はなく、最上階にまで登って来る者もいないので、もしかしたら既に敵はホテル内に侵入し、警備を鎮圧させているのかも知れない。

 だからと言って、このままここに居続けるのは良くない。脱出する術を早く見つけ出さなければ……。


 ――敵の目を潰す。その為にどうすればいいか。


 まず、敵はどうしてこちらの様子が事細かに見えているのか。タワー・ブリッジに敵がいると仮定して、南側からは射線が通っている。だから南側からの攻撃がこちらに届くのは納得出来る。しかし敵は北側からも狙撃を行って来た。北側にこのホテルを狙撃出来るような場所はない。英国で最も高いホテル――それに比肩する建物は、この周囲にタワー・ブリッジの主塔以外にない。弾丸を金属に当てて射線を曲げ、まるでピンボールのような跳弾を駆使してこちらを狙っているのではないかと考えても、主塔にいたままでは、そちらから見てホテルの裏にあたる北側に何があるのか把握する事は出来ない。それでは跳弾を狙う事など不可能だ。

 敵は何か特殊な『眼』を持っている。若しくは悪魔の能力を介して状況を把握している。


「……ラウムはどんなチカラを持っているんだ?」

「俺は『聖戦』に参加していた。アレは俺の国で起きた事だしな」ジョンの問いに、記憶を辿るようにして、アッディーンが答える。「ラウムはある種最も厄介な能力を持っていた。敵の物資調達の網を潰しても、敵は攻撃を続けて来た。水も食料も弾丸もなくなる一方の筈なのにな」

「つまり?」

「あいつのチカラは『転送』。時間や場所を度外視して、別の場所から物資や人材を、空間を跳び越えて運べるんだ」

 兵糧攻めが効かなかった理由がそれか。ラウムは前線ではなく、後方支援を担う。

「……あいつが運べるのは人や物だけなのか?」

「恐らくそうだが、何か?」


「自分の『視界』を他者に送れるとしたら?」


「――――」

 その一言で、一同はジョンが何を言いたいのかを理解した。

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