10-2.

「俺らはいざという時の戦力になる。彼らに任せよう」

 アラディンがそうオリバーの意見を推した。ジョンは釈然としない面持ちのまま、一歩後ろに下がった。


 オリバーに手で指示され、二名のスタッフが左右に分かれ、一斉に通路に足を踏み出した。――途端、ジョンの全身に鳥肌が総毛立つ。窓の外に悪意が立ち昇り、一瞬にして弾丸に姿を変えた。

 銃弾が南側の窓ガラスを撃ち抜いた。キンと何かが弾けるような音がした一瞬後、積み上げたテーブルの隙間を縫って、床から伸びるような軌道を描き、銃弾がスタッフに襲い掛かった。

 ジョンは銃弾が窓を打ち破る瞬間に飛び出していた。スタッフ両名の襟を後ろから鷲掴みすると、空中で回転して二人を室内へと投げ飛ばした。銃弾はスタッフの代わりに、ジョンの体を貫いた。


 ジョンは宙を舞いながら、北側の窓から視線を感じた。痛みで歯を食い縛りながらそちらを見ると、ちょうどカラスが飛び立つ瞬間だった。


「ホームズ様ッ!」

 オリバーが叫び、慌ててジョンに向けて手を伸ばした。ジョンは床に倒れるや否や、腕で床を弾き飛ばすとオリバーの手を掴み、室内へと飛び込んだ。

「撃たれたッ!?」

 ハイドが驚愕の声を上げると、ヴィクターを連れてジョンの下へ走り寄る。

「視界は塞いだ筈だ。なぜ撃ち込める……?」

 ハイドの呟きを聞きながら、ジョンは仰向けに転がったまま、ヴィクターに服を捲られる。肩に刺さった弾丸を鉗子で引き抜かれ、太い呻き声を上げた。


「糞っ垂れが……」

 ジョンは呻きながら起き上がるが、それをハイドが押し止める。

「待ってよ、君。銃で撃たれたのだから、じっとしておくべきだ」

 それはその通りだ、通常の人間ならば。ジョンは自嘲気味に笑いながら、ハイドの声を無視して立ち上がる。


 ジョンが視線を感じて、ふと振り返ると、ヴィクターが苦し気に顔を歪めていた。

「どうした?」彼がそんな風に感情を剥き出すのは珍しい。ジョンは訝しみながら、「なんつー顔してんだよ、えッ?」

「……キミの体はおかしいよ、ジョン」ヴィクターは俯き、溜め息をついた。「その回復力、ボクはなんだか嫌な予感がしてしょうがない」

 ジョンは眉を上げてヴィクターを見、そして貫かれた左手を見る。そこには既に赤黒い痕だけが残り、完全に傷は塞がっていた。


 ――『聖十字架』。ジョンに刻まれた「聖痕」により呼び起された魂の変質、そのカタチ。その副産物として、「悪性」への大きな拒絶が持ち主の怪我の回復を促す。ヴィクターはそれを知らず、今初めて目の当たりにしていた。


「今はなんともねえから大丈夫だよ」

「何かあってからでは遅いだろう、キミ。ジョン、あまりソレを過信し過ぎないでくれ」

 ヴィクターの言葉に、ジョンは「分かったよ」と返事をした。尚も暗い顔のヴィクターを尻目に、ジョンは探偵達を集める。


「あいつは通路内に何があるのか、全て把握している」

「と言うと?」

 ピンカートンの声にジョンは頷き、

「跳弾を使ってテーブルの隙間を縫って狙撃してきた。通路のどこに何があるのか、どうしてか見えている」

 ジョンは銃弾が通路に見えている鉄骨の一部に当たって跳ね返り、スタッフを襲う様を見た。それを説明すると、ラスプーチンが何かに気付いたように目を見開いた。

「それだけの技術を持った狙撃手は少ない筈だ……」

「心当たりがあるのか?」

 ヴィドックから問われるも、ラスプーチンは「いや……」と思案顔だった。

「一人思い当たる人間はいるが、だが……」

 ラスプーチンの様子を見て、「もしや」とアラディンが口を開く。


「まさか、シモ・ヘイヘか?」


「――――」

 ラスプーチンが目を閉じ、髭を撫でながら頷いた。

「それはない」ピンカートンが少し声を大きくした。「ヘイヘは死んだ筈だ」

「でも、彼の愛銃も確かモシン・ナガンだったような?」

 ジョンは首を傾げる。件のシモ・ヘイヘなる人物を知らなかった。

「そうだ。十年前――、例の『聖戦』の後で死んだ筈だ」


 ――『聖戦』。以国内にある「彼の人」が処刑された聖地を占領され、それを奪還せんと十五年前に始まった戦争。初めて『人形』が戦闘用に改造されて投入された他、『教会』の指揮の下に行われた初の戦争だった。聖地を占領した『魔人王まじんおう』を名乗った魔人との争いは、五年もの年月を掛けて終息を迎えた。

『聖戦』についての詳しい情報は『教会』に因って厳しく規制され、詳しい情報のほとんどが一般人に開示される事はなかった。


「シモ・ヘイヘが誰だか知らないんだが、もし生きていたら今の状況を作り出せるんですか?」

「シモ・ヘイヘならあるいは……。あいつは戦時中に五百人以上を銃で撃ち殺した男だからな」

 凄まじい数だ。ジョンは事実なのか疑わしい数字に面食らった。

「だが、彼は死んだ」

「でも、遺体は確認されていない」

 アッディーンの言葉に、ピンカートンが彼に振り向く。

「ヘイヘは『魔人王』を仕留めた隊に所属していた。彼は最高の栄誉を送られたが、『聖戦』の後は隠居を決め込んでいた。その後の彼を知る者はいない」

「……それじゃあ英雄じゃないですか。なんでそいつが『会議』を襲う?」

 ハイドの言葉に、彼も『聖戦』について詳しくない事が伺えた。

「そうか、君らは『聖戦』について知らないのか……」ピンカートンがジョンとハイドの言葉を反芻し、「『教会』がだんまりを決め込んでいるからな、致し方ない」

 ピンカートンは『教会』のやり口が気に喰わないようだった。例え探偵と言えど、そう考えてしまうのは仕方ない。


「ヘイヘが生きているかどうか分からない。結局のところ、狙撃手が誰なのかは不明のままだ」『聖戦』についての知的好奇心はあるが、しかし今はその時ではない。ハイドは息を吐き、「奴の目を潰そう。どうにかして外に出なければ」


 長距離狙撃の精度、死角すらも跳弾を用いて補う技術。それを妨げるには、完全にこちらが見えない状態を作るしかない。


「奴の位置を特定出来ないか? それが分かれば……」

「地図を」ラスプーチンが懐から観光用に簡略化された地図を取り出し、蝋燭の下に広げる。「このホテルを狙撃するなら、どこになる?」

 その問いに、しかし答えられる人間はいなかった。皆、狙撃の経験などないのだ。

「……それならここだ」

 その中で、ピンカートンが地図上に指を指す。軍従経験のある彼の選定ならば、信用出来るだろう。


 彼が指差したのは、タワー・ブリッジの中腹にある主塔。


「そうか、タワー・ブリッジ……」

 タワー・ブリッジなら高さも申し分ない。だがホテルとの距離は約二百メートルある。

「今、タワー・ブリッジの橋桁は上げられ、立ち入りが出来なくなっている。恐らく警備の人間もいるだろうがそれを突破してしまえれば、高所を確保出来る」

「とりあえずそこが狙撃手の位置だと暫定しよう」ハイドが指を立てる。「しかし橋はホテルの南側だ。北側からの狙撃はどう説明する?」

「……跳弾?」

 ジョンの呟きに、ピンカートンが首を振る。

「それはない。橋からホテルの北側の構造を確認出来ない。弾道を計算しようにも、何がどこにあるのか分からなければ出来ないだろう」


「畜生め。やはり情報がなければ、全て憶測だ。それでは動こうにも動けない」

 ヴィドックが忌々しそうに唸る。その言葉に全員が黙り込んだ。議論しているつもりでも、結局は机上の空論なのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る