9-2.

「…………ッ!」


 その塊が進む方向に目を遣り、ジョンは盆を放って床を蹴った。

 直後、窓ガラスが飛び散った。「何事か」と誰もがそちらを見る中、ただ一人ジョンだけがステージ――リチャードに向けて跳び込んだ。

 ジョンは右手を伸ばす。その右手の中に広間へと飛び込んで来た悪意の塊が突き刺さる。彼はそれが手の肉の中に埋没している内に、がむしゃらに腕を振るい、それの軌道を捻じ曲げた。

 手の中から飛び出した塊が天井を穿つのを見、ジョンはようやくそれが銃弾だと気付いた。リチャードの服を掴み、強引に床に伏せさせた後に叫ぶ。


「――カーテンを閉めて伏せろッ! 銃撃だッ!」


 声に続くかのように、新たな弾丸が窓ガラスを吹き飛ばして会場に侵入して来た。


「――――ッ!」

 ジョンは呻き、リチャードをジャズバンドの中に放り込むと、両腕を広げて彼らの前に立ち上がる。

 一、二、三、四――ッ! 四つの弾丸が自身の肉を貫くのを感じ取ると同時に、ジョンは堪らず吹き飛んだ。


 その間に警備員達が銃弾の舞い込んで来た南側の窓のカーテンを閉め、狙撃手の視線を遮る。客達は床やテーブルの下に伏せ、身を縮めていた。

「おい、貴様……ッ! 一体これはどういうつもりだ!」

 リチャードが立ち上がり、ステージに倒れ伏すジョンに向かって吠えた。

 直後、彼の背後に「悪意」が現れるのを感じ取り、ジョンは痛む体に鞭打って強引に立ち上がり、再びリチャードを押し倒した。

 一瞬前までリチャードの立っていた位置に銃弾が突き刺さる。

 どうなってやがる、南側の視界は塞いだのに、今度は北側の窓から狙撃だと――! ジョンはリチャードやジャズバンドを跳び越えてステージを降りると、北側のカーテンも閉め始めた。


 そうしてようやく銃撃が止んだ。ジョンがホッと息をついた時、頬に衝撃が走った。

「貴様ッ! どこのどいつだ、名を名乗れッ!」

 リチャードの拳だった。床に倒れるジョンの胸倉を掴み、強引に引き寄せると怒鳴り声を上げた。

「あァ? 狙われていたお前を助けたんだ。文句あんのか、糞っ垂れ!」

 ジョンも思わずリチャードの胸倉を掴み上げた。顔を間近にして睨み合う二人の間に、ジャンヌが割って入った。


「落ち着いて下さい、二人共!」

 ジョンは押し退けるようにしてリチャードから手を離した。リチャードは衣服を正し、しかし瞳はジョンを睨み付けたままだった。彼の傍に従者であるフィリップが現れ、剣を抜いてジョンと彼の間に立つ。

「剣を仕舞いなさいッ!」

 ジャンヌの一喝に、フィリップはチラリとリチャードに振り返った。しかし彼は首を振り、警戒を解く事を許さなかった。


「そもそも貴方は何故ここにいるのです、ジョン!」

「…………」ジョンはフィリップから目を離さぬまま、「仕事だ。匿名の依頼人から、ここを警備するように頼まれた」

「…………」

 ジャンヌはその発言を受け、尚も不審そうにジョンを見詰めていた。

「ジョンだ? まさか、お前がホームズの息子か?」リチャードは意地悪い笑みを向ける。「目立ちたがりなのは、親子揃って一緒か。笑えるね」

「――――」

 ジョンが思わずリチャードに向けて手を伸ばそうとした時、ジャネットが前に出て、彼を押さえ込んだ。

「ッ、てめえ……ッ!」

「ジョン、落ち着きましょう。まずは皆で避難しないと」

「…………」

 ジョンは大きく舌打ちし、顔を背けた。フィリップがそれを見、ようやく剣を鞘に納めた。


 ホテルスタッフが先導し、大広間から通路へと続く扉を開けた。外の様子を見、息を呑んだ。部屋の外に配置されていた警備員、『人形』が全て床に倒れている。銃弾は全て頭部を貫いていた。弾痕はたった一発。全ての遺体が一発で仕留められている。しかし止まってはいられないと、足を通路へと踏み出した。


 その時だった。再びの狙撃が、通路に出たスタッフの頭部を貫いた。


 客が悲鳴を上がると同時に、スタッフが床に倒れ、動かなくなった。扉へと足を進めていた客達が一斉に部屋の中央へと戻る。

「通路を見張られている……」

「外に出さない気だ」

「どこから狙撃が?」

「安全ではなかったのか!」

 部屋の中に混乱が広がっていく。ジョンは開かれたドアから顔が出ぬようにしつつ、通路の状況を見る。


 ジョンはそろそろと左手をドアの外に伸ばしてみる。――直後、左手を銃弾で貫かれた。彼は慌てて室内へと転がった。

 どんな目ェしてやがる……ッ。ジョンは左手を押さえながら、姿の分からぬ狙撃手に歯を剥いた。


「オリバーさん、いますか!」

 ジョンが声を上げると、オリバーが困惑顔で姿を現わした。

「ホームズ様……」

「外と連絡は取れないですか。このまま外に出るのは危険だ」

「繋がりません」

「は……ッ?」

 ジョンはオリバーの言葉に振り返る。オリバーは首を振り、

「電話も無線も繋がらないのです。通信が阻害されている――」

 更にオリバーが確認すると、部屋の中にいる全員の通信機器が使い物にならなくなっていた。


「銃撃を受けて、下階から応援が来ないのもおかしい……」

 オリバーの呟きを聞いて、ジョンは最悪の状況を想像した。大広間以下の階、その全てが制圧され、この階だけが孤立させられていたら?

 ジョンの背後で、開かれていた扉が閉じられる。それを見ながら、彼は歯噛みした。敵の思う壺になっている、そんな気がしてならなかった。


 ジョンの意識の外で、様子を伺おうとスタッフが南側のカーテンの一部を少し捲った。窓ガラスの割れる音が響き、一同が振り向くとそこには既に死体が転がっていた。

 外と連絡は取れず、部屋から出ようとすればたちまち狙撃され、銃弾に体を貫かれる。僅かでも外の様子を確かめようとすれば、それも阻まれる。

 間髪入れずに照明の灯りが落ちた。電源が落とされたようだ。テーブルの上で揺れる蝋燭だけが、唯一の光源として心許なく揺れていた。


 自分達は閉じ込められている――。ジョンは絶望的な気分になった。

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