8-3.

「以前と比べてすっかり元気になりましたね、メアリー。今はジョンと暮らしているのでしょう? 彼との生活は大変なのではありませんか?」

「お兄ちゃんとは――」メアリーはジョンについて問われた途端、顔を曇らせた。「……お兄ちゃんとは今、ちょっと喧嘩しちゃってて……」

「えっ、そうなの? あのバカ、一体何をしでかしたの?」

 ジャネットがメアリーの言葉を聞いて、思わず声を上げた。


「お兄ちゃんは悪くないよ!」メアリーはジャネットの声音を聞いて、慌ててそう言った。「わたしが我が儘を言っちゃった所為だから……」

「メアリーの我が儘くらい聞かないでどうすんのよ、あのバカ!」

「ジョンが聞いていたら、また喧嘩しそうだねえ」ヴィクターは頬を掻きながら、「仕事の都合で、メアリーを同行させられなくなったそうなんだけど、それがメアリーにはショックでね。軽く口論してしまったんだ」

「ハァッ!? 意味分かんない、何してんのアイツ、バカじゃないの!?」

 ジャネットの場違いな大声に、ヴィクターが「落ち着け」と手を振って制す。


「依頼主からの条件らしい。ジョンの説明不足があったのかも知れないけど、もう少しの辛抱だ。今日か明日にはその仕事も終わるようだし――」

 そう言いながら、ヴィクターはチラリと窓の方を見た。窓際に立つスタッフの向こうに、街の灯りが星のように輝いていた。


「騒がしい声がすると思ったら、」一同の背後から、しわがれた声がした。「懐かしい面々じゃのう」

「えッ、師匠?」

 ジャネットがギョッとして、ジャンヌの背後に身を引いた。


 振り返ると、そこには床に付くくらい長く髭を伸ばした老人がいた。全身を黒いローブに包んだ怪しい姿だが、表情はにこやかに微笑んでいた。

 その隣には丸眼鏡を掛け、黒い詰襟のジャケットを着けた、ジャネット達と同い年くらいの青年が立っていた。ジャケットのボタンは全て留められ、眉間に皺の寄った厳めしい顔付きから、どこか気難しそうな雰囲気を醸し出していた。


「その反応は心外じゃなあ。のう、ハリー?」

「そうですね」

 静かにハリーと呼ばれた青年が頷き、キョロキョロと周囲を伺う。

「……この面々なら、ジョンがいてもおかしくはないと思ったが、どうやら違うようだね」

「アイツはお呼ばれされてないから、探したっていないわよ」

 ジャネットは揶揄うようにそう言う。それを聞いて残念そうに溜め息を付くハリーの傍らで、何故かヴィクターが白目を剥く。彼を見、メアリーが不思議そうに首を傾げた。


「アーバス、ハリー。挨拶が遅れましたね。ご参加頂き、本当にありがとうございます」

 ジャンヌが服の裾を摘み、丁寧にお辞儀する。二人は頭を下げ返し、


「こんな老いぼれをわざわざ呼んでくださった事、こちらこそありがたく思っておりますとも。万一が起こらぬよう、万全の心積もりで『会議』に参加させて貰う所存じゃ」

 アーバス・ダブルドア。英国で最も年老いた祓魔師。蓄えた知恵と技術は世界でも指折りの実力者で、シャーロック亡き後に英国に残された最後の壁――とも言われていた。ジョン・H・ワトソンの師匠であり、ジャネットが学園を卒業後に師事した祓魔師でもあった。


「師匠と同じく、力の限りを尽くします」

 難しい顔のままそう言った青年は、ハリー・ジェームズ・モリアーティ。彼の魔人がまだヒトだった頃に残した一人息子でありながら、祓魔師を目指すジャネット達とは一つ年上の学友だった。


「皆とはシャーロックとワトソンの葬儀以来か。久し振りだ」

 行事的な挨拶を済ませ、やっと表情を和らげたハリーが話し掛ける。ジャネットは少し吹き出して、

「アンタ、緊張し過ぎなのよ。いつまで似合わないしかめ面してるのかと思ったわ」

「……君は相変わらずだな、ジャネット。その軽率さで、どうしてぼくよりも先に皆伝を頂けたんだか……」


 祓魔師が師の下を離れ、一人前となるには師からの皆伝の許可が要る。短くても五年は掛かる筈の修業期間だが、ジャネットは二年で皆伝を受けた。先を越されたハリーは未だに悔しさで歯噛みしていた。


「アタシも良く分かんないけど……、師匠が『良い』って言ったから良いんでしょ」

 ジャネットの軽い口振りに、ハリーは大きく溜め息を付いた。そして、改めてとばかりにジャネットのドレス姿に目を向ける。

「…………」

「な、なによ……」

 狼狽えるジャネットは少しばかり身を引いた。ややあってから、ハリーは軽い咳払いをして、

「いや、こういった場で君の姿を見るのは初めてだが、いつもと変わらず華麗だな――と思って」

 ジャネットは送られた賛辞に目を見張ると、普段と打って変わった自分の恰好を見下ろしてから、ジュネ達に振り返る。その頬は化粧とはまた違った朱で染まっていた。


 彼女は褒められる事にめっぽう弱いのだ。かつて学生時代に恋心を打ち明けられたハリーからのものとあっては、特別な意味も含まれているかも知れない。そう考えた時、彼女は気恥ずかしさで体中がくすぐったくなった。

 そわそわと体を揺らすジャネットを見、ジュネはついニヤリと笑ってしまった。ジョンと違い、ハリーは粋な男だ。気障だが嫌味のない語り口に何度心を浮付かされた事だろう。それも狙って語るのではなく、天然で生まれ出るのだから余計に質が悪い。

 伊達男で洒落男。醸し出す硬そうな雰囲気とは裏腹に、彼は実に罪作りな男だったりする。そんなハリーからの告白を受けながらも、ジャネットはジョンへの想いを捨てられず、その告白に頭を下げた。

 ハリーもそうなるだろうと半ば分かっていたにせよ、当時は強いショックを受けた。しかし、そんな二人の仲に気まずさはなく、兄妹弟子は清々しいまでに互いを尊敬し合っていた。


「なんだか同窓会みたいになっちゃったけど、」ジュネは気を取り直すようにシャンパンを口に含んでから、「こうなると、ジョンとジェーンがいないのが変に思えて来るわね」

「案外その辺にいたりしてねー」

 ジャネットがケラケラと笑いながら、周囲に視線を配る。……やがて窓際に立つ一人の男性に目を止めた。


 額にはヘッドバンド、給仕服に身を包んだ偉丈夫。鋭い目付きが特徴的な男性は、左手にシャンパンを乗せた盆を持ち、周囲に視線を散らしていた。


「ねえ、あの窓際に立っている人だけど……」

ジャネットがジュネとジャンヌ、女子二名の方に腕を回して引き寄せる。

「な、なによ……?」

「あの人がどうかしたのですか?」

「――なんか、カッコ良くない……?」

 斜め上の発言だった。想定外の内容にジュネもジャンヌも体から力が抜けた。

「……貴女って、目付きの悪い人が好きなの?」

「な、なんの事よ……!」

「はあ。まあ確かにジョンはいつも目付きが悪いですからねえ」

「べ、別に今、ジョンは関係ないでしょ……!」

 いつの間にか頬を真っ赤に染めたジャネットが隠すように酒を煽る。その様子にジュネとジャンヌが顔を合わせて笑った。


 女子一同の様子と窓際の男性を見比べ、ヴィクターは何故かまた白目を剥いた。メアリーがそんな彼の姿にまた首を傾げた。

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