8-1.

 翌日、ジョンはホテル内ではなく、その周りの建物に目を向ける事にした。

 残る期日は今日一日。明日には前夜祭が執り行われる。それまでに悪魔襲撃の危険性について結論を出さなければならない。


 早朝から建物の外周を調べるも甲斐かいはなく、開店し始めてからは店員に聞き込みをするも音沙汰はなく、ジョンはホテル同様、悪魔の痕跡を見つける事は出来なかった。

 しかし、その中で別の発見をしてしまった。どうやらホテルの周辺住民はホテルを快く思っていないらしい。聞き込みの最中、愚痴を何度も聞かされたから、随分と余計な時間を喰ってしまった。


 ――マイクロフトの心配は杞憂だったのではないか? 港のベンチに座り、煙草を蒸かしながらジョンは思考する。幾ら悪魔と言え、多くの祓魔師、探偵、更には聖人すら集まる『国際会議』を襲撃するリスクを考えない筈はない。確かに過去の『会議』に悪魔が紛れ込んだのは事実だ。警戒はするに越した事はない。

 襲撃を決行するに、事前準備は必要だ。しかし、その痕跡を見つけ出せない。巧妙に隠されているのか、それとも存在しないのか。ジョンはいつまで経っても答えを出せず、足元に煙草の灰だけが積もっていく。


 そんな彼を馬鹿にするように、ヨットのマストに止まるカラスが鳴いた。ジョンはチッと舌打ちをして、俯いていた顔を上げる。そして、視界へ入って来た港に佇むカラス達の量に思わず目を丸くした。

 宙に黒い絨毯じゅうたんを敷いたよう――とは言い過ぎかも知れない。しかし、そう錯覚してしまっても仕方ない。ヨットのマスト、建物の窓枠、電線、あらゆるところにカラスの、その黒い瞳が光っていた。


 英国とカラスの関係は深い。カラスがいなくなれば、タワーが崩れ、英国は共に滅びるという予言を受けた当代の王が駆除を諦めたのを発端とし、タワーではカラスが飼育されている。その為の役割を与えられた衛士も存在する程だ。

 飼育されているのはワタリガラスと呼ばれる種類で、全長は六十センチにもなる。神話や聖書にもカラスは度々登場するが、それはこの種類だ。


 ジョンはカラス達にジッと見詰められている気がして、段々居心地が悪くなってきた。引き攣った顔のまま、煙草を落として足で踏んで消すと、慌てたように港を出る。

 時刻が既に夕方だから、あんなにカラスが多いのか? ジョンは上空を飛ぶカラスを見上げながらそんな事を思った時、先程まで座っていたベンチの方から声がした。


「よォ、ジョン。それで、調子はどうだ?」

 マイクロフトの声だった。ジョンは溜め息交じりに、

「なんで伯父さんがいるんだ。暇なのか?」

「はッ、替え玉くらい、幾らでも用意出来る」

「…………」

 ……果たしてどういう意味だろうか。ジョンは深く考えないようにして、背後に振り返った。ベンチに座っている姿は、間違いなく伯父のマイクロフトだった。


「……それで調査の結果だけど、ホテルやその周りには何も細工はなかった」

「確かか?」

「僕の調べられる限りでは。ホテルスタッフは既に検査しているのか?」

「ああ、悪魔憑きはスタッフ内に存在しない」


 人や物に細工はない。事前準備がされていないのなら、警戒すべきは当日に突然襲撃がある可能性。どこかで結託し、身を潜ませているかも知れない。しかし、それを阻む為に陸路を制限するのだ。こちらの態勢は盤石と言えるのではないか。


「……よし、なら次は前夜祭だな」マイクロフトが一息ついてから、「お前には明日の前夜祭、給仕として潜入して貰う」

「マジで?」

 ジョンは素っ頓狂な声を上げた。

「変装は007に任せてある。明日、あいつの指示に従え」

「いやいやいや……ッ、待ってくれよ! 僕はそういうの苦手なんだって――」

「お前は動かなくていい。周囲から距離を取って客の動きを観察していればいい」

 なんだそれは? ジョンは自分を置物にしようとするマイクロフトの意図を疑った。

「……本当にそれで大丈夫なのか?」

「ああ、お前が下手に動くと存在がバレるからな。情報収集は007が担当する。お前は本当に何もしなくていい」

「……まあ、それなら」

 ジョンは首を傾げながらも了承した。


「それじゃあ、今日はもう休め。明日は忙しいぞ」

 不安を感じるジョンへの励ましなのか。マイクロフトはそう言い終えると立ち上がり、やがて角を曲がって姿を消した。

 ジョンはなんとも言えない表情で、口をへの字に曲げた。……やがてガシガシと頭を掻いて、ホテルの自室へと戻った。ルームサービスで夕食を頼むと、オリバーがやって来た。


「首尾はいかかでしょうか」

 昨日と同じ質問だった。ジョンは頷いて、オリバーに答える。

「周囲の建物も問題なさそうですね。ホテルの建設の時に何か根回しを?」

「お客様の安全を保障する為です」

 中々に闇を感じる発言だった。周辺住民達から聞かされた愚痴を思い出し、ジョンは思わず顔を引き攣らせた。

 それにしても建設段階からこうも徹底的とは。ジョンは少しばかり驚いていた。今時、悪魔への対策をするのは当然かも知れない。彼らへの恐怖心は人々に刷り込まれているのだろう。それだけ人々は信心深いのだ。


「いよいよ明日ですね。準備は万端ですか?」

 ジョンの問いに、オリバーは深く頷いた。

「ええ、万事抜かりなく」

 彼の表情に自信の深さを感じさせた。ホテルの総力を挙げて前夜祭を開催するつもりなのだ。失敗させるつもりなど皆無だろう。

「ホームズ様も参加されるとお聞きしておりますが」

「あー……、そうですね」

 ジョンは曖昧に答えた。オリバーはマイクロフトから聞いているようだが、全ては聞かされていないらしい。

「お楽しみ頂けると思います。では、また明日」

 オリバーはにこやかに挨拶し、部屋を後にした。ジョンはそれを見届けてから、夕食に手を付けた。


 明日から始まる『会議』に大きな不安を抱きながら。

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