6-5.

 体から違う――。ジョンがムサシと相まみえて感じた彼との差。全身に必要なものが必要なだけ備わっている。無駄のない体躯に研ぎ澄まされた体動。生半可な年月では辿り着けない実力と裏付けされる経験値。くぐって来た死線の数が、自分と彼では圧倒的に違う。


 その差に、ジョンは笑う、哂う、嗤う。目の前の敵を超えた先に、今とは違う自分がいる。敵が魅せる未知の技、その数々。全てが経験、知恵となり、それらが自分を強くする。成長、その躍進を実感する事を止められない。


 ジョンが格闘に於いて高い技術を誇るのは、その全てを身に受けて来たからだ。相手が繰り出す技の数々、その細部全てを見逃さない。脚運び、手の形、重心の位置、意識や視線の動きなど、ジョンは一瞬の中で得られる情報をより多く取得しようと試みる。得た情報は自身の糧になり、敵の隙を見出す。高い集中力と洞察力は、彼が常に意識している事であり、それは父から学び取ったものだ。


 何より、胸躍るのだ。強い相手と戦う事に悦びを見る狂気に、彼は酔い痴れる。


「楽しいか」ムサシもまた、ジョンに笑みを向ける。同じ狂気を身に纏い、剣士は鞘を両手で掴み、上段に構える。「俺も同じだ――」


 体が沈み、落下を跳ね除けて前に進む。地を擦るような脚運び。踏み込んだ足の踵の後ろには逆の足の爪先、それは後退や更なる前進を容易にする為の歩法。顔の横にある刀身、縦に振るうしかないであろう射線を幻視する。しかしてそれは右の手か、左の手か? それとも両手で振り下ろすのか。

 敵の動きを予測、予想、想像、未来視、幻視、幻覚、虚像、察知する。一つ違えば命を落とす。一つ惑えば命を脅す。一つ迷えば命を止める。極限の選択肢とその先にある活路を見入る。その繰り返しの先にあるモノに喰らい付いてやる。


 ジョンはムサシが鞘を振り下ろす――その一瞬前に走る「敵意」の閃光を知覚し、それと同時に前に出る。鞘の間合いの内側に入ると、振り下ろされるムサシの右手首を、掲げた自身の右前腕で受ける。

 互いに空いた左手。拳を作り、それは敵に向かって突き出された。ジョンの方が僅かに速い。しかし、彼は拳を敵の体には向かわせず、加速し切る前の敵の拳を自身の拳で突き崩した。

 敵の視線――、自分の顔。意識は右手に握る自身の鞘――。情報収集、取捨選択。同時、多角的に状況を判断し、最適解の行動を選択する。

 積み重ねた鍛錬によって研磨された肉体が魅せる速度。――しかし、それを超える思考の速度こそが彼の得物。

 翻った鞘がジョンの体を打つよりも早く、真下から伸びる彼の右脚がムサシの顎を貫いた。

 堪らずムサシが仰向けに引っ繰り返る。ジョンは更なる追撃をせんと前に出るが、体を回して闇雲に振るったムサシの鞘がそれを阻んだ。


「嗚呼……、ふむ」

 膝で立ち、鞘を地に突いて体を支えるムサシが胡乱な目付きのまま、呟く。強かに顎を打たれ、脳が揺れている。そんな状態であっても、彼はどこか冷静さを保っていた。

「あの近間で蹴りを浴びせて来るとは。素晴らしい身体だ、小僧」

「…………」

 闇雲に振るった筈のあの一刀、しかしアレは確実に自身の首を狙っていた――。ジョンはムサシの言葉に答えず、そんな事を考えていた。

 膝立ちの状態の敵に詰め寄れないのは、あの冷静さと、しっかりと自分を見詰め返して来る強い瞳の所為だろうか。脳震盪の状態に慣れているとでも言うのか。隙と見て踏み込んでも、即座に切り返してくる――ジョンは自身に襲い来るそんな予感を拭えず、前に出られなかった。


 やがてムサシはのっそりと立ち上がり、ジョンから離れて刀を手に取ると、鞘にしまった。

「なんだ、終わりか?」

 ジョンが言うと、ムサシは笑った。

「いやなに、俺はまだ続けてもいいのだが、うるさいお目付け役が来てしまったのでな」


 そう言って、ジョンの背後に視線を向ける。ジョンは振り返り、後ろにコウスケが立っていた事にようやく気付いた。

「欧米人がこうも野蛮とは。自分はどうも勉強不足だったようだ」

「……いや、それは誤解だ」

 苦しい言い訳だとジョン自身も思った。コウスケもそれを分かっているのか、「はあ」と吐息とも似付かない声を出した。


「あまり一人で動き回るなと、皇女にも言われているだろう。お前は物騒だからな」

「酷い物言いだな」コウスケの言葉は効いていないようで、ムサシは相変わらず呵々と笑う。「俺は俺だ。それはあの女も承知して、それでも俺を呼んだ筈だぞ?」

「そうかも知れないが、これは外交問題にも発展し兼ねない。そうなった時、さすがのお前でも生き残れないぞ」

「ハッ!」ムサシは声を上げて笑み、目をギラギラと光らせる。「それはそれで修羅の道。なかなか楽しそうではないか」


 もはや狂気だ。ジョンはそう思った。ムサシの瞳の輝きから、彼の発言が冗談ではない事が伺えた。例え国を敵に回しても、自分は生き残れると、本気でそう信じている。


「お前はそうかも知れないが、最も困るのは皇女とその周りの人間だ。弁えてくれ」

「ああ、胸に留めておこう」

 心にもない言葉だと、コウスケは思った。また仕方なさそうに溜め息を零した。そして引き摺るようにして、ムサシと共にホテルへと戻っていった。

「小僧」その最中で、ムサシがジョンに振り返った。「願わくば、次は刀を握らせてくれ」

「…………」


 忌憚なく、遠慮なく、慢心なく。この手に刀を握って、殺し合いを。ジョンはムサシの発言にゾッとした。それは宮本ムサシという人間が歩む世界を物語っていた。彼の世界では命の遣り取りが当たり前なのだ。近所を散歩するような気楽さで、彼は彼の全てを以て刀を振るう。


 自分に、誰かを殺すような覚悟はあるのか。ジョンは拳を握る。人間を殺す事と悪魔を倒す事は全く違う。善悪の有無、是非の所在。


 いつか自分の力が、誰かを殺すような日が来るのだろうか。


 考えた事もなかった問いが、自分の中から零れた。それを小馬鹿にするように、一羽のカラスが鳴いて飛んでいく。ジョンはそれを目で追いながら、やがて溜め息をついた。

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