6-2.

「おや――」上品な声だった。女性が少し目を丸くして、ジョンに振り返る。「こんなに流暢な母国の言葉を、この国の人から聞けるとは思いませんでした」


 彼らが話すのは東の果てにある皇国の言葉だった。


「母が皇国から来た人でしたので」

 ジョンは素直に受け応える。母親と言葉を交わした事はないが、遺された本や皇国語に馴染みのある父から彼の国の言葉を教わっていた。「流暢な――」というのはお世辞だろうけれど。


「この辺りで料理の美味しいパブはないかと、相談していたのですが……」

 女性はチラリとホテルスタッフを見る。やはり彼に言葉が伝わらず、難儀していたのだろう。

「申し訳ない、少年。私の英語は何せ付け焼刃でね。彼に通じず、どうにも困らせてしまったようなのだよ」

 白いスーツの男が、ハットを胸に抱えて頭を下げる。背中を向けていたので見えなかったが、彼は口元に髭を整えていた。ジョンはそれを見て、何故だか余計に彼を胡散臭く感じた。

「パブですか」ジョンは頬を掻く。「パブなんて、貴方達の行くような上品な場所じゃないですけどね……」


「……君は自分らをどう見る?」

 ジョンの言葉に、急に目付きを鋭くした。坊主頭の男が一歩前に出る。


 ジョンは彼を見、彼の中の敵愾心てきがいしんを見る。一度息を吐いてから、

「皇国の人は珍しいものですから。それに今は『国際会議』が迫っている。もしかしたら『会議』に参加する王族の方々ではないかと考えたのですが……、邪推でしたか?」

 ジョンは言いながら、女性が王族、そして白スーツの男が探偵、坊主頭の男がその助手、そして大柄の男が祓魔師だと推測した。

「いえ、当たりですよ」誰かが口を開く前に、女性が笑みを浮かべながらそう言った。「わたくし達は『国際会議』に参加する為に参りました。……この事は秘密にしてくださいね」

 口元に指を立て、小さくウインクをして見せる女性。ジョンはその悪戯な仕草に困惑した。皇国の人達がそういった冗談を掛けてくるとは予想していなかった。彼の国の女性は慎み深く、前に立つような真似はしないと聞いた事があるからだ。


「はっは」白スーツの男はジョンの様子を笑う。「皇女は初めての海外旅行に浮かれているようだ。これはしっかりと手綱を握っておかなくてはなあ」

「おや?」その言葉に、女性の目付きが一変した。「聞き捨てなりませんねえ。わたくしをじゃじゃ馬扱いなさるおつもり?」

「ああ……、皇女。申し訳ない」坊主頭の男が、白スーツの男が何かを言う前に彼を押し退ける。「師は礼節を弁えておりませんので。あとで十分に教え込ませておきますので、この程度の軽口は聞き流して頂きたく思います」

「……お前こそ、師に対する礼節がないんじゃないかな?」

「自分はあんたを人間としては敬っていない」

 厳しい表情でそう言い除ける坊主頭の男の言葉に、白スーツの男は唖然と口を半開きにした。


「ああ、そうそう。わたくし達、名乗っていませんでしたね」女性がパチンと手を鳴らした。「わたくし、水無月アジサイと申します。以後、お見知り置きを」

 そう言い、礼儀正しく頭を下げた。深く長い礼に、ジョンは少したじろいだ。

「わたしは明智コゴロウ。しがない探偵だ」

 白スーツの男はハットを片手に大仰に手を広げ、そして腕を畳んで深く礼をした。

「……金田一コウスケ。この男の助手を勤めている」

 坊主頭の男は短く言った。不機嫌そうなのは、隣に立っていたコゴロウの広げた腕が自分の顔にぶつかったからだ。


 そして最後の男は名乗る前に、「ふむ」と何か納得したかのような呟きを漏らした。

「小僧、これを如何にする――」


 ジョンは男が左腰の棒に右手を置くのを見るや、凄まじい圧力を感じ、咄嗟に背後へ跳んだ。


 スッ――と、何か空気が動いた音を幻聴した気がした。ジョンは一瞬前まで自分がいた位置に、銀色に鈍く光る刃物があるのを見、ドッと汗が噴き出た。

 細い、力を加えれば折れてしまいそうな薄い刃。それなのに恐怖が湧く。その切っ先を自身に向けられ、ジョンはそれをジッと睨んだまま動けなくなった。


「ほう、速い。俺が抜く前に跳んでいたな」

 男は心底面白そうに笑み、刃物を腰の筒に収めた。棒だと思っていた物は、その刃物を収納する為の筒だったようだ。


「ムサシ、貴方、何をしているのですっ」

 アジサイがその顔立ちからは想像出来ないような金切り声を上げた。男は「まあまあ」と言った様子で諸手を上げ、

「この小僧、俺らに話し掛ける以前から俺を警戒していた。中々の強者だと思うてな。つい確かめてみたくなった」

「『つい』で他人にカタナを向けるものですかっ」


「俺はお主らと違い、育ちが悪いものでなあ」飄々と笑う男は、ジョンの方へと向き直った。「すまんな、小僧。俺は宮本ムサシ。刀を振るうしか能のない男だ」

 ムサシは笑みと共に手を差し伸べた。ジョンはその手を握るか否かをしばし悩んだが、やがて手を伸ばして彼の手を握った。


「……良い手だ」

 ムサシは満足そうに笑い、ジョンの手を離す。ジョンは言葉の意図が分からず、眉をひそめた。


「傷の数が経験を物語り、厚くなった皮膚が鍛錬の密を教え、握り返す力が鍛えられた体を示す。……小僧、願わくば手合せをしたいものだ」

「……あんた、何者だ? 正規の祓魔師じゃねえだろ」

 ジョンの口調が警戒のあまり、思わずいつものものになる。ムサシは大して気にもせず、片眉を上げて見せる。


「俺が祓魔師とな。まさか。俺はそんなまっとうな者じゃあない。ただ――」ムサシが刀の柄頭に手を置く。「人と同じように、鬼が斬れる。何者であれ、斬ればそれは死ぬ。道理だろう?」


 鬼――それは皇国に於ける「悪魔」の呼称。ジョンの目の前にいる宮本ムサシという男は、祓魔師でもないのに悪魔をその手に握る刀で斬って見せるのだと言う。

 あの刀にどんな神聖性があるのか。だが彼は、自分は祓魔師でないと答えた。祓魔師でもない者が悪魔を祓えるほどの刀剣を持っているだろうか。それとも彼の国ではそんな剣がゴロゴロ落ちているのか。ジョンは皇国の内情に詳しくない――と言うか、それについて詳しい者がどれほどいるのか。


 皇国は現在、『鎖国』という制度を敷き、他国からの入国を一部地域を除いて完全に拒絶している。故に皇国の情報を耳にする事は極めて少なく、それも真実かどうかを判断出来ないものばかり。皇国の実在すら疑問視する人もいる。英国と彼の国との繋がりは、そのくらい薄いものになっていた。


 ジョンが多少なりとも皇国の服装や言葉を知っているのは、両親からの影響だ。これらが助けになる日が来るとは思っていなかったが。

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