6-1.

 ザ・タワー・ホテルはジョンの常識をはるかに超えた建物だった。

 金色の装飾がされた回転扉を抜けた先にあるロビーで、ジョンは思わず息を呑んで立ち尽くした。


 黒と白を基調としたそこでまず目に飛び込んでくるのは、吹き抜けとなった空間に鎮座する巨大な光り輝くシャンデリアだった。磨き上げられた大理石の柱や床が、シャンデリアが発する光を映し、まるで夜空の星のようだった。中心には大階段があり、客人達を出迎える為に鎮座している。その両脇にラウンジがあり、高級そうな衣服を着込んだ男女が和気藹々と何やら話し込んでいる。それを超えた先にフロントがあり、皺一つないシックな制服を着たスタッフが隙のない丁寧な動作で客を案内していた。


 場違いなところに来てしまった。ジョンは額に汗を浮かべながらも、なんとか意識を取り戻してフロントへと近付いた。

「あの、すみません」

 ジョンは恐る恐るスタッフに声を掛ける。声が緊張しているのを自覚し、情けない自分を殴りたくなったが、我慢した。恐る恐るマイクロフトから手渡されたカードを懐から取り出すと、

「コレなんですけど、なんだか分かります?」

 カードを受け取ったスタッフは困惑顔でジョンとカードとで視線を行き来させた。彼女には未知の物だったのか、「少々お持ちください」と頭を下げ、別のスタッフの下へ移動する。どんどんと膨れ上がっていく困惑の雰囲気に、ジョンは不安になった。もしやマイクロフトに騙されたのではと悩み始めた頃に、ジョンのカードを持って一人の男がやって来た。


「ジョン・シャーロック・ホームズ様ですね。お話は伺っております。わたしは当ホテルの総支配人を務めております」

 毛先がうねったマッシュヘアーが特徴的な男は、オリバー・サイクスと名乗った。

ジョンは彼に鞄を預け、後に続く。すると、エレベーターホールに出た。そのままエレベーターに乗り込んだ。


 ジョンがオリバーに案内されたのは地下階で、そこは一般客が訪れないスタッフ専用のエリアだった。特にエレベーターホールの真下はホテル内の機械を動かす発電設備を管理する為のエリアで、電装に詳しい数名のスタッフしか出入りしない。

 大きな配電盤や分電盤が棺桶のように立ち並ぶフロアを突き抜けると、長い廊下に出た。ここは常駐のスタッフが寝泊まりする施設らしい。その一番奥の部屋に、ジョンは通された。

 スタッフ専用とは言え、部屋の造りは高級ホテルの名に恥じない豪奢なものだった。中央に鎮座するシングルサイズのベッドは今までに体感した事のないくらいの弾力。カップボードにある陶磁器、デスクやソファーも見るからに質の良い物ばかりが揃っていた。地下なので窓はないが、そんな事は気にする余地もなかった。


「先程も申しましたが、M様よりホームズ様の事情は伺っております。『国際会議』前夜祭までの間、当ホテルのセキュリティーチェックを行って頂けると」

 その通りだと、ジョンは頷いた。

「とりあえずホテルの見取り図を用意して頂けますか?」

「はい、すぐに取りに戻ります。他にご用件は?」


 ジョンは考え、スタッフエリアにも入りたいのでその認否を求めた。オリバーはジョンが持つカードを入りたい場所の傍にいるスタッフに提示すれば良いと答えた。

 やがて戻って来たオリバーから見取り図を手渡され、ジョンはデスクにそれを広げた。しかし全二十階にもなる建物の図だ。デスクの上に収まり切らず、結局床に広げる事になった。

 方角や配置など悪魔にとっての隙になりそうな場所にペンで丸を付ける。箇所はそれ程多くない。特に上層階は徹底されている。それはつまり階が高くなるほど金持ちが泊まるという事だろう。そこに対し感想を持たないように努め、ジョンは自分の目で確認しに行こうと見取り図を持って部屋を出た。

 最上階に向かい、前夜祭が開かれるという大広間に入る。中は既にテーブルなどの配置がされ、細かい装飾などは残っているかも知れないが、後は料理の配膳を待つといった状態だろうか。作業をしているスタッフに妙な物音や不審なモノを見掛けていないかを聞いて回るが、皆心当たりはないようだった。

 ジョンは各階を同じように見て回るが、嬉しいやら悲しいやら、その甲斐はなかった。既に建築段階から有識者から何かしろの助言を受けているのだろう。ジョンはホテルの外へ出て、外周の状況を調べる事にした。

 エントランスの回転ドアを開け、目の前に広がるロータリー。多くの馬車と人とで込み合う中、何やらやけに目立つ四人組がいた。


 黒い髪に同じ色、若しくは茶の瞳。見慣れぬ衣装に聞き慣れぬ言語。外国からの客だと一目で分かる彼らを周囲の人々は遠巻きにしていた。ジョンは訝しむと同時に好奇心が湧き、彼らの下へ近寄ってみる。


 長い黒髪を後頭部で丸く結わえ、金色の簪で纏めた小柄な女性。淡い藍色に蝶の模様の入った、この国では見る事のないであろう「和服」という民族服を着ていた。

 残る三人は男性。一人は黒髪をオールバックに固め、白いハットに赤いネクタイ、そして白いスーツに全身を包み、片手に杖を突く男。最も目立ち、そして同時にどことなく胡散臭さを感じた。

 もう一人はさっぱりとした印象の男。七三に分け、ラインの入った坊主頭、シンプルな黒の作務衣と袴姿といった姿からだろうか。背筋を伸ばした立ち姿も印象的だった。

 最後の一人は、物々しい雰囲気を全身から醸し出す男だった。筋骨隆々にして傷だらけの見るからに血気盛んな大柄の体、鋭い三白眼、手入れのされていないボサボサの黒髪と髭、深い青の作務衣を紐で結んで肩や脛を晒す様は活動性を重視する故だろうか。腰の帯には細長い棒状の何かを差していた。


 ジョンは特に最後の男に注意と意識を向けながら、彼らに近付く。何やら四人で今夜の食事をどうするかを相談し、似合う場所をホテルのスタッフに尋ねているようだった。

 しかし、質疑を受けるスタッフは困惑顔で、額に汗を浮かべていた。その理由は四人が話す言語だった。


「どうかしましたか」

 ジョンは一度咳払いをして、片言で彼らに話し掛けた。

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