5-7.

「そうだ、伯父さん。話が一段落したところで、ずっと言っておきたかった事があるんだ」

 ジョンは言って、立ち上がった。怪訝そうにマイクロフトは彼を見る。


「なんだ、どうした」

「伯父さんは親父とワトソンとジェーンの葬儀から埋葬まで、何から何まで全部やってくれた。僕とジャネットが本当はやらなくちゃならない事だったのに、あの時の僕らにそんな余裕はなかった。……だから、感謝してる。ありがとうございました」

 そう言ってジョンは、深々と伯父に向けて頭を下げた。マイクロフトは彼のそんな姿を見て、やや慌てるように、

「いや、いいんだ。弟とその友人と娘の為だ。当然の事だよ。それに――」マイクロフトはどこか遠い目をして、「お前達の悲しみは、わたしには想像も付かない程深いものだ。わたしはむしろ、それぐらいの事しか出来なかった」


 心が離れてしまったかのようなジョンとジャネットの姿を思い出す。見ていて胸が締め付けられるようだった。マイクロフトは二人に何かを伝える事すら出来ず、自分にこれほどまで揺らぐ心がまだあったのかと驚く程だった。彼は葬儀に対する事務的な通達しか二人に出来ず、それを悔いていた。


「いや、いいんだ。伯父さんには本当に助かった。ジャネットの分も含めて、重ねて礼を言うよ。本当に、ありがとうございました」

 再び頭を下げたジョン。マイクロフトはしばし呆然とその姿を見、やがてジョンの肩を叩く。

「頭を上げてくれ、ジョン。礼なんかいいんだ。父親の葬儀なんてお前達の歳でやるような事じゃない」

「そんなの問題にならないよ」ジョンは少し微笑む。「僕の義務だった。それを代わってくれたんだから、伯父さんにはやっぱりお礼を言わないと」

 マイクロフトはジョンの微笑みを見詰め、口をへの字に曲げたなんとも言えない複雑そうな顔をした。気を取り直すように咳払いをして、


「それではジョン、頼んだぞ。これはせめてもの手助けだ」

 マイクロフトは懐から何やらカードを取り出し、ジョンに手渡した。彼はそれを繁々と眺める。手の平に収まるほどの黒塗りのカードを光に透かすと、「Military Intelligence 6」の文字が見えた。

「これは、どうすれば……?」

「そのカードを見せれば、ザ・タワー・ホテルに宿泊出来る。他人と接触出来ない、特別な部屋だ。費用はこちらが持つ。周辺の商業施設でもそれを見せれば、多少の無理は効く。お前だから大丈夫だと思うが、あまり調子に乗って使い過ぎるなよ」

 厳しい目付きでマイクロフトに睨まれるも、ジョンは面白そうなおもちゃを手に入れた子供のような顔を隠しもせず、「はいはい」と適当な様子で頷く。コートの懐にそれを収めると、服の上からポンポンと叩き、ニィッと笑って見せる。……マイクロフトは溜め息をついた。


「じゃあ、行くよ。伯父さん、いい話をありがとな」

「はッ」マイクロフトはジョンの言葉に笑みを飛ばす。「いい話かどうかはこれからだ。お前の健闘を祈っているよ」

 心からな――。立ち去っていくジョンの背中を見詰めながら、マイクロフトは胸の中でそう呟いた。


 やがてジョンを送ったボンドが戻ってくると、マイクロフトはまた葉巻に火を点けた。

「……楽しそうで何よりでございます」

「楽しそう?」マイクロフトが怪訝そうに眉を上げる。「俺がか?」

「ええ、少なくとも小生にはそう見えました」

「……ふン。まあ、あいつの元気そうな顔を見られて、安心したのは確かだ」


 マイクロフトはしばし煙を弄び、やがて口を開いた。

「あいつは上手くやると思うか」

「さて……」ボンドは首を振った。「不安な要素の方が多いと、小生は思います」

「ふン、そうだろうな」

 マイクロフトはくつくつと笑って、膨らんだ腹を揺らした。

「本当に手助けはしないお積りで?」

「それはあいつ次第だ。必要に応じて、使ってやるさ。それまでは静観だ。お前も余計な気は起こすなよ」

 マイクロフトはキッとボンドを睨む。ボンドはその視線に重々と頷く。しかし、マイクロフトは鼻で笑った。


「どうだかな。お前、あいつの前に姿を出したろう」

「はい」

「俺の許可もなくそんな事をするなんて、お前らしくない。あいつの事が気に入ったか?」

「そう、ですね――」ボンドは言葉を選ぶようにした。「見ていて気持ちのいい御仁です」

「はッ。気持ちは分かる。だが油断するな。あいつは――、人間じゃない」

「と、言いますと……?」

 戸惑うボンドに、マイクロフトは怪しい笑みを浮かべた。


「言葉通りさ。あいつの父親も人間じゃなかった。その息子だってヒトとはかけ離れたカタチをしている」

 いっそ忌々しそうにマイクロフトは紫煙を吐く。

「あいつは歪みなんだ、この世界にとってな。その歪みは薬にもなれば、毒にもなり得る。そして一番問題なのは、自分がそうである事にあいつ自身がまだ気付いていない。あいつは父親に何を押し付けられたのか、キチンと理解していない」

「……貴方からお教えする訳にいかないのですか」

「はッ、俺か。……それは俺の役目じゃない。それが出来たのはあのバカ以外にいなかったんだ」マイクロフトは顔の前に手を組むと、何度も握り締めた。「俺の口から聞いたところで、ジョンは信じんだろうよ。今となったら、あいつが自分でそれを知る以外にない」

「…………」

 ボンドは理解出来ないと言わんばかりに、その端正な顔を歪めた。マイクロフトは唾を吐くように言葉を続ける。

「あいつは人間じゃない。ただの武器、ただの装置だ。何をしでかすか分かったものじゃない」

「しかし先程、信頼していると――」


「あア――」マイクロフトは笑う。その顔は甥を想う伯父ではなく、国家の為に闇を背負うと決めた男の顔。「あいつの『武器』としての性能を信頼しているだけだ。あいつは本当に悪魔共に効くからなァ。そうでなければ、幾ら身内だろうとて、あんなガキを使うものか」


「…………」

 ボンドは――顔を無表情に固めた。そうだ、彼はこういう男だった。目の前にいるのは自分が付いて行くと決めた男、その真の姿。例え何を犠牲にしようとも、大いなるモノの為に全霊を尽くすと誓った彼にこそ、自分はこの国の未来を見た。

「使える限り、使ってやるさ。この国――、親愛なる女王の為にならんと見たのなら、消すだけだ。俺達が立っているのは、そういう所なんだよ」

「……御意」


 意思は無く、想いを消して。自分も一様にただの道具。「ジェームズ・ボンド」という名を受け継いだだけの男は、恭しく頭を下げた。

 だが貴方は彼にあのカードを渡した。そんなつもりはなかった筈だ。それは――貴方が甥に負う、ヒトらしい罪悪感からだと、信じてしまっても良いでしょうか。

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