5-6.
「先に言っておくけど、」ジョンは前置きし、マイクロフトを睨むようにした。「もし会場で何かがあった時、僕は飛び出さない自信はないからな」
「…………」
マイクロフトは黙って手を組んだ。彼が何を伝えたいのか、ジョンには聞こえた。しかし、無視する。彼は彼の意思を曲げない。
――「皆、助けるに決まってるだろうが」。かつての自分が放った言葉。自分に、そして父に誓った魂。それを曲げたら、自分は自分でなくなるだろう。
「……全く、そっくりだな」
「あン?」と眉を上げるジョンに、マイクロフトは溜息と共に小さな笑みを向けた。
「お前の頑固で意固地なところが、愚弟にそっくりだと言ったんだよ」
ジョンはその言葉を聞いて、大きな舌打ちを飛ばして頭を掻いた。
「……で、いつどこに行けばいい。そういえば、さっき会場はこの国になったって言ったよな」
「この国で最も強固な防御を誇るのはどこだと思う」
「……タワーか」
英国を流れるテムズ川。そこから攻め入る敵から都市を守る為に、時の王は要塞を築いた。その名残が今に残る塔――通称、ロンドン・タワーである。
強固な城壁に囲まれた内部には宮殿、礼拝堂、武器庫の他に処刑場などがある。一部は観光として立ち入る事も出来るが、ほとんどの部分は衛兵達に守られている。
「『会議』は内部の宮殿を用いる。開催中はタワー・ブリッジも上げ、交通を遮断する」
「そこまでするのか……」
タワーのすぐそばにはタワー・ブリッジと呼ばれる可動橋があった。二百メートル超の川を横断するに必須であり、その橋が上げられてしまえば、大きく回り込むか泳いで渡るかしかなくなる。
「何が起こるか分からんからな。通行規制、立入規制、規制、規制、規制――。タワーには関係者以外を一切近付けられないようにする」
徹底的にやるのだろう。ジョンはマイクロフトの目から厳重さを感じ取った。
しかし、そこまでやったとしても、どこかに抜け穴は必ずある。悪魔はそういった盲点に忍び込む。ジョンはそれを探さなければならない。
「なんにでも罠はある……」
「その通りだ」マイクロフトはジョンの呟きに頷きを返す。「全て敵だ。そう思え。他国の連中も、『教会』も、政府も――我々も」
ジョンは視線を下げる。マイクロフトの重い声を聞く。
全て敵か――、なるほど。僕は一人で動けと。現地での援助や支援は期待出来ない。僕と『MI6』が関わっている事すら感付かれてはならない。
「前夜祭はタワーと道路を挟んで東側にあるホテルで行われる。聞いた事あるか、『ザ・タワー・ホテル』と言う名のホテルだ」
「ああ――」ジョンは宙を仰ぎ、記憶を探る。「……確か最近出来たホテルだったよな。英国内で最も高さのある宿泊施設だ――とか、良く分かんねえ宣伝を聞いた事がある」
「それだけじゃない。地下に発電施設があり、例え首都が停電したとしても独立して機能する」
「ホテルのどこで前夜祭が?」
「最上階にあるホールだ」
なるほど、それは好都合。高さがあるのなら、周囲の建物から内部の様子は伺えない。狙撃やラペリングによる突入などは考えなくていいだろう。
ジョンは一つ一つ選択肢を頭から削除していく。彼は情報を集め、あらゆる選択肢を少しずつ狭めて出来る限り一つにまで絞り込む。シンプルであればあるほど、動き易いと考えているからだ。
「いつ始まる」
「今週の土曜日。国によっては既にこちらに移動を始めているだろう」
今日は日曜日だから――、残り七日。一週間後には『国際会議』が始まる。ジョンはその事実に愕然とした。
「嘘だろ……、そんなすぐにか。よくそこまで秘密にしておけるな」
「はッ、規制、管理は『教会』の十八番だからな」
それしか出来ないと言っても過言ではないと、皮肉を口にするマイクロフト。ジョンはさもありなんと頷いた。
「お前は前夜祭の間までしか会場内に入らせられない。『会議』が本格的に始まったら、警備のレヴェルはより一層上がる。だから、お前に残された時間は、今日を含め残り七日間しかない」
ジョンはマイクロフトの言葉に溜め息をついてから、さて――と呟いて、自分に課せられた仕事を振り返る。
ザ・タワー・ホテルにいるかも知れない悪魔の探索。
ジャンヌ・ダルクが『教会』内派閥のどちらにつくのかを詮索。
両者を七日間以内に、それも自分の存在が判明しないようにして調べなければならない。
成程、いよいよ無茶だな……。ジョンはしかし、断ろうとする選択が自分の中にない事を知っていた。
何かが変わる気がした。そうであれと願う想いかも知れない。それでもいい、自分が目的に向かっているのだという確かな感触が欲しい。
――『怠惰』。ソレに導かれる先に待つモノを、ジョンは望んでいる。
「俺はお前を信頼している」マイクロフトは手を組み、「お前に期待している。しかし同時に不安もある。俺はお前に、お前の動き次第で国家が揺れるような惨事を生み出しかねない任務を与えた。そうなった際、我々はお前を助けない。無関係だとお前を見捨てるだろう。お前は自分の力量を勘違いした親の七光りだと揶揄されるだろう。お前の探偵としてのキャリアが終わり兼ねない。それを分かっていて、俺の依頼を受けてくれるんだよな?」
「…………」
ジョンは叔父の顔を見詰める。厳しい無表情の向こうに、甥を想う瞳の揺れを見た気がした。……ジョンは目を閉じ、それを勘違いだと思う事にした。
――甘えるな。ジョンは自分に言い聞かせる。
不安はある。本当に自分にこの任がこなせるかどうかは分からない。真実、分からないのだ。自分という第三者が『国際会議』に紛れる事で起こる余波。それすらも予想が付かない。
だから、出来るのかどうかではない。自分がやりたいのかどうかで選んだ。意思で、心の声で答えた。
「はッ」ジョンはだから、牙を見せる。強がるように、自分を嘲るように。「僕はバカなんだろうよ。普通はこんなリスキーな事しねえんだろうなァ」
けれど――、『怠惰』。その存在だけは譲れない。自分から全てを奪った大悪魔ベルゼブブ。彼に辿り着く一歩となるかも知れないと考えたら、自分は止まらない――止められない。
僕はいつだって衝動で生きている。魂は正しい方向を歩んでいると信じながら。
「僕はやるよ。大した事じゃない。要はバレなきゃいいだけの話だろ? それだけなら、普段やっている事と同じだ」
「――――」
マイクロフトは対面するジョンに分からぬように息を呑んだ。目の前にいる男が、どこか弟に重なって見えた。
最強の探偵と謳われた弟。彼も物事を単純化する事で活路を見出していた。その時の口振りと、今のジョンの言葉が似ていた。
奇策を用い、自分の常道へと敵を導き、それを貫く。シャーロックの歩く道はしかし、途絶えた。息子を救い、自身の名を重責として彼に残した。目の前にいるジョンに今も重く伸し掛かっているだろうそれは、彼にとって足枷となるか否か。
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