5-3.

「で、『MI6』のお偉いさんが僕みたいな新米探偵になんの用だ?」

 マイクロフトは動きを止め、ジョンに値踏みするような目線を送る。

「なんで俺がお偉いさんだと判断した?」

「あァ?」ジョンのその質問の意図が分からず、怪訝そうな声を上げる。「こんな良く分かんねえ術を使う奴を部下に持ってるんだぞ。それなりの地位と権利がなきゃ出来ないだろう」

 ジョンは親指で自分の背後、部屋と階段を繋ぐ扉の前に立つボンドを指す。

 マイクロフトはジョンの言葉に、詰まらなそうに紫煙を吐いた。

「その程度の推測か。まったく――ガキだな、お前は。まだまだ思慮が足りんよ」

「あン?」ジョンが前のめりになった。「言ってる事がさっきと違うじゃねえかよ。記憶力が足りねんじゃねえのか、糞ジジイ」


 そして黙ったまま紫煙を燻らし、睨み合う二人。……やがてマイクロフトがニヤリと悪戯っぽく笑った。


「喧嘩っ早いのは相変わらずか、ジョン。困ったもんだ。まるで若い時の愚弟そっくりだ」

 面白そうに語るマイクロフトの言葉は、ジョンにとってこの部屋に入ってから最も機嫌を悪くする一言だった。彼は派手に舌打ちを飛ばすと、口から離した煙草を力任せに灰皿に押し潰した。

「変わらないなあ、お前は。十年経っても、俺にとっては可愛い甥っ子だよ」

「うるせえ。似合わない台詞を言うんじゃねえよ」

 眉間に皺を寄せ、歯を見せて唸るジョンの姿にしかし、マイクロフトはその顔付きに似合う柔らかな笑顔を向ける。へそを曲げる甥っ子は、伯父にまた舌打ちを飛ばした。


「ま、俺が上の立場にあるのはお前の推測通りだよ。俺は今、『MI6』の長官の地位にいる」

「……上の立場っつーか、一番上じゃないか」

 異端審問会長官に呼び出しを受けた探偵。ジョンは今の自分の状況を再確認し、青褪あおざめる思いだった。一体自分が何をしたのか。心当たりは色々あるが、こんな事態を招くとは思いもしなかった。


「俺は探偵としてのお前に依頼がある」


 空気がその一言で一変した。ジョンは訝しんで眉を寄せる。

「……なんで僕なんだ? 僕よりもずっと実績があって、経験の多い探偵なんて幾らでもいるだろう」

「そういう奴らは当てにならん。『教会』にどこまで手懐けられているか分からんからな」

「まあ、『教会』とは仲良くしておくにこした事はないからな」

 そう言うが、ジョンの口振りには関心のなさが伺えた。


「そう、探偵は『教会』には逆らえん。何せ最大の仕事相手であり、取引相手だ。自分の報告が受け入れて貰えなければ、まともな報酬も評価も得られん」

 マイクロフトの言葉に、「もっともだ」とジョンは思う。

 巷の怪奇現象が悪魔に因るものか否か。探偵の最たる目的とはそれを判断する事だ。


 ジョンのように悪魔とは無関係の小さな事件と出会う事の方が圧倒的に多いにしても、探偵が「探偵」として評価と実績を得られるのは、「判断」の成否だ。その判断はやがて『教会』の下へと届けられ、彼らの采配により祓魔師の派遣が決定される。

「だが、『教会』と折り合いの悪い探偵からの報告は、『教会』に無視される傾向がある。それは何故なんだろうな?」

「…………」

 それは知らなかった……。ジョンはマイクロフトの口から零れた言葉にしばし呆然とし、伯父の含み笑いを見詰めていた。


「そういったフクザツな事情があり、探偵は大体『教会』に胡麻を擦っている。俺の依頼はそんな奴らには出来ない案件なんだ」

「で、奴らとは相性の悪いだろう僕をここに呼んだ……と?」

「それだけじゃないがな」マイクロフトはまた笑う。「個人的な理由だよ。お前は身内だからな。俺の一方的な信頼だ」

「伯父さんはそういうの、当てにしない方だと思っていたけどな」


 一瞬、空気が張り詰めた気配がした。ジョンだから分かる程度の僅かな緊張感。彼は他人のそういった不穏な気配に敏感だった。


「……まあ、僕に頼みたい理由は分かったよ」ジョンは気配の変化を察知した事が、マイクロフトに悟られない内に話を進める事にした。「で、肝心の内容は?」


「――『教会』内部に探りを入れて欲しい」

 ジョンはマイクロフトの言わんとしている事が読めず、眉を顰めた。


「ジョン、お前は『教会』が決して一枚岩ではない事を知っているか?」

「いや……」

 ジョンは首を振った。マイクロフトは「そうだろう」と言わんばかりに頷く。

「お前がここに来るまでに見た生態認証は新しい技術だ。俺達は秘密保護の為にそういった先進技術を駆使する。それを認め、積極的に使っていく」

 一体なんの話を始めたのか、ジョンは判断し兼ねた。しかし、この場面で無関係の話を始めるような男でもないだろう。

「ジェームス・ワットらの尽力で発展した蒸気機関。チャールズ・バベッジが開発した機械式汎用計算機、解析機関。発電機構を大きく飛躍させたニコラ・テスラやトーマス・エジソン……」

 マイクロフトが羅列した人物達の名は、科学に疎いジョンと言えども、流石に聞いた事があった。皆、人類に大きな一歩を歩ませた偉人達だ。……だが、彼らがどうしたと言うのだろうか。


「しかし彼らは皆、『教会』に追われ、米国や露国に亡命した」

「……うん?」

 何故、科学者が追われる? 彼らは市民の生活を発展させた立役者ではないのか。『教会』はむしろ彼らを称賛すべきではないの、か?


「それが通常の人間の感覚だろう。だが、彼らは普通とは違う感覚を持っている。彼らは『人間』の視点を持っていない」マイクロフトはどこか苦そうに煙を吐く。「科学者達を亡命にまで追い遣ったのは、『教会』の中でも『強硬派』と呼ばれる一派の連中だ」


 ジョンは話がようやく本題に入ったのを悟った。居住まいを正し、ジョンは一字一句聞き洩らすまいとする。

「彼らは新しい技術を良しとせず、古い価値観――要するに神への敬愛心を最たるものとする考えを持つ。新技術は人々の生活を豊かにする一方で、人間の万能性を示唆する。大袈裟に言えば、ヒトが神を超えようとする行為だ」


 ジョンはマイクロフトの話に、「バベルの塔」の逸話を思い出す。神に近付こうと高い塔を建てる人間達。それは神の逆鱗に触れる試みだった。故に神は塔を破壊し、尚且つ当時は統一だった言語を分かち、人々が安易なコミュニケーションを出来ないようにした。

 図に乗るな、調子に乗るな、自分の力を見誤るな――。……乱暴に言ってしまえばそんなところだろうか。そして、人々の間に壁を作り、あまつさえその「壁」は争いの火種となった。ジョンは幼い頃からこういった聖書の教えを尊ぶ事が出来ず、宗教と言うものから距離を取るようになった。

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