4-5.
ジョンがジャネットを抱えたままワトソン邸に辿り着いた時には、約束の時間が迫っていた。
「メアリー、水を一杯持って来てくれ」
ジャネットの上着を脱がし、ベッドへ寝かせながらジョンは言った。メアリーは頷いて、階段を駆け下りて行く。
「うーん……」
呻き声を上げるジャネットに振り返る。目を覚ましたようだった。
「悪い、起こしたか」
「……途中から起きてた」
途中とはどこからか、帰り道なのか。「なら、自分で歩けよ」と、ジョンは文句を言う。
「ジョンにおんぶされるなんて、中々ないからねぇ……」
赤く火照った顔に浮かべる笑みと、蕩けたような瞳。ジャネットから薫る色香に、ジョンは思わず顔を背けた。
「ジョン――んんンッ!」
「うおっ!」
そっぽを向くジョンの服を引いたジャネットが、弾みでベッドから転げ落ちる。彼も一緒になって床へと引き倒された。
「「…………」」
互いの顔が文字通り鼻先にあった。咄嗟の出来事に、両者は頭の中が空っぽになった。動けないジョンとジャネットがお互いの瞳を、息を呑んで見詰め続ける。
ジャネットの蒼い瞳は、目覚めた宝石のように凛々しく輝き、吸い込まれそうな引力を感じた。返す碧の瞳は暗く陰り、奥を見透かせない濁りを宿していた。
「じょ、ん……?」
「…………」
ジャネットの呼び掛けに答えず、ジョンは顔を曇らせて再び顔を背けた。
見ていられなかった、ジャネットの瞳を。真っ直ぐに見詰める事が出来なかった。胸の内を覗かれそうで、嘘を続ける自分を見付けられてしまいそうで、それが怖くて、見詰め返す事が出来なくなっていた。
「ジョン、なにか、アタシに隠してない?」
「――――」
ジョンは――しかし、答えない。答えられない。階段を昇って来るメアリーの足音を聞くと、口を開かないまま素早く立ち上がった。
彼を追い縋るように伸ばした手は届かない。ジャネットは床に置き去りにされ、「あっ」と声を上げた。
「あれ、お姉ちゃん、大丈夫?」
部屋に入って来たメアリーが、仰向けに倒れているジャネットの姿に驚く。両手に握っていたコップを机に置くと、慌てたように彼女を起き上がらせ、ベッドに座らせた。
「はい、お水。飲んで」
「うん、ありがとう……」
メアリーからコップを受け取り、ジャネットは水を口に含みながら横眼でジョンを見た。苦悶の表情。彼は眉間に皺を寄せて、軽く歯を食い縛っていた。
ジョンは嘘が苦手だと、ジャネットは知っていた。彼はすぐに顔に出てしまうのだ。それが周囲にバレている事を彼は知らないが、幼い頃から一緒にいるジャネットは彼の事なら大抵分かると自負している。だから今の彼が何かを隠している事などお見通しだった。が、それでもその「何か」までは分からない。
だから問おうとした。訊こうとした。しかし今日は少し呑み過ぎた。アルコールでフラ付く頭では、言葉がまとまらなかった。
「メアリー、今日もここに泊まるだろう? ジャネットを頼むな」
「うん、分かった」
ジャネットが帰省している間、メアリーは彼女と共にワトソン邸に泊まるのが習慣になっていた。
「待って、ジョン――」
「いいから、お前はもう寝ろ。じゃあな」
二の句を継げさせぬ速さでジョンはそう乱暴に言い放つ。彼はジャネットが気まずそうに口を噤んだところを見ると、また苦し気に目を細め、しかしコートを翻して階段を降り、玄関から外へ出て行った。
「…………」
ジャネットは自分が何かしたのではと考え出す。自分の中に彼の表情の理由を探す。しかし見当も付かなかった。
「メアリー、ジョンって、本当に調子が悪いの?」
「え? うーん……、どうだろう。いつもと変わらない気はしたけど……」
メアリーにも心当たりがなかった。彼女もまた、去り際のジョンの様子に少し違和感を持っていた。
「ちょっと機嫌が悪いだけだよ。お姉ちゃんが重かったんじゃないかな」
あっけらかんと宣うメアリーに、ジョンからの影響を感じた。彼の意地の悪さが彼女にも伝染してしまっているらしい。
「な――なんて事言うのよ! このクソガキ!」
ジャネットは信じられないと声を上げ、メアリーを抱え上げ、共にベッドに倒れ込む。そしてメアリーの脇や腹をくすぐり回す。
「やめて! ごめんなさいアハハお姉ちゃッ、あはは! やめてよぅ!」
久し振りの笑い声を聞くワトソン邸。それが響き終えた頃、一つのベッドから二人の寝息が聞こえて来た。
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