4-4.

 時刻は少し零時を過ぎた辺り。ジョン達は帰路に付いていた。


「じゃあ、わたしはヴィクターを送っていくから」

 小さな体で背の高いヴィクターの肩を抱くジュネが、交差点で立ち止まってジョンに振り返った。

「おう、頼むな」

「ジョンはジャネットをお願いね」

 微笑むジュネに答えるように、ジョンは背におんぶしているジャネットを揺すった。彼女は店の中で「眠くなった」と言い出し、本当に眠ってしまったのだ。


「ジョン、何かあったら遠慮しないでね」

「あ――あァ? どうした、突然」

 足を止めたままのジュネに言葉を投げ掛けられ、ジョンは面喰った。


「ジャネットじゃないけど、今日のジョンはなんか変だなぁって、思ったから」

「……そうか? 僕はいつも通りだよ。さっきも言ったけど、少し調子が悪いだけだ」

「そう?」ジュネは優し気な笑みをジョンに向ける。「それならいいんだけど。でも、ジョン。わたし達はいつでもあなたの味方だからね。いつかみたいに辛かったら、そう言ってくれていいんだよ」

「――――」ジョンは口を少し開けて固まり、しばらくして、「……時々お前の事を、年下とは思えない瞬間があるよ」

「何よそれ。どういう意味?」

 剣呑な目付きをする一つ年下の、妹のような存在に、ジョンは「いや……」と苦笑した。


 ジュネは時々心の内を見透かしたような発言をする。ヒトの機微に聡いと言うべきか、彼女の言葉は心の核心を突く。そうして虚を衝かれた後に、ホッと安堵している自分に気付く。自分に目を向けてくれている誰かがいてくれるのだと、孤独ではないのだと背に手を当ててくれるような言葉。

 ジョンは空を見上げる。昏い想いが胸の中のどこかにいるのは変わらない。自分にだってその居場所を計り知れない。


「そう言えば、ジャネットにも似たような事を言われた気がするわ」

 それは恐らく気のせいじゃないなと、ジョンは思ったが口にはしなかった。そして時間が押している事に気付き、

「じゃあ、僕は行くよ。ありがとな、ジュネ。ヴィクターを頼んだ」

 やや早口気味だったのは、照れ隠しだろうか。ジョンは言い終えると、すぐにジュネに背を向けた。


 ジョンの子供っぽいところは知っている。ジュネは彼の遠ざかる背中に「ふふっ」と笑みを向けると、自分も止めていた足を動かし始めた。


「ジョンはまだ引き摺っているみたいだねえ……」

 ヴィクターの陰鬱そうな声に、ジュネはビクリと飛び上がる。

「なによ、あんた、突然。ビックリした……、起きてたの」

「初めから寝ちゃあいないよ」

「じゃあ自分の力で歩きなさいよ」

「たまには妹に甘えたい時も――痛いッ」

 地面に叩き付けられたヴィクターが悲鳴を上げる。しかしその悲鳴が妹代わりの足を止める事は叶わなかった。ヴィクターは呻きながら、フラつく足で彼女を追う。


「うぅ、頭が痛い……。マズいな、明日も仕事なんだけど……」

「あんたは引き際ってものをそろそろ覚えなさいよ」

「まあ、大丈夫だろう。ボクは酒に強い方だもの」

「そう言って調子乗ってられるのも今の内よ。いつかやらかすから」

 恐い事を言うじゃないか……。ヴィクターは的確な発言に胸を打たれてしばし悶える。


 そんなおどけてばかりの兄代わりを見、ジュネは「ハァ」と重く、長い溜め息をついた。

「ジョンが引き摺るのはしょうがない事よ。前を見られるようになっただけ、すごいと思うわ」

「確かにね」話を戻したジュネに、ヴィクターは頷いて立ち上がる。「だけど、あいつも意地っ張りだからな。ボクらに弱った姿を見せるかどうか」

「何言ってるのよ。二人のそんな姿、散々見て来たじゃない」

「けれど、少なくともジョンはそう思ってないんじゃないかな」

 腕を組み、「あー……」と呻き、さもありなんと頷くジュネ。「だろう?」と言いながら、ヴィクターは足を止めたジュネの隣に立つ。

「ジョンが果たして何に思い悩んでいるのかは図れないし、それを簡単に口にする男でもないけれど、さっきのジュネの言葉は効いたんじゃないかな」

「だといいけどねえ……」ジュネは振り返り、ジョンが歩いて行った方向を見る。「なんか、ジャネットとの距離感に違和感があるのよねえ……」

「……それは女の勘かい?」

「さあね」ジュネは髪を靡かせて見せる。「ま、オトナの女だからね、わたし。そういうのも磨かれてきたのかもね」

「あはは、なんか言ってる」

 指差して笑うヴィクター。ジュネはすかさず彼の脛を蹴飛ばした。


「……大丈夫かなあ」

 ボクの脛の心配じゃないよねそうだよねと、一応の確認をするも、返答がない上に一瞥もくれないジュネに、蹲ったままの姿勢でヴィクターは溜め息をついた。

「……何にせよ、ボクらは変わらないでいよう」ヴィクターは起き上がると、ジュネと同じ方を見る。「ジョン達の不安や悩みを全て見透かす事は出来ない。他人との境界線を跳び越える事は出来ない。察するだけが精一杯で、それが正解かどうかなんて分からない」

 それでもまあと、ヴィクターはニヤリと笑って見せる。

「ボクは医者だからそういう事をするし、 余計なお世話もするんだけどね」

「頼むわよ」真摯なジュネの言葉に、思わず「おっ?」とヴィクターは声を上げた。「もうあんな辛そうな二人は、見たくないもの」

「…………」

 ジョンは――の間違いではないかと口にしそうになったが、ヴィクターは一歩手前で堪えた。


 ヴィクターはジュネが抱くジョンへの恋心を知っている。だからと言って、彼ただ一人に盲目的になる程、判断力のない女性だとは思っていない。ジョンと同じくらい、ジャネットの事だって案じているだろう。


 ボクに恋だの愛だのは良く分からないけれど、それが素敵なモノなのは知っているよ。ヴィクターは再び、ジョンのもう見えない背を見る。

 あいつだってジェーンに恋をしていた。彼女へ背負う痛みは、ボクみたいな人でなしでは治療出来ないかも知れないねえ。


 ヴィクターはそう胸の中で呟きながらも、しかし前を見る。それでも彼の傷を見捨てない。それは彼と交わした約束であり、自分自身に架した誓約だった。

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