4-2.
「……ジャネット、ありがとう。これがあれば、いつでも皆と一緒にいられる」
ギュッと強くアルバムを胸に抱き、ジェーンが微笑んだ。
「……っ」
その微笑みを見て、ジャネットは思わず愛しの妹を抱き締めた。彼女が息苦しさを訴えてから、
「ご、ごめん……」ジャネットは慌ててジェーンを離した。「でも、アンタがあんまりにも寂しそうに笑うから……」
ジャネットがジェーンの手を握り締める。その様子は傍から見れば、離れたくないと駄々をこねる子供のようで。これではどちらが寂しそうなのか分からないと、今度はジェーンがジャネットを抱き締めた。
「アタシはずっとアンタの傍にいるよ。何も寂しくないよ、一人じゃないよ。アタシだけじゃない、ジョンだってメアリーだってジャンヌだってヴィクターだってジュネだってハリーだって、皆がいるよ。皆、アンタの事を想ってるよ、大好きだよ」
友人達は皆、貴女の事を忘れない。貴方を一人きりになんてしない。
「『ヒトは一人じゃ生きられないなんて、当たり前の事を言わせるの、ジェーン?』」
「――――」ジェーンは虚を衝かれたような顔をして、やがて、「あら、意地悪な事を言うのね、ジャネット」
「……?」
メアリーが首を傾げる中、したり顔のジャネットと頬を膨らませるジェーンを交互に見詰める。
ジャネットが言った言葉は、彼女がかつてジェーンに向けられた言葉。
一人で泣いていたジャネットを見付けたジェーンが、彼女の肩を叩く。「泣き虫ジャネット」――。そんな事を呟いて、意地悪な笑みを浮かべて。
『ジャネット。泣き虫ジャネット』ジェーンが泣いているジャネットを後ろから抱き締めて、『泣いてもいいけれど、一人で泣いてはダメよ、ジャネット』
いつだってジェーンは、泣いているジャネットを抱き締めてくれた。背を叩いてくれた。頭を撫でてくれた。励ましてくれた。それにジャネットはどれだけ救われたか分からない。
『独りで泣いていたら、心が潰されちゃう。だからジョンの前で、ヴィクターの前で、ジュネの前で、父さんだってシャーロックだっていい。貴女が好きな人の前で、涙を流すの。絶対に誰もが貴女の所に来てくれる。貴女は絶対に一人なんかじゃないから』
陽に当たる花のような微笑み。暖かな妹の笑顔。
『そうしている内に、貴女はいつの間にか笑っているわ。貴女は泣いた分だけ強くなれる人。私はそれを知っている。ジャネット、貴女は絶対に、一人になんかなれないから』
孤独と嘯く仮初の深奥。そんな所からはすぐに抜け出せてしまう。そして待っているのは、笑顔だけ。残るのは、幸せな記憶と時間だけ。
そして妹は、小悪魔めいた悪戯な笑みを大切な姉に向けて、
『ヒトは一人では生きられないなんて、当たり前の事を言わせるの、ジャネット?』
「――いつかの仕返しかしら?」
「いいえ、恩返しのつもりよ?」
微笑み合う姉妹の姿は、まるで――。メアリーはその姿を見、例えられない愛おしさを感じた。いつかジョンが「彼女達が一緒にいる姿がすごく好きだった」と言っていたのをメアリーは知らないが、けれど同じ想いが彼女の中にも芽生えていた。
「わたしも、お姉ちゃん達が大好きだよ。ずっと一緒にいたいって、思ってるよ」
体が勝手に動いていた。メアリーもジャネットと同じようにジェーンに抱き付いた。
ジェーンはそんなメアリーを見詰め、悪戯を思い付いたように小さく笑む。
「あら、それじゃあ――、また色んなお洋服を着てくれる?」
「……うぅ」メアリーはしばし唸ると、「……頑張る」
絞り出すようにメアリーがそう言った途端、肉食獣が飛び掛かるような勢いでワトソン姉妹が彼女を強く抱き締めた。
「「ああ、ダメッ! 可愛すぎるゥうッッッ!」」
「……お前ら、うるせえぞ」
そこへげんなりした目付きでジョンが病室に現れた。彼女達の嬌声は廊下まで聞こえていた。室内で何が行われているのかを把握し、溜め息交じりにそう言った。
「あ――あら、ジョン。こんばんは」
取り繕うような笑みを浮かべ、ジェーンが挨拶する。ジョンは扉を閉めて、
「どんだけ散らかしてんだよ、あァ?」
ジョンは床に散乱する衣服の数々に目を向ける。一つとして「一般的」と呼ばれるような物がない。マニアックが過ぎると、ジョンは頭を抱えた。
「給仕服だけでどれだけの数があるんだよ……」
「全部違うわ」ジェーンが口を開く。「クラシカルなものから、果ては皇国の『和服』をモチーフにしたものまで。バリエーションが違えば魅力も違うのよ」
「…………」あまりの早口に、ジェーンの言葉を上手く聞き取れなかったジョンが堪らず閉口する。「……もう何を言っていいんだか分かんねえよ」
溜め息の後、ジョンはジャネットに時計を見るように促す。
「ジュネがキレるぞ。そろそろ準備しろ」
「それはマズいわね……」
何を思い出したのか、ジャネットが慌てて散らばる衣服を片付け始めた。それを尻目にジョンはコップに水を注ぎ、ジェーンに手渡す。
「少し落ち着け。呼吸を乱すと苦しいのはお前だろ」
「……うん、そうだね。ありがとう」
少し切なそうな笑みを浮かべたジェーンがコップを受け取り、一口含んだ。
ジョンはベッドの傍らにある椅子に座り、ジェーンの顔を見る。
「体の調子は。なにか違和感とか、不安とかはないか?」
「大丈夫よ。ここのお医者さんは優秀だもの。皆、優しいしね」
ジョンはジェーンが浮かべる笑みを見詰める。なんて事はない、いつも通りの笑顔。けれどどこかこちらを気遣うような意思を感じる。……ジョンは溜め息をついた。
片目と片腕、内臓の一部すら失い、病室から満足に出る事すら出来ないジェーン。その状況が辛くない筈がない。移植の手配は進めているが、ドナーが見つからないのが現状だった。彼女は未だ不便な体に付き合わなければならない。
ジョンは金銭面だけでなく、ジェーンの回復の為ならなんでもするつもりだった。内蔵を渡せるのなら、すぐにでも渡すだろう。しかしそれも叶わない現状、全てを「待つ」事しか出来なかった。
――済まない。ジョンはジェーンの顔を見る度、そんな言葉しか浮かばない。詫びる事しか出来ない不甲斐ない自分をどうにかしてしまいたくなる衝動。それを抑えようと、ジョンは拳を握る、握る、握る。
その震える拳の上に乗る、ジェーンの痩せた手。いつの間にか俯いていたジョンがハッとなって、顔を上げる。
「ジョンこそ、大丈夫? 無理をしていない?」
優しい笑み、暖かい笑み。ジェーンが浮かべる、まるで陽だまりのような笑顔に、ジョンはむしろ胸を潰されそうになる。
――そんな笑みを向けないでくれ。僕にそんな視覚はない。そう思いながら、ジョンは笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ」
父に届かない自分と、父を超えたい自分。自分の現実と理想を比べ、歯を噛む日々。それが彼の人生だった。どうしようもないほどの現実主義。彼は現実だけを直視して睨み続ける。
他人が何をどう言おうと、彼の現実は彼が見定める。――恩人達を死なせたのは、自分の不甲斐なさが引き起こした悲劇だ。ジョンはその「現実」から逃げようとした。しかし今は違う。受け入れる事も拒絶する事も出来ぬまま、ソレを睨みながら前に進むと決めた。……それでも、罪悪感を拭い切れる筈もない。本当はジェーンに顔向けなど出来ないと心の内では思っている。しかし彼女から遠ざかる事は、その「現実」からも逃げる事になる。それこそ彼女にとって不誠実だ。ジョンはだから、以前と変わらぬ態度で彼女に接する。
例え、罪の意識に体を串刺しにされながらも、彼女の前で笑う。笑って見せる。
――まだ、笑える。まだ、笑えている? ジョンはまた溜め息をついた。自分は酷い嘘吐きだ。こんな風に嘘を吐けるほど、器用な人間だっただろうか。
見えない想い、隠した想いに言えない想い。抱えたままではあまりに深い溝は、しかし彼と彼女との間に確かに刻まれていた。
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