4-1.

「キャアああああ~! 可愛い尊いしんどい苦しいもう無理勘弁してぇえええ~!」

 およそ成人女性が上げていいものではない調子の黄色い声が響く。身悶えしながら息を荒くするのは、聖都ヴァチカンで従事する祓魔師、ジャネット・ワトソン。これでも聖職者である。

「お、お姉ちゃん……、もう恥ずかしいよう……」


 発狂するジャネットの目の前には、エプロンドレスにホワイトプリム――クラシカルとも言えるメイド服姿で、頬を赤らめるメアリーがいた。


「……ヤバいわ、ジャネット。鼻血が出そうだわ」

 荒い呼吸を繰り返すジェーンが呼吸困難を起こしかけ、慌てて口にマスクを被せる。その最中でも血走った目はずっとメアリーに向けられていた。


 英国の中でも最大級の医療施設。その一室にて起こる、ジャネット、ジェーンのワトソン姉妹に因る極めて個人的なファッション・ショー。従事するスタッフ達にすら周知になってしまったそれが起こると、周辺から人がいなくなる。響き渡る苦悶の――、あるいは歓喜の声に近づき難き忌避感を覚えるからだった。


「まだダメよ! 次はコレね!」

 ジャネットがメアリーに二の句が継げさせぬ勢いで、床に並ぶ十数個の買い物袋の中から次なる服装を押し付ける。こんな事をジェーンの病室に着いてから、既に一時間ほど続けている。

 ゴシック・ロリータ、マンチュリア・ドレス、ディアンドル、ミリタリー等々……。様々過ぎる種類の服をメアリーに着せ、そしてその全てに身悶えするワトソン姉妹は、鼻血を噴き出しかねんばかりの興奮具合だった。

「お姉ちゃんってば! もう、もうお終いにしようよ……」

 ボタンの大きな白いシャツに、腿が露わになるくらい丈の短いパンツ。合唱団の少年のような恰好のメアリーが、壁に掛かる時計を指差す。しかしそんな言葉など耳にも入らないジャネットは、相も変わらず悲鳴のような雄叫びを上げる。


「もう、なんでも可愛い! どうしてなのよ、メアリー!」

「これが萌えね……! 尊い、尊過ぎる……!」

「メアリーはすごいわ! ボーイッシュな恰好まで可愛くなっちゃうなんて!」ジャネットは満面の笑みのまま、「嗚呼、男の子感はジェーンの担当だったんだけど――」

「いいえ、ジャネットのセンスが磨かれているのは確かよ。もうワタシなんて必要ないんじゃないかしら」ジェーンがしかし、咳払いをして、「でもそうね、この格好に――サスペンダーを追加したら、もっと良くなるんじゃないかしら」

 ジャネットがハッと息を呑み、ジェーンに振り返る。

「天才だわ……」

「…………」

 メアリーは引き攣った笑みを浮かべて、とうとう何も言えなくなった。


「あっ、そうだ。ジェーン、頼まれてた物を家から持って来たわ」

 ジャネットは思い出したように、鞄からアルバムとカメラを取り出した。

「ああ……、ありがとう」

 ジェーンが息を吐き、ジャネットからそれらを受け取った。そこには赤ん坊の頃から高校時代までの姉妹の思い出が飾られていた。学生時代の写真のほとんどは、撮影が趣味のジェーンが今しがた受け取ったカメラで納めたものだった。


 ジェーンは大事そうにカメラをベッド脇のチェストへ置いてから、アルバムの表紙を捲った。開いたページには、お揃いの服を着た小さな姉妹の写真が並んでいた。

「お姉ちゃん達、そっくりだね」

 脇からアルバムを覗き込んだメアリーが、目を丸くしてそう言った。

「双子だからね」ジャネットは目を細め、どこか自慢気に「アタシ達はずっと一緒にいたから」

「そうね」

 そして頷きを返すジェーンもまた、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。


「この人、お姉ちゃんのお母さん? 笑った時の目元がお姉ちゃん達に似てる」

 二人の子供を両手に抱いて満面の笑みを浮かべる、なよやかな女性の姿。印象的な大きな青い瞳。ボブカットに纏めた、子供達と同じ金色の髪がとても似合っていた。

「そうかな?」ジャネットは恥ずかしそうに、けれど嬉しそうにはにかむ。「そうよ、アタシ達のお母さん」

「名前はメアリーって言って、貴女とおんなじなの」

「へえ……! すごい偶然だね」

 思いがけない事実に嬉しそうな声を上げたメアリーを、ジェーンは強く抱き締めた。母と同じ名前だった事に喜んでくれた彼女が思わず愛おしくなったのだ。


 この写真は姉妹が四歳頃に撮られたものだった。それから一年も経たない内に、母は悪魔に襲われ、命を失った。

「そうだったんだ……」

 メアリーは今まで知らなかった彼女達の生い立ちに言葉を失う。慌てて取り繕おうとアルバムを捲る。それらを見ながら、メアリーは「おや」と首を傾げた。


「ねえ、お姉ちゃん。小さい頃の写真に、お姉ちゃんのお父さんは写ってないね」


「あれ、そう……?」

 そう言われたジャネットが、アルバムのページを戻す。……確かに自分とジェーン、時々ジョンや母、ハドソン夫人の姿はあっても、父であるワトソンとシャーロックの姿はなかった。


 幼い頃の記憶は朧気で、良く覚えていない。だから父の姿がない理由ははっきりと分からないが、恐らくは彼らがカメラを握っていたからではないかと思う。ジャネットはしばらくアルバムを眺めていたが、徐々に父の姿が写真に写り始める。恐らくは自分達が五、六歳になった辺りから……?


 思案顔で眉を寄せるジャネットを尻目に、ジェーンは表情を浮かべなかった。彼女は静かな手つきでページを捲る。やがて彼女達の高校時代のページに差し掛かった。

「なんか、お兄ちゃん、いつも顔が怖くない?」

 メアリーの何気ない一言に、ジャネットとジェーンは顔を見合わせると同時に吹き出した。確かに写真の中のジョンは大体、歯を食い縛って眉間に皺を寄せていた。

 アルバムの最後のページには、一際大きな写真が飾ってあった。

 中央に剣呑な顔付きで腕組みをして立つジョン、その左に苦笑いのヴィクター、右にはジョンの首に右腕を回し、ピースサインを掲げたジャネットが弾けるような笑顔を浮かべていた。三人の足元にしゃがみ込んだジュネとジェーンが、やはりピースサインと笑顔を浮かべていた。そして一番奥に屈強な体付きの男が二人いた。シャーロックとワトソンだ。ジョンの顔が険しいのは、父の手が自分の頭の上に押し付けられているからだった。


「……皆で揃って写真を撮ったの、これが最後だったね……」

 ページから写真を取り出し、手に取ったジャネットが淋しそうに少し笑んだ。


「これはいつの時の写真?」

「高校の卒業式よ。父さん達がこういう行事に参加するのって、何気にこれが初めてだったわ」

 最後でもあったけどね。そう言って、ジャネットは可笑しそうに笑う。その笑顔が痛々しくて、メアリーは歯を噛んだ。

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