3-5.
荒くなった息を整えると、ジョンはシャワーに入った。汗を流し終えるといつもの恰好に着替え、サンドバックをぶつぶつと文句を言いながら直し始めた。修復が完了する頃に、部屋の戸をノックされた。
ジョンが立ち上がり、戸を開けると、そこには痩せた体の上に黄ばんだ白衣を着た長身の男がいた。
「やあ、ホームズ。その顔、なんだか機嫌が悪そうだねえ」
「あァ? 鬱憤晴らしに一発ブチ込んでやろうか、ジュニア?」
白衣の男――ヴィクター・フランケンシュタイン・ジュニアが、おどけるように身を引く。その様に舌打ちをしてから、ジョンは彼を部屋の中に招いた。
「おや、メアリーとジャネットはいないのかい」
「二人は買い物に出掛けたよ。そっちこそジュネはどうした?」
「まだ仕事から帰って来ていないよ。どうも『国際会議』関係で記者として忙しいらしい」
今、巷の関心の目は『会議』に向いている。読者が求める情報を書くのが記者の仕事だ。忙しいのは仕方のない事だろう。
「お陰でボクは一人で今日も『人形』達のメンテだよ。はあ、疲れた……」
そう言って、ヴィクターは飛び乗るようにソファーに尻を置く。
「まだ終わらないか?」
切り裂きジャック事件以降、『人形』の総点検が開始された。警察と人形技師が共同となって開始されてから三ヶ月が経過した。ヴィクターはその主要メンバーとして開始当初から関わっている。
「終わらないねえ」ヴィクターは苦笑いを浮かべて、「ロンドンだけでも『人形』は一万体近くいるからね」
「……マジかよ。そんなにいるとは知らなかった」
ジョンの意外そうな言葉に、「そうだろうね」とヴィクターは小さく笑う。
「『人形』がどこにいるのかなんて、家族や友人でもなければ、誰も気に留めないよ」
それはそうかも知れない。『人形』は死んでしまった家族。他人が普段どこで過ごしているのかなんて、確かに家族や友人でもない限り、興味もないだろう。
「ジュネは忙しいって言ったか? じゃあ、飯は行けないか?」
「いや、そちらは間に合わせると言っていたよ。会社からそのままパブに向かうそうだ」
ヴィクターは話しながら、部屋の中に目を配っていた。なにかおかしなところがあるのかと、ジョンが問う前に、
「何かあったのかい? またジャネットと喧嘩でもしたのかな」
「どうしてそう思う?」
ヴィクターはジョンの顔を、キッチンにある灰皿、そしてサンドバックを順に指差した。
「君の眉間にはずっと皺が寄っている。そして灰皿に溜まった灰の量。君に多大なストレスが溜まった証拠だ。そしてサンドバックが――やや萎んでいる気がする。ストレス発散の為にどつき回したんだろう」
どうしてサンドバックの変化が分かるのか。こいつの観察眼は一体どうなっているんだ。ジョンは友人の頭脳に辟易しながら、サンドバックを振り返る。……依然と変わらない状態に戻した筈なのだが、果たして自分には変化など分からない。
「……まあ、お前の想像通りだよ」
しかしヴィクターの推測は外れていた。もしも当たっていたら、不気味どころの話ではないが……。ジョンはそれを指摘せず、曖昧に頷いた。
「ふうん……?」
目を逸らすジョンの様子に少し首を傾げながらも、ヴィクターは頷いた。そして「さて……」と手を叩くと、疲労で重い腰を上げる。
「そろそろ行こうか、ジョン」
「……そうだな」ジョンは懐から時計を取り出してそれを見、「僕はジャネット達を迎えに行くよ。ここに戻って来ないって事は、自分の家か病院にでもいるんだろう」
「ジェーンか」ヴィクターは少し遠い目をして、「ジョン、ジャネットはあの家をどうするか、言っていたかな」
「……ッ」ジョンは息を呑み、「知らねえよ。訊いた事がないからな」
ジョンは歯を食い縛る。その事を考えると、目の前が真っ白になる。だからジョンは敢えて意識から遠ざけるようにしていた。家族を失い、一人きりになってしまった彼女。思い出に包まれた家に帰って来るのは、自分ただ一人。「おかえり」も「ただいま」も、誰かが迎えてくれる日が再び来るかどうか。
――やっぱりまだ、引き摺ってしまうよね……。ヴィクターはジョンの様子を見、胸の中で静かに呟いた。
シャーロック、ワトソン、ジェーン。三人は瀕死のジョンを守ろうとし、そして襲われた。目の前でその様を見せられたジョンが、傷付かない訳がなかった。
沈んでいたジョンが、それでも前を向けるようになったのは、幼い頃に父と交わした約束を思い出したから。
――「皆、助けるに決まってるだろうが」。ジョンの魂、父と子の誓約。彼の中で最も大切な言葉。
「じゃあ、ボクもジュネを迎えに行こうかな!」
しんみりしてしまった空気を変える為か、ヴィクターはやけくそみたいに明るい声を出した。
ジョンはその声音に「ハッ」と笑い、そしてどこか自嘲気味に、
「……いつも悪いな、ヴィクター」
「お安い御用さ」
互いの顔を見合わせ、そして素直にそう言葉を返し合える自分達が可笑しくなってニヤリと笑い、二人は連れ立って部屋を後にした。
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