3-1.

 蒸気機関、人形技術、はたまた電気の誕生など、人間は自分達の力で様々な技術を生み出し、今なお発展、進化し続けている。

 それでも悪魔に関する人々の不安が大きいのは、信仰心への裏返しと捉えても過言ではない。


 ジョンが探偵業を本格化させてから、市民からの相談は後を絶たない。ザ・クィブラーや名前の影響と言うのも無視出来ないが、それでも彼は請け負った仕事は全て解決してきた。

 その先に大悪魔、延いては地獄に関する手掛かりに辿り着けるだろうと信じて。しかしこの半年間で悪魔、魔人はおろか、悪霊の類にすら出会う事はなかった。

 ……実際はこんなモノなのだろうとは思っていた。切り裂きジャック事件の時のように、ひっきりなしに魔人達と相対する事態は異例中の異例だ。しかし半年経っても手掛かり、足掛かりのカスすらも掴めないとは。

 父、シャーロック・ホームズとその友人、ジョン・H・ワトソン、そしてその娘、ジェーン・ワトソン。ジョンは三人を死に追いやった大悪魔ベルゼブブへの復讐を誓っている。彼へと辿り着く道のスタートラインにすらつけない自分に不甲斐なさを募らせる日々。

 それが、ジョンにとっての半年間だった。


「で? 実際にやってる事は犬や猫を追い掛け回したり、家のボロを見付けたりとか?」

 下着姿のまま足を組み、ソファーに仰け反って笑うジャネットの甲高い声が部屋に響く。

「うん。今日も怪しい物音がするって相談を受けたんだけど、犯人は子猫だったんだよ」

 答えるメアリーもどこか可笑しそうに笑う。

「…………」

 それを聞きながら、キッチンシンクに寄りかかっているジョンの傍らには、灰がうず高く積もった灰皿があった。咥えていた煙草を灰皿に押し込み、苛立たし気に新たな煙草に火を点ける。

「うるせえなあ、糞女。探偵なんて言ってしまえば便利屋だ。だけどその中に本物の悪魔が隠れていたりする。結果が冗談みたいに陳腐でも、一つ一つ確実に見極めなきゃならねえんだよ」

「アラ、まともな事言うようになったじゃない。探偵っぽいわあ」

 小馬鹿にするようなジャネットの口調に、ジョンの常にボロボロの堪忍袋の緒が切れる。

 彼は超がつく程の短気で、それを分かっている筈のジャネットは面白がってよく彼を煽る。だから彼らは幼い頃から喧嘩をしてばかりだった。

「……よお、糞女。いい加減にしろよ、ブン殴るぞオイコラ」

「はァン? 出来るもんならやってみなさいよ」

 すっくと立ち上がったジャネットが、まるで見せ付ける様に両手を腰に当ててジョンの前に出る。

 桃色の、どこか少女っぽい下着。意地悪そうに口の端を歪めるジャネットの表情と相まって、小悪魔めいた魅了を放っていた。

 ジョンは直視出来ず、歯を食い縛ってそっぽを向いた。顔が赤いのは怒りか、それとも羞恥か。


 ジョンの顔色にニヤニヤしながら、彼の視界に入ろうと動き回るジャネット。絶対に見まいと視線を逸らし続けるジョン。そんな二人を見ながら、メアリーは「なんだかなあ」と胸の中で呟いた。二人は間違いなく彼女にとって恩人なのだが、こんな子供っぽい姿を見せられては敬おうとい気も収まってしまう。


「そ、そう言えば、よくこっちに来れたな。『国際会議』関係で忙しいんじゃないか、お前」

 なんとか話を逸らそうとするジョン。段々と飽きて来たジャネットは彼の思惑を知ってか知らずか、

「あー……、まあね。聖都は準備にてんやわんやよ」言いながら歩き、ようやく服を着出したジャネット。「でもアタシは祓魔師だからねー。忙しくなるのは『会議』が始まってからよ」

いつもの修道服に着替え終えたジャネットの姿を見て、ジョンは心底ホッとした。

「『会議』開催はジャンヌの差し金だろ? 直近のお前だって忙しいんじゃないのか?」

 ジョンの言葉に、手櫛で髪を整えていたジャネットの手がピタリと止まる。


「ちょっと待って……。なんでジャンヌが発端だって知ってんの?」


 ジョンは一瞬黙り込み、気の抜けてしまった自分を責めた。詰問するようなジャネットの目線に、「誤魔化し切れないな」と悟った。

「……開催宣言が切り裂きジャック事件の直後だ。ベルゼブブの出現が契機だろう。それを知っているのはジャンヌだ。だからあいつが引き金だろうと考えただけだ」

「へえ、そう……」ジャネットはしかし訝しむようにジョンを睨む。「……ま、その通りなんだけどさ。あんた、それを誰かしらから聞いたって訳じゃないわよね?」

 ジャネットが警戒しているのは情報のリークだった。しかしジョンの言葉は、全て彼の推測だ。ジョンは諸手を上げてそう説明した。

「余計な事まで勘繰ってんじゃないわよ、まったく……」

 ジャネットは呆れたように頭を振る。「そういう性分なんだよ」と、ジョンは肩を竦めた。


「『会議』前にこっちに来られるのは、今日が最後よ。『会議』が始まっちゃったら流石に終わるまでは離れられないでしょうね」

「えっ、そうなの……?」

 目を丸くし、残念そうにメアリーが顔を曇らせた。その表情の変化が愛おしくなり、ジャネットはメアリーに飛びつくようにして抱き締めた。

「だからね、今日はメアリーと買い物に行こうと思ってたの。また一杯お洋服買ってあげる!」

 ジャネットはロンドンに帰って来る度、メアリーとショッピングに行く。目的はメアリーに洋服を買う為らしい。ジョンは同行した事がないから内情については知らないが、毎度毎度両手一杯に買い物袋を抱えるジャネットの姿に閉口するばかりだった。


「そんなにたくさん服ばっかり抱えてどうすんだよ……」

「女の子はね、オシャレしなきゃいけないの! それなのにアンタみたいな冴えない奴と一緒にいたら、メアリーがダメになるじゃない! メアリーだって女の子なんだからね!」


 ジョンに向かって指を突き付け、ジャネットが詰め寄る。ジョンは自分の恰好を見下ろし、頭を掻いた。彼はいつだってシャツとコートだけ。と言うか、同じようなスタイルの服しか持っていない。


「お前だっていつも同じ服を着てるじゃねえか」

「アタシは制服だからしょうがないの!」


 その制服をミニスカノースリーブに改造しておいて何を言う。ジョンは頭を振った。

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