2-4.

「そ、それで、ジョンはどの探偵と祓魔師が参加すると思う?」


 最近の世間の話題は、もっぱら『国際会議』についてだった。それに参加する聖人、王族、探偵、祓魔師は誰なのか。そんな噂話ばかりが耳に入る。


「さあ……」ジョンは首を傾げながら、「英国は聖人を三人有しているが、それでも探偵と祓魔師は一人ずつ選ばれるんだろう。有名どころで言ったら、ヘンリー・ジキルとヴァン・ヘルシング、それにアルバス・ダンブルドア――ってところかな」

「その辺りだろうなあ。法国や露国は?」

「法国は……、フランソワ・ヴィドックじゃないか? 露国については、詳しくないから分からないよ」

「そうなんだよなあ。やっぱり外国の探偵や祓魔師ってなると、案外知らないもんなんだよなあ。最近じゃあ、夜もこんな話で持ち切りでさあ」

「そもそもあちこちの国に出掛ける探偵なんて、親父くらいのモンだろ。あいつは好奇心の塊だからな。面白そうだと思ったら、どこにだって手を出す迷惑者だ」


 探偵は事務所を開き、その地域一体を管轄として事件を処理する。それがセオリーであり、英国に事務所を置きながらもそこに尻をつけなかったシャーロックは実を言えば、他の探偵から煙たがられていた。


「場所がどこになるかも分からないし、なんで『教会』のお偉い方はなんでもかんでも隠したがるのか……。もしロンドンで開かれるって言うなら、見物人だって多くなる筈だ。そうなると、ウチだって客が多くなるかも知れんから、何かしろの準備はしなきゃならんのだが……」

 成程と、ジョンは頷く。『国際会議』についてそういう目線もあるのか。ならば物資の調達が偏重している地域があるかも知れない。そこから開催地を推測する事も可能か……?

 ラジオからは次々とニュースが流れるが、『国際会議」に関する目立った情報は出て来なかった。帰ってからやる事が増えたなと、ジョンは嘆息してから席を立つ。


「はい、お代です。ごちそうさまでした!」

 メアリーがマスターに紙幣を渡し、行儀良くお辞儀した。「おう、またな!」と手を上げるマスターに見送られ、ジョンとメアリーは店を後にした。


「そう言えば今日、お姉ちゃんが来るんだよね?」

「あ? ……嗚呼、そういやそうだったな」

 メアリーの言葉に、ジョンはガシガシと頭を掻いた。彼女が言う「お姉ちゃん」とは、ジョンの幼馴染で祓魔師として従事しているジャネット・ワトソンの事だった。

「『国際会議』関連で忙しいだろうに、こっちに帰って来るなんてなあ、あいつは。律儀なのか、なんなのか。暇か?」


 ジャネットは月に一度は欠かさず、仕事の隙を伺ってジョン達の下を訪れていた。その日で帰る事もあれば、泊まっていく日もある。


「時間的にはそろそろ来る頃か? ……少し急ぐか、メアリー」

「うん!」

 返事をして、颯爽と駆け出すメアリー。「そこまで急ぐつもりはねえよ」と呻きながらも、ジョンは苦笑いを浮かべて彼女の後を追った。


 ジョンの探偵事務所はベーカー街にあった。ハドソンという未亡人が経営するアパートの三階の一室を、事務所兼住居として使用していた。シャーロックの代から「ホームズ探偵事務所」はそこにある。

 額に汗が滲み出す頃に、ジョンとメアリーは221番地に辿り着いた。

 ジョンはふと顔を上げて自室を見上げる。一カ所だけ窓が開いていて、カーテンが外に飛び出して揺れていた。それを見た途端、ジョンが眉を寄せた。


「……メアリー、出掛ける前に窓の戸締りは確認したな?」

「え?」メアリーはジョンの視線を追って、開いている窓を確認した。「……うん。全部閉めたよ」

「絶対に?」

「絶対に。だって、わたしの仕事だもん」

 ジョンは頷き、不安そうな顔をするメアリーの肩を叩いた。そして彼女よりも先にアパートへと入り、階段を上がった。


 ジョンは自室のドアノブを握って回し、鍵が掛かっている事を確認する。メアリーが懐から取り出した鍵を受け取り、彼は戸を開けた。


 一目見て、誰もいない事を確認してジョンは部屋の中に入る。

 広い主室と、その奥に寝室という間取り。玄関のすぐ脇にキッチンがあり、その隣にはトイレと兼用のシャワールームがあった。部屋の中にはほとんど物がなく、伽藍としていた。応接用のテーブルと対面ソファー。本が押し込まれた書棚。窓際には鎖で吊るされたサンドバックがあり、それだけが妙な存在感を放っていた。


 荒らされた気配はなく、誰かが隠れられるような空間もない。ジョンは続いて寝室に入り、中を確認するが、誰もいなかった。

 盗人が入り込んだ訳ではない。しかしどこかに違和感がある。ジョンが苛立ちに任せて舌打ちをした時、傍にいたメアリーが「お兄ちゃん……」と声を潜ませながら、彼のコートを引っ張った。


「シャワールームに誰かいるよ……」


 まだ確認していない場所があった。ジョンは部屋の隅にある別室から聞こえる水音に気が付いた。

 盗人猛々しいとはこの事だ。他人の部屋に忍び込んでおきながら、悠長にシャワーを浴びてやがるのか? ジョンが牙を剥いて、シャワールームに近付く。


「オイ、ナメた事してんじゃねえぞ糞っ垂れ!」

 右手を硬く握り締め、ジョンは空いた手で勢い良くシャワールームの戸を開いた。


「えっ、キャあッ!?」


 金色の髪が艶めかしく、均整の取れた体に張り付いていた。驚愕を表して見開かれた瞳は蒼く、盗人とは思えないほどの清涼感。泡で包まれていた体はシャワーでみるみるうちに洗い流され、彼女の一糸纏わぬ姿をジョンの前に曝け出していく。


「なっ、なン、なゥ……ッ」

 ジョンは口をわなわなと震わせ、声にならない声を上げ続ける。

「あっ、お姉ちゃん」

 そんな彼の後ろから様子を伺っていたメアリーが、笑顔を浮かべてシャワールームへ入る。


「あら、メアリー! 久し振り!」

 それを見た盗人ことお姉ちゃん――ジャネットが驚愕に固まっていた表情を和らげ、近付いて来た少女を笑顔で出迎えた。姿勢を下げてメアリーと視線を合わせると、彼女の頬を両手で包んで撫で回す。

「久し振りって、先月も会ったでしょ?」

「だってずっと会いたかったんだもん! ねえ、メアリー。また少し大きくなったんじゃない?」

「うん。昨日身長を測ったら、少しだけ伸びてたよ!」

「ああ、成長期ってすごいなあ。どんどんお姉さんになっていくね!」

「えへへ!」

 笑顔でメアリーと言葉を交わし合うジャネットが、やがて未だ震えているジョンに気付いた。


「なに、アンタ。まだいたの?」

 下げていた頭を上げ、背筋を伸ばして腰に手を当てる。自身の裸を惜しげもなく晒すような恰好だが、ジャネットに恥辱の気配はなかった。

 それどころか、ジョンの方が顔を真っ赤にしていた。踵を返して主室に駆け戻ると、ソファーに飛び込んだ。しかし勢いが強過ぎてソファーを押し倒し、共々床を派手に転げ回った。体を強かに打ちながらも、ジョンは床に這いつくばったまま、叫んだ。


「なんで裸なんだよフザけんなあッッッ!」

「いや、シャワーに入ってたんだから裸なのは当たり前でしょ?」

「あああああ――ッッッ!」

 ジョンの悲鳴のような絶叫が、倫敦ろんどんを駆け巡った。

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