2-3.

「……まあ、あいつならそれくらいの事は出来ちまうだろうな」

「ヴィクターは随分と忙しそうだけど、無理してないか」

「して――るだろうな」

 ジョンは最近のヴィクターの様子を思い出しながら、否定しきれないなと首を振った。

「家に帰らず、泊まり込んで作業してる日もあれば、睡眠不足でフラフラになりながら帰って来る日もある」

 ……思えば、あいつがあんなに懸命になっている姿を見るのは初めてかも知れない。

「ヴィクターは努力は陰ながらに、そういった類は隠すタイプの人間だろうし、根を詰めすぎなければいいけどなあ……」

「……いや、どうだろうな」

 マスターの心配は尤もだが、しかしあいつは興味のある分野にしか腰を上げない。『人形』をイジくるのは、あいつの趣味と実益を兼ねている。連泊や睡眠不足は、「面白さ」を優先したが故に生じた可能性が高い。むしろ、何か悪巧みをしていなければいいのだが……。

 ジョンは曖昧に笑みながら、顔を曇らせているマスターからメアリーの方へと目を逸らし、コーヒーを啜った。


 メアリーはコーヒーの入ったマグカップを敵のような目で見詰めていた。ついに決心したのか、カップを手に取りグイと一口飲んだ。――途端、「うえ」と舌を突き出して、苦悶の表情を浮かべた。


「……メアリー、コーヒーなんて無理して飲むモンじゃねえぞ」

 ジョンの呆れたような声を浴び、メアリーはしかし怒ったように、抗議の声を上げる。

「ち、違うもん! 苦くないもん! わたしはもう大人だもん、コーヒーくらい飲めるよ!」


 ……メアリーは最近妙に大人ぶる。しかし精神に肉体が追い付いていないからか、無理しているのが露骨に伺える。そんな彼女の様子に、ジョンは「どうすりゃいいんだろうなあ」と、困り果てていた。

 それでも理由はなんとなく察していた。おそらくは『教会』に保護された家族達への見栄だ。家族の中で最も年長者だった彼女は、次会える時までにもっと「お姉さん」っぽくありたいのだろう。

 しかし、この半年間で彼女は大きく変化した。今までが貧しい食事だったからだろうか、身長も急激に伸び、どことなく大人びてきた。心がまだその成長に追い付いてない事に、彼女自身が気付けていないのが、彼女が必要以上に大人ぶる原因なのだろう。

 ……それが子供っぽさを強調しているんだけれどなあ。ジョンは言わぬが花だろうと、再びコーヒーを啜りながら、


「メアリー、コーヒーの一番美味い飲み方は、ミルクを入れて飲む事だ。ブラックにこだわろうとするのは大人っぽさとは何も関係ないぞ」

「えっ、そうなの?」

 メアリーはびっくりしたように言う。飲み方云々はジョンの適当だが、それは黙っておく。

「自分の一番美味い味を知っている方が、大人っぽいと思うぜ」

 マスターも追い打ちのようにメアリーにそう言った。そしてジョンを見、ウインクする。ジョンは口の端を曲げた。

「……じゃあ、マスター。ミルクをちょうだい」

「あいよ!」

 マスターは返事をして、すぐに温めたミルクを持って来た。もしかしたら用意してあったのかも知れない。

 メアリーは早速コーヒーにミルクを入れて掻き混ぜると、一口含み、満足そうに吐息を漏らした。


 ジョンはそんな彼女を横目で見て少し笑い、料理に手を付け始めた。マッシュポテトを口に運びながら、マスターが点けたラジオの音声に耳を傾ける。……やがてここ最近、彼が最も関心を寄せているニュースが流れて来た。


「いよいよ今月に迫った『国際会議』の開催ですが、未だに『教会』から開催場所についての情報が明かされていません。しかし政府上層部や王族には動きが見られ、『教会』による情報統制とも取れる動きに不審の声を上げる――」

「『国際会議』なんて、前にあったのはいつだったかも覚えてないなあ』

 マスターはラジオを見詰めながら言って、ジョンを振り返った。

「お前さんは『会議』に参加したりしないのかい」

 ジョンはマグカップに口を付けたままマスターを見、片眉を上げた。

「僕が? まさか。僕はまだ新米だ。そんな素人が立てる舞台じゃないよ」


『国際会議』――世界中に散らばる聖人と各国の王族達が一堂に会し、悪魔への方針を協議するというもの。

最後に開催されたのは二十年前だ。その時は世界を巻き込む大きな戦争の真っ只中で、議題に上がったのもその戦争だった。


「一体誰が来るんだろうな」

「聖人がいる国は必ず参加するから――、英国、法国、皇国、露国、以国の四つ。あとは米国か中華だろうな」


 ジョンは参加する国よりも、『会議』を開催する意図を知りたかった。そこに至るまでの経緯も。憶測ではあるが、やはり大悪魔――ベルゼブブの出現が発端なのではと睨んでいた。


 ジョンがベルゼブブについての知らせを送ったのは、ジャンヌ・ダルクだった。だから『会議』の開催を打診したのは、おそらく彼女であろうとも推測していた。しかし彼女が報を受けたからと言って、急だって動く性分とも思えなかった。

 故にジョンの中には、ジャンヌ及び『教会』が彼らにしか分からない、世界を襲い来る大きな異変を隠しているのではないかという疑心があった。

『教会』が内情を公にしない事は、今に始まった事ではない。しかし『国際会議』の開催を宣言しても、その場所や詳しい日時をいつまで経っても発表しない。魔人や悪魔の襲撃を懸念しての事ではあるのだろうが、しかしそれでも……と、疑ってしまう気持ちは止められなかった。


「『会議』には参加国を代表する探偵と祓魔師も出るんだろ? それに選ばれたりしないのか」

「僕が? だから無理だって」

 開業してから半年の自分に何を言っているのか。ジョンはマスターの言葉を再び否定した。

「でも、ホームズの息子だろ? ……あっ」

「…………」

 マスターが口を手で押さえた。口を歪め、犬歯を剥き出しにしてこめかみの血管を浮き立たせるジョンの顔を見たからだ。


 ジョンの父、シャーロック・ホームズ。彼の名を知らぬ者はいないと言っても過言ではない程の知名度を持つ世界最高の探偵。卓越した知能と武術の前に勝てる者はおらず、『最強』の呼び声を意のままにした傑物。

 しかしそんな偉大な父と比べられる事が、息子であるジョンは幼い頃から死ぬほど嫌だった。

 勿論、周囲の人間がどうしてもそうしてしまう気持ちは分かる。期待してしまうのも分かる。だが、自分と父は違う。自分は父から何も受け継がなかった非力な人間なのだ。その葛藤に心を病み、荒れてしまった時期もある。

 どこまで忌み嫌っても、しかし目の前には父がいた。ジョンはいつか父を追い越す事を誓い、彼に師を請い、そして教えを受けて来た。


 ……そんな父が死んでしまってから、もうすぐ一年が経とうとしている。ジョンは未だ世界に残る「シャーロックの喪失」という傷を垣間見せられ、その度に自身の無力感に苛立ちを募らせていた。

 今この瞬間もそう。「ホームズの息子」だからという言葉も、自分が「ホームズ」だから評価されているのだと言う裏返し。


「僕を姓で呼ばないでくれ」

「悪い。つい、な。悪かったって! ホラ、コーヒーのお代わりをやるよ」

 額に汗を浮かべたマスターが、慌てて空になったジョンのマグカップにコーヒーを注いだ。漂う香りにジョンはハァと溜め息をつき、一口飲んだ。

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