1-6.
あの重圧に沈む部屋の中で、ただ一人。自分は戦慄の中で体を震わせた。けれど彼女は顔色一つ変えず、堂々とあの場に立ち続けた。その胆力、その精神力は自分にはない。
あれこそが、彼女の戦場。あの場所が彼女の立つ矜持。
「…………」
ジャネットはゲオルギウスを睨み、一歩後ずさった。
自分を廊下へ呼び出し、友人の立場を話して聞かせたこの老人。彼が言葉の裏に隠す最も語りたい事。ジャネットはそれを察した途端、目の前の好々爺の笑顔に秘められた影に戦慄した。
――この、ジジイ……ッ。ジャネットが奥歯を噛む。
年老いた傑物は、微笑みを絶やさぬまま、ジャネットの肩に手を置いた。
「儂はただ彼女を案じておるだけ。そろそろ身の振り方を考えんと、大変な事になるとな」
肩に置かれた無骨な手の重さ。ジャネットはこのまま自分がいとも容易く押し潰される様を幻視した。
しかし、ジャネットは口の端をニィと歪めた。
思い出したのは、幼い頃からの親友。態度は粗暴で言葉は乱雑、それでもその瞳はいつだって前だけを見ている。どんな強敵が目の前に立ちはだかろうが、彼はまるで悪魔みたいな笑みを浮かべて中指を突き立てる。
そんな彼の姿を思い出して、ジャネットは下がっていた足を前へと踏み出した。
「ジャンヌは貴方の言う通り、頑固者ですので。誰に何を言われたって、自分が正しいと思う道を貫き通すでしょう」顔を上げる。目の前の敵を見詰める。ジャネットは浮かべる可愛らしい笑みと裏腹に、瞳に焚く反抗的な意思。「アタシはそれに続きたいと思います。アタシは、あの子を心から信じていますから」
「…………」
ゲオルギウスはその瞳を見詰める。傍から見ればちっぽけなほどの煌めき。吹いて消えそうな灯火。剣の一振りで掻き消える炎の、しかしその雄々しさはどうだ。
歴戦の兵はその光を数多く見て来た。命の残り滓――それが成した奇蹟。命は平等にそれを持っている。
「……これもまた一興、か」
ゲオルギウスは口の中で呟き、ニコリと笑った。それは孫の成長を見守る祖父のように暖かなものだった。
キョトンと面食らうジャネットに置いたままの手で、優しく肩を二度叩いた。そして赤いマントを翻し、ゲオルギウスは彼女に背を向けて歩き出した。
「儂はもう年寄りだからのう。世界の行く末は君達の世代が決める事だ」
――それでも、それなりの口出しはさせて貰うがの。不穏な牽制を置いたまま、黒い甲冑が廊下の向こうに消えて行った。
ジャネットはゲオルギウスが消えた後も、しばらく廊下に呆然と立ち尽くしたままだった。やがて背後に振り返り、アーサー達もいなくなっている事を確認すると、ドッと息を吐いた。
なんと言う圧。なんと言う存在感。ものの数分だと言うのに、日頃行うトレーニングの数倍は超える疲労感だった。ジャネットは噴き出る汗を拭く事も出来ぬまま、その場に蹲って荒い息を整える。
「大丈夫ですか、ジャネット」
ジャネットが部屋に戻ると、片付けを終えたジャンヌが椅子に座り、水を飲んでいた。
コップを持つジャンヌの手が微かに震えているのを、ジャネットは見逃さなかった。どれほどのプレッシャーが彼女を襲っていたのだろう。ジャネットはそれを思うと、涙を落としそうになった。ジャネットはジャンヌの背後に回ると、そのまま彼女を抱き締めた。
「ど、どうしました……?」
「アンタはアンタのままでいなきゃダメよ。どんなに卑怯な手を使われても、どんなに困難な道に追い込まれても、アンタはアンタのままでいて」ジャネットは顔をジャンヌの頭に押し付け、涙を隠す。「アタシはアンタがそういられるよう、全力で守る。全力で助ける。アタシはアンタの友達だから」
「――――」
ジャンヌはゲオルギウスに呼び出されたジャネットが、彼から何を聞いたのかを悟った。それを聞いて尚、そんな言葉を掛けてくれる数少ない友人の存在に心底安堵した。
「ええ、頼みますよ、ジャネット」
ジャンヌはジャネットの手に自らの手を重ね、微笑んだ。
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