1-4.

「……ジョン・シャーロック・ホームズからの報告はまだあります」ジャンヌが区切るように口を開く。「悪魔の支配を完全に跳ね除けた魔人――ジェームズ・モリアーティのような魔人が誕生しました」


 映写機が動く。壁に映されたのは、恐らく十代中盤と見える少年の似顔絵だった。

 その顔に、ジャネットは反応を隠せなかった。彼の顔は、忘れたくても忘れられない。

 彼の名は、ジャック。「切り裂きジャック事件」の犯人、ジャック・ザ・リッパーその人である。ベルゼブブの配下だったが、自分の家族の為に彼の支配から脱し、自分やジョンを窮地から救ってくれた恩人だ。


「彼が『殺人鬼』ジャック・ザ・リッパー。彼は事件以後、姿を眩ませています」

 ジャックは家族の復讐の為に、そのチカラを振るった。その家族は今や『教会』の保護下にある。故に彼が悪意のままにチカラを使う事はないとジョンは語ったが、それは彼の個人的な推察だ。ジャンヌはこの場でそれに言及する事はなかった。

「鬼――いえ、悪魔の話題が出ましたので、わたくしからもご報告が」


 すらりとした細い腕を上げた尼僧。女性的な起伏に溢れた体に法衣を着、肩の辺りで切り揃えた黒髪を白い頭巾の中に収めていた。彼女の名は、天海。遠い東の果てにある皇国で生まれた『聖人』。


「中華より『狐』が我が国に入りました。今は安倍セイメイが動けないよう封じております」

「幾ら安倍セイメイと言っても、奴相手は厳しいのでは?」

 サラディンの問いに、天海が首を振る。

「中華で疲弊し、尚且つ我が国の結界に蝕まれ、満足に動けないようです。なので、今のところ彼だけで押さえ込めております。しかしみかどの傍におりますので、下手に暴れぬよう封じ込めるので精一杯なのでございます」

「では、現状、皇国を主導しているのは政府という事ですか」

「今のところは」テンカイが憂うように頷いて、「エド城は悪魔と帝の対応でてんてこ舞いと言った状況でございます」

「そうなると――ははあ、悪戯には手を出せない。政治が絡んできますと、我々は後手に回りますからな」

 ゲオルギウスは腕を組み、唸った。

「わたくし共『聖人』はまつりごとには関与出来ない決まりですから。一言二言ばかり忠言を頼まれる事もございますが、あくまでも忠言どまりです」


「そうです」

 ジャンヌの力強い声音に、全員が振り向いた。

 彼女は意を決したように息を吐くと、キッと目を吊り上げた。


「『政治』と『教会』は不可侵。なれば悪魔への対処は我々で行わなければならない。昨今の魔人達の動向から見れば、彼らが地獄と通じて何らかの計画を企てている可能性があります。

 ――今、私達が二つに分かれて争っている場合ではないのです」


 ジャンヌのその発言は、まるで火に油を注いだかのように、部屋の空気を瞬く間もなく変化させた。


 それは威嚇、牽制、威迫、抑止、制御、抑制。銃の引き金に指を掛け、刀の鯉口を切り、剣の柄を握る。互いが互いの動向を睨み、恐れ、今か今かとやがて訪れる「今」を夢見続ける悪夢の時間。


 ジャネットは戦慄する。「なんだこれは」と、彼女は鳥肌の立つ腕を押さえた。

 彼女はジャンヌの発言を理解出来ていなかった。どのような意味が隠されているかを把握出来なかった。しかしこの部屋に入る直前に友人が見せた、あの陰りの真因を見出した気がした。

 ジャンヌは部屋の中で高まる緊張感に動じた素振りを見せず、瞳の中の光をますます強める。


「私はここに『国際会議』の開催を提案致します。今日ここに皆さんを招集したのは、その賛否を求める為です」


 部屋の中は静寂に沈没した。一足先に浮き上がり、息を吐いたのは、やはりと言うべきか、ゲオルギウス翁だった。

「それは教皇の賛同は頂けているのですかな」

「はい。教皇にも同じ提言を致し、賛同を頂いております」

「ふむ……」

 ゲオルギウスは唸り、腕を組んで再び黙り込んだ。

「……貴女は『国際会議』の場で問いたい事がおありなのですね?」

 サラディンが冷たい光を瞳に宿しながら、ジャンヌにその瞳を向けた。その光を受けても、やはりジャンヌは動じない。

「はい。しかし、この場でその話は致しません。これは私が『世界』に向けた問い掛け、未来に向かう為の提案です」

「そうは行くか」声を上げたのは、リチャードだった。「何を企んでいるか知らねえが、お前一人の独断で『世界』の行く末を左右されてたまるか」


「賛否を取るのでしたら、それは独断ではありませんが、」

 リチャードの発言を訂正しつつ、続けるのは天海和尚だった。

「しかし幾らか貴女の独走が過ぎる気配が致します。先のホームズの報告も、それ全てを真実だと頷く事は出来ないでしょう。しかし貴女はそうした。それは――、貴女が彼と旧知の仲だからという事ではございませんよね?」

「違います」

 キッパリと、ジャンヌは天海の目を見ながら否定した。

「では彼が、相対した悪魔が『ベルゼブブ』だと断定した根拠は?」

「姿形が伝承と一致しています。私自身も報告と照らし合わせました」

「悪魔が取り憑く『人形』と、その技術の開発者は?」

「現在、ロンドン市内の『人形』全員を、警察庁と人形技術者達が共同で検査する方向で進んでいます。開発者はジャス・モアティ――ジェームズ・モリアーティの偽名の一つです」

「切り裂きジャック事件の解決以後のホワイトチャペルの状態は?」

「そちらも警察庁が主体となって治安改善に動くと、ロンドン市長から伺っています。ちなみに、これらはジョン・シャーロック・ホームズ氏とグレゴリー・レストレード警部の提言から起きた動きです」


 事件解決以後も残る問題に対し、ジョンは積極的に動いている事を、ジャネットはジャンヌから聞いていた。幼馴染がようやく仕事にやる気を出したのだと、彼女は安堵していた。

「ふむ、しっかり仕事の出来る探偵のようですね。安心致しました」


 ニッコリと陽光のように笑う天海。その底知れぬ笑みに、ジャネットは訝しげに顔をしかめた。なにか裏があるようで空恐ろしい。

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