1-3.

「英国で起きた『切り裂きジャック事件』をご存知でしょうか」

 円卓に問うジャンヌに、各人が頷きを返す。

「その事件の背後に、ベルゼブブとモリアーティがいました」


「ベルゼブブだァ? それはどこから来た情報だ?」

 リチャードが目付きを鋭くし、ジャンヌを睨み付ける様にする。

「『切り裂きジャック事件』の解決に尽力した探偵、ジョン・シャーロック・ホームズからの報告書です」

「またホームズか……」

 リチャードは、またもうんざりといった様子で首を振る。


 世界一の探偵と言われたシャーロック・ホームズ。しかし「探偵」でありながら、悪魔を撃退してしまう彼は、威厳を示したい『教会』からすれば、鼻つまみ者以外の何者でもなかった。あくまでも悪魔を退治するのは、『教会』に所属する祓魔師でありたいのだ。

 それでもシャーロックの力は絶大で、『教会』も「特別支援者」という肩書を作ってまで協力を要請し、彼もそれに応じていた。


「シャーロック氏は亡くなった筈では……」

 アナスタシアが小さく首を傾げながら、問うた。

「ええ、そうです。今回の報は、彼の息子に因る物です」

「なんだ、あのおっさん。ガキがいたのか」

 意外そうに、しかしせせら笑うようにリチャードが言う。

「あんな無茶苦茶な奴に嫁ぐ物好きな女がいるんだな」


「『切り裂きジャック事件』ですが、この事件に大悪魔が絡んだのは、恐らく『特異点』が発生したからです」


 その場にいた聖人全員が、目を見開いた。アナスタシアは息を呑み、天海は口元を手で覆った。リチャードとサラディンは強く歯を噛み、アーサーも体を思わず揺らした。ゲオルギウスだけが目付きを険しくするだけに止めていた。

 聖人達が一様に危機感を抱く『特異点』という存在。ジャネットはそれがどのようなモノなのかを知らない。だから、彼らの反応を見たジャネットは、驚愕以上に恐怖を覚えた。


「それも……ホームズのガキからの報告か?」

 リチャードはいっそ怒鳴るように言う。ジャンヌは彼を見、頷いた。

「はい。『特異点』の発生に伴い、大悪魔が地上に現れ、モリアーティと共にホワイトチャペルに身を潜め、そこに住む浮浪児達を懐柔しました」

 ジャンヌが「切り裂きジャック事件」についてのあらましを説明する。子供達を信者とした疑似的な宗教体。死体を加工し、命令に対して稼働する「人形」に悪魔が取り憑けるようにする違法改造……。眉唾とも言える話に、聖人達の目付きが険しくなっていく。

「おいおい、何言ってんだ。それは全て報告書から来ている話か? 本当に信用出来るのか?」

 堪え切れないとばかりに、リチャードが早口でまくし立てる。ジャンヌは落ち着いた態度を崩さず、再び彼を見ながら頷いた。

「探偵からの報告を『教会』が信じないならば、彼らなど要らなくなってしまいます」

「そういう事じゃねえんだよ」リチャードは机を腕で押して、ジャンヌに向かって身を乗り出した。「ホームズのガキはいつから探偵だ? どうせ新人だろ? 新人の探偵が、注目を浴びたいから話を大袈裟おおげさにしているだけじゃねえのか?」


 ――どうせシャーロック・ホームズのガキなんだから。そんな言葉が聞こえてきそうだった。


 シャーロックを面白く思わない人間は、『教会』内に少なからず存在する。彼自身もそれは把握していた。彼の不遜な態度は、確かに敵を作り易いだろう。

 しかしどうしてそれが、ホームズの子であるジョンの報告を信用しない理由になるのか。

 ジョンと幼い頃から親しく、また「切り裂きジャック事件」へ共に関わったジャネットは思わず一歩、前へと足を踏み出していた。


「ジョンの報告に嘘なんてありません。アタシも一緒にその場にいましたから」

 胸を張ってそう言うジャネットを、リチャードは怪訝そうに睨み、「はぁ?」と声を上げる。

「お前、誰だよ」

「ジャネット・ワトソンです。ジョン・シャーロック・ホームズと一緒に『切り裂きジャック事件』に関わっていました」

「ハッ! ホームズの次は、ワトソンか。あのオマケのワトソンのガキか、お前?」


 英雄シャーロックの盟友、ジョン・H・ワトソン。祓魔師の彼と探偵のシャーロックのコンビは、世界に知らぬ者などいないと言っても過言ではなかった。

 しかし探偵でありながら悪魔を倒せてしまうシャーロックの手前、ワトソンが矢面に立つ事は少なかった。それは彼の能力が故なのだが、それを知らぬ者からすれば、彼がそもそも何をしているのか分からない。だから「オマケ」や「お伴」などの蔑称を付けられる事があった。

 そして、目の前で自分の父がその蔑称で呼ばれる事を許せるほど、ジャネットは寛容な人間ではなかった。眉間に皺を寄せて「あァ?」と牙を剥き、リチャードに向けて足を踏み出した。


「ジャネット、場を弁えて下さい」

 切り付けるようなジャンヌの声。ジャネットは我に返ると共に、背後の気配に振り返った。リチャードの従者が彼女の背後を取り、腰の剣に手を掛けていた。

「フィリップ、下がれ」

 リチャードが乱暴に手を振った。フィリップと呼ばれた青年は彼に頭を下げ、元の位置に戻った。しかし瞳はジャネットを射抜き続けていた。

 ジャネットは一度深呼吸をすると、「申し訳ありません」と頭を下げ、しかししかめ面のまま壁際に戻った。


 すると、アーサーが口を開いた。

「貴女が謝る必要はなイ、ミス・ワトソン。リチャードの発言が不敬だったのダ」

「アーサー王、何を……!」

 アーサーの発言に、慌てたようにリチャードが声を上げた。

「ホームズとワトソンは得難き傑物だっタ。彼らを貶すような発言は、決して許されるものではなイ」

「…………」

 リチャードの額には汗が浮いていた。彼はアーサーに頭が上がらない。同じ騎士として、アーサーに畏敬の念を抱いているからだ。

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