1-1.

 ――その建物の中に足を踏み入れた者は、一様に息を呑み、言葉を失う。


 場所は聖都、大聖堂。十字教の総本山であり、世界中で「悪魔」と最も縁遠き聖都の中心だ。

 精密な彫刻、豪奢な祭壇画、豪華な大天蓋。壁や天井に隙のない程、緻密に彩られた装飾の数々に圧倒され、吸い込まれてしまいそうな錯覚すら覚える。


 その身廊を、派手に靴音を響かせながら歩く修道女がいた。……しかし彼女は「修道女」と呼ぶには、やや配慮に欠けた格好をしていた。

 動き易さを求め、袖や裾を切り詰めた修道服。頭巾を被らず、編み込んだ長い金髪を背中に垂らしていた。紺碧の目は彼女の精神性を示すように吊り上がり、鋭い眼光を光らせていた。両手、両足に巻かれた十字の意匠が施された装身具。露わにする両太腿に巻かれたホルスターには、銀色に光る拳銃が異質な存在感を放っていた。

 シスターと呼ぶには余りに物騒な恰好、剣呑な態度、無骨な武装。その異質な彼女の名は、ジャネット・ワトソン。


「ジャンヌ、時間よ」

 ジャネットが足を止め、祭壇の前にいる女性の背中に声を掛ける。


 ちょうど礼拝を終えた女性が、ジャネットの声に振り返る。

 短く纏めた金色の髪、瞳は清涼なる真空色。白磁の肌の上には、金色の装飾がされた無骨な白い鎧を身に纏う。歳に合わない大人びた顔を厳粛に固め、意思の強い瞳が長い睫毛の下で光っていた。

 彼女の名は、ジャンヌ・ダルク。オルレアンの乙女、ミカエルの声、神の炎。彼女は大天使ミカエルの啓示を受けた、世界で最も有名な「聖人」である。

「ええ、分かりました。行きましょう」


 二人で身廊を歩き、大聖堂の内部――、法王庁の管轄内へと進む。

「それにしても、アンタはいつまでアタシを秘書にしておくつもりなの?」

 ジャネットは疑問を口にする。彼女は聖都に拠点を置く祓魔師の一人だった。その彼女が教皇の最高顧問――、いわゆる枢機卿であるジャンヌの秘書として従事しているのは、事情があった。しかし今やその事情も解決し、二ヶ月が経った。

 祓魔師として、度々ジャンヌの下から離れる事もあったが、しかしそれでもジャンヌは、頑なにジャネットを傍に置き続けた。その理由を、ジャネットは知りたかった。

「……そう、ですね」

ジャンヌが足を止めた。目的の場所へ辿り着いたのだ。彼女は少し俯いて、ジャネットの方を見ずに言った。

「そろそろ話さなければならないのでしょうね」


 そんな風に曖昧に笑むジャンヌ。幼い頃から彼女を知っているジャネットは、そんな弱々しい彼女の表情を初めて見た。

 ジャンヌは幼い頃に天使に見初められ、聖人として法王庁で従事してきた。自分よりも遥かに年上の大人達の中を、千切っては投げの大立ち回りな舌戦を繰り返しす姿を、ジャネットは目にして来た。

 不遜な程に手強く、誠実が故に容赦なく。そんな彼女が、不安そうに顔を曇らせている。


「これが終わったら、全て話します」

 ジャンヌはそう言い、扉を開け、ジャネットと共に中へ入った。

 部屋の中には、錚々たる人物達が座して待っていた。


 ――七つの大罪に対する、七つの美徳。

 ――七つの邪悪に対する、七つの善性。


 冠す美徳と、架けられた息吹。

 「勤勉」、「忍耐」、「寛容」、「節制」、「貞潔」、「慈愛」、「誠実」。

 ここにあるのは、七つの美徳、七つの善性――総じて、天使。


 その部屋の中には、世界に誇る七人の「聖人」がいた。


 優れた軍略で大戦を勝利に導いた『獅子心』、リチャード・ザ・ライオンハート。

 最も年老いた歴戦の兵、そして名高き『龍殺し』、ゲオルギウス・カリブ。

 敵対する者にすら寛大を忘れぬ才人にして『傑物』、サラフ・アッディーン。

 悲しみの果てに憐れみと救いを齎す『皇女』、アナスタシア・グローズヌイ。

 掲げる剣は重鎮の聖剣、騎士の頂に立つ『騎士道』、アーサー・ザ・キング。

 数多の人々に光を与え、未だ歩き続ける求道の徒『菩薩』、天海和尚。

 誠実、これ一言に尽きる。彼女こそが得難き本物の『聖女』、ジャンヌ・ダルク。


「お忙しい中、ここに皆様がお集り頂いた事に、深く感謝致します」

 六人が座す円卓の前に立ち、ジャンヌが深く頭を下げた。


「前置きはいい。それから丁寧な挨拶も必要ない」

 卓上に頬杖を突き、ジャンヌの礼を拒むように、雑に手を振るリチャード。

 背に獅子の描かれた赤い盾、腰に洋剣、白を基調とした鎧の胸には、赤く塗られた十字架が誇らし気に輝いていた。赤い髪は逆立ち、それこそ赤毛の獅子のようだった。切れ長の目は剣のように鋭く、顔や手に刻まれた傷からは、彼の戦士としての歴史を想起させた。


「その通りですな。我々は皆、天使の徒。平等に違いない」

 剃髪した頭、笑う細い目と好々爺然とした風貌。それに似付かぬ無骨な黒の甲冑。蓄えた髭を擦りながら、ゲオルギウスはそう続けた。


「ありがとうございます。では、そのように」

 再び軽く頭を下げ、ジャンヌは壁際に控えるジャネットを見た。彼女は部屋に蔓延る重圧な雰囲気に、息苦しそうにしていた。

 壁際にはジャネットと同じように修道服を着た、聖人に仕える従者達が並んでいた。ジャネットは彼らの方を一瞬見た後、ジャンヌの指示の下、部屋の照明の灯りを落とした。

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