4-2.

「そうだねえ。――さて、建設的な話をしようか」相変わらずクルクル回りながら、先ほどまでの空気を区切るようにヴィクターがそう言った。「女体を見るにしても、まずジェーンのくらいの規格外でないと、ボクはもう見飽きてしまったよ」

「……ちょっと、それのどこが建設的な話なのよ」

 ジャネットの口の端がヒクヒクと震えていた。ヴィクターはそんな彼女の様子など知りもせず、

「え? ジャネットがいくら寄せて上げようとも、その努力が逆に涙を誘うから、キミはありのままの方がいいという、ボクからのありがたい進言――」

 言い終える前に、ヴィクターが宙を舞った。

「お前はアタシの体を見て、そんなことを考えていたのかッ!」

 椅子ごとヴィクターを引っ繰り返したジャネットが、怒涛の勢いで大声を上げた。

「胸の谷間は自然な姿ならば、Iを描くんだ! 君のは寄せて上げたYの字だったろう! 見栄を張るのはいいが、そういうのはバレないようにやりたまえよ! なあ、ジョン、キミもジャネットの谷間を見ただろう!」

 悪びれるどころか、自分が悪いことを言ったつもりなどさらさらないヴィクターは、信じられないとジャネットを非難する。


 突然、矛先を向けられたジョンは、

「えっ、あ、え――え……ッ?」

 ヴィクターの言葉に誘導され、ジャネットの下着姿を思い出そうとして、慌てて思考を遮断した。突き刺さるジャネットの鋭く冷たい視線を感じたのも、理由の一つである。

「この変態! そもそもあのおっぱいオバケと比べたら、アタシらの同級生全員が負けるでしょうよ!」

 ジェーンのバストサイズは確かにすごい。ジャネットの言う通り、彼女らの同級生達と比べるまでもない大きさだっただろう。

 ジョンは修道服の胸の部分がパツパツに張っているジェーンの姿を思い出し、グッと奥歯を噛んだ。やめろ、やめろ。考えては、思い出してはいけない。しかしジョンの顔はみるみる赤くなっていった。

「思い出してんじゃないわよ、ジョンのむっつりスケベ!」

 なぜか涙目になっていたジャネットが、今度はジョンへ矛先を向けた。彼は慌てて口を開く。

「うるせえよ、そんなんじゃねえよ、フザけんな! ジェーンの胸、胸、胸なんて……」

 段々と言葉が尻すぼみになり、顔の紅潮を酷くしていくジョン。乙女のように顔を手で覆って、「あああああ」と呻きながら頭を振り乱した。

「ちなみに、ジェーンの何カップだったんだい?」

「あァッ!? Jよ――って、何言わせんのよ!」

 ――Jッ!? ジョンは愕然とする。アルファベットはAから始まる。J……、Jとは……なんだ?

 錯乱の極みに陥ったジョンは、また煙草に手を取った。しかし震える手ではなかなか火が点けられない。


「……ハア、まったくもう……」

 乱痴気騒ぎの中、ジュネだけが溜め息をついた。

 四人の様子を見ていたメアリーが、ジュネの下にやって来て、

「皆、すごく、楽しそう」

 笑いながらそう言う彼女を見、ジュネは困ったように少し笑い、「そうねえ」と呟いた。

「シャーロック達が死んじゃってから、こうして四人が集まるのは初めてなの。昔は――学校を卒業する前までは、毎日のようにつるんでいたけど」

 そこにはジェーンもいた。ジュネは言いながら、在りし日の五人の姿を思い浮かべる。


「…………」

 こうして四人が集まり、昔のように他愛のないバカな話で盛り上がる。その輪の中にいながらも、ジュネは言葉を出せなかった。

 ジョンとジャネットは性格が性格だから、何かと喧嘩ばかりしている。ジェーンとジュネがそれを仲裁しようとやきもきしている中、ヴィクターが頓痴気とんちきな横槍を入れてひんしゅくを買う。……そんな一連の流れがあって、そんなバカみたいな集まりだった。

 焦ったり、困ったり、泣いたり、色々あって、それでも笑顔の数の方がぐんと多かった。

 ……けれど、五人の中の一人が欠けてしまった。それだけだ。それだけなのに、それぞれの中には自覚し得ない違和感が沈んでいた。

 ジュネはその違和感が沈む胸に手を当てる。いや、彼女にとっては違和感ではなく、異物だ。


 ジェーンがいない。ジェーンのあの、一目見ただけでほんわかと暖かくなるような笑顔がないだけで、酷く不安になる。


 あの笑顔があったから、皆が繋がっていたのかも知れない。それがなくなってしまった今、そしてこれからは一体――……? そんな気がして、ジュネは不安になる。

別に、会えなくなった訳じゃない。ジェーンは辛うじて一命は取り留めた。だからいつだって会いに行ける。……でも、彼女の傷付いた姿を見るのが、あまりにも辛くて、怖くて。多分、この四人は同じ思いを抱いてしまっているのだろう。


 ――私は私らしく在ろう。皆の為に、いつか戻って来るジェーンの為に。だって私は、ずっとココにいたいから。

 ジュネはもう不安に怯えるだけの女性ではない。かつてはそうであったかも知れないが、ジョン達との出会いで彼女は変わったのだ。


 パンパンとジュネが両手を打ち鳴らす。その音に驚いた三人が、彼女に振り向いた。

「はいはい、おフザけはお終いよ。オトナなんだから、ケ・ン・セ・ツ的なお話をしましょう」

 ジロリと三人を睥睨しながら、ジュネは今度こそ区切るようにそう言った。

 ジュネの視線の圧に耐えかね、ジョン、ジャネット、ヴィクターは互いに顔を見合わせ、やがてすごすごといった様子で席に着く。その様を見て、満足そうにジュネは頷いた。

「じゃあ、紅茶を淹れていくるから、ちょっと待っててね」

 ジュネはそう言い、キッチンへと消えた。その背中を見送って、ジョンが口を開く。


「……そもそも、なんでお前はここにいるんだ?」

 その言葉を向けられたジャネットは、ムスッと頬を膨らませ、

「何よ。アタシが帰ってきて、そんなに嬉しくないの?」

「そういう話じゃなくてだな……」ジョンは頭を掻いて、「要件もなく、祓魔師が出歩く訳がないだろ。お前らは厳しい戒律を重んじることで精神の善性を保つ――だったよな?」

 真面目な話を持ちかけられたのに、いつまでも子供っぽい対応をしてしまった。ジャネットは自分が恥ずかしくなったが、けれどその恥ずかしさを隠すために、

「はァン? アタシがここにいるのは、仕事だからに決まってるでしょ?」

 と、喧嘩腰な態度へ答えてしまった。

 カチンと来たジョンだったが、今しがたジャンヌから聞いた負傷した祓魔師の話を思い出した。そしてジャネットの腕に巻かれた包帯に、ジョンは今更ながら気付いた。

「じゃあ――、切り裂きジャックに襲われたのはお前だったのか。怪我は大丈夫なのか?」

「腕をブッスリ刺されたんだよ、二、三日で治る訳ないじゃん。バカなの?」

 ハッと小馬鹿に笑い飛ばすジャネットに、ジョンの抑えたはずの苛立ちが一瞬でピークを通り越す。

 うわー、久し振りだなー、この感じ。ジョンの中の沸点が一線を超えたことにいち早く気付いたヴィクターは、「もうどうにでもなれ」と諸手を上げた。

「……糞女。久し振りに会って、良い挨拶かましてくれるじゃねえか」

 引き攣った笑みを浮かべて牙を剥くジョン。呆れたような目をして、ジャネットがフンと鼻を鳴らす。

「何、嬉しいの? アタシはまだまだ言い足りないんだけど?」

「へえ……、面白え。言ってみろよ」

 ジョンのこめかみに浮かび上がった血管が不吉な脈動を繰り返す。ジャネットはその様子をしばらく黙って眺めていたが、やがて大きく息を吐いた。

「ガキには付き合ってらんない。――ねえ、ヴィクター。アタシ、こっちに来てすぐホワイトチャペルで例の殺人鬼と会ったんだけど、アイツって『人形』じゃない?」

「おや、鋭いねえ。ボクもその説をついこの間、ジョンと話し合ったばかりさ」

「……そんなこと、報告書にはなかったけどねえ? ――ああ、そっかあ。アンタが書いたんじゃないんだもんねえ。シャーロックの息子は、仕事に手ェ抜いても怒られないんだね。羨ましいなー」

 全身の血が熱くなる。ジョンの理性は一瞬にして蒸発した。彼はただ血の命じるままに、ジャネットに向かって詰め寄る――。


「ジョン!」

 響く、叱責。ジョンが鋭い目付きのまま振り返った先には、盆に紅茶を抱えたジュネが毅然とした態度で立っていた。

「あッ!? なん――」

 ジョンの強い声を無視して、ジュネが瞳を強く光らせながら、ジャネットへ顔を向ける。

「それにジャネットも! あんたはジョンをガキ呼ばわりしたけど、わたしからすれば両方ともガキよガキ。クソガキよ、くだらない!」

「「あァ?」」

 一瞬にして二人の眉間に深い皺が彫られる。この二人が一緒に怒るとか怖すぎない? と、ヴィクターが思わず後退る。

 ジュネは胸の中で拳を握って、後ろに下がりそうになった自分の体を奮起させる。

「互いに煽り合って、一体何がしたいわけ? ジョンは自分のミスをちゃんと見詰め直して改めること! ジャネットは無駄口ばっか叩いてジョンをわざと怒らせないこと! まるでかまってちゃんよ!」

 一番年下のジュネの真面目正論攻撃に、ジョンもジャネットもグッと押し黙り、顔を見合わせる。


「もう、紅茶を淹れる時間すらも待っていられないなんて、まったくもう……」

 ジュネがブツブツと文句を言いながら紅茶を配る中、ジョンとジャネットは気まずそうに顔をしかめた。

 その様子に、ヴィクターが我慢出来ずに吹き出した。

「なんだい君達のその顔、可笑おかしいったらしょうがな――痛い!」

 左右から同時に飛んで来た二冊の本が顔に激突し、ヴィクターが悲鳴を上げて、床に倒れた。


「……いやあ、なんだか、昔みたいだねえ」

 ややあって、倒れ込んだまま、ヴィクターがふいにそんなことを口にした。三人はハッとしたように目を開く。

 怒鳴り合い、喧嘩してばかりのジョンとジャネット。二人を諌めようとあたふたするジェーン。二人を見て、笑い、結局殴られるヴィクター。一連の出来事を見て、しょうがなさそうに溜め息をつくジュネ。


 いつもの事。いつもの茶番。何気なしに起こる、日常茶飯事。

 けれど、もう、ここには――――。


「いいえ、もう違うわ。だって、ジェーンはいないもの」

 ジャネットはどこか拗ねたように言い、机を足で小突いた。何度も、何度も。

「分かってるよ」

 ジョンはソファーに力なく背中を預け、俯いたまま言う。その言葉にすら力が籠っていない。

「分かってない!」

 返すジャネットの声は、怒りを孕んだ危険なものだった。

 そうだろう、お前にとってはそうだろう。ジョンは拳を握る。正直彼は、ジャネットにだけは会いたくなかった。

 父と妹をいっぺんに失った。彼女の怒りは真っ当だった。許せるはずがない。

 しかし、ジャネットの口からは言葉が続かない。


 鬱屈とした濃霧が掛かる心は、この場にいる誰しもが抱えているものではあった。それの解釈の仕方が違うだけで。

 ジョンは苛立ちと罪悪感を。ジャネットは怒りと戸惑いを。ヴィクターは逡巡と虚無を。ジュネは悲嘆と因循いんじゅんを。

 だから――、


「ジャネット、もういい」ヴィクターは終わらせた。答えが出ないものは、答えが出るまでそっとしておいた方がいいと、彼は言う。「振り返っても辛いだけだ。ならば見なければいい」

「そんなのはただ逃げて――」

「逃げるさ、ボクは。答えを出すのが怖いから。それでいいと、ボクは思っている」

 自分の想いに自負しているからこその瞳の強さ。その強さに見詰められ、ジャネットは悔しそうに顔を床に向ける。……顔を背けてしまう時点で、迷っているのだと口にせずとも言葉にしていることに気付かぬまま。

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