4-3.

「さっ」ヴィクターはパンッと手を叩いて、「不毛な話は終わりにして、楽しい話をしよう。せっかくこの四人が久し振りに集まったんだからね」


「なら、仕事の話をさせてもらうわ」

 ジャネットがそう言って、ジョンに振り返る。

「仕事って……なんだよ」

 ジョンが至極嫌そうに身を引く。それを見たジャネットは、至極楽しそうに歯を見せた。

「ジャンヌから聞いてないの? あんたと組んで、切り裂きジャックの尻尾を掴めってさ」

「はァ? フザけんな。お前なんかいなくても――」

「いいんじゃないか? ホワイトチャペルを単身で潜るのは危険際まりないし。ジョン、キミだって手痛い思いをしたのはついこの間だろう?」

 手痛いとは文字通りだな、皮肉のつもりかと、ジョンはヴィクターを睨んだ。彼の強い瞳を受けても、「事実だろう」とヴィクターは肩を竦めてやり過ごす。

「だからって、なんでこいつを寄越すんだよ、『教会』の連中は」

「あんたを管理出来るのは、幼馴染のアタシだろうって判断でしょ」

「……どうせそれを押し通したのは、ジャンヌだろう」

 ジョンの低い声に、「当ったりぃ」とジャネットはVサインを作る指を動かして見せる。

「『私の言葉に抗う為に、彼は不必要な無理を自らに強いるでしょう。良く見ていて下さいね』――ってね」

 ジャネットがジャンヌの声音を真似してみせた。それが上手いから嫌だと、ジョンは頭を掻き乱す。それを見て、やはり楽しそうに彼女は笑った。


「なんだかんだ」ジュネがヴィクターの横に立ち、ジャネットに聞こえないように小さく言う。「やっぱりジョンと一緒にいるジャネットって、すごく楽しそうよね」

「そりゃあ、ジョンをイジるのは楽しいもの」

「そういう事じゃないわよ」

 呆れ顔のジュネに脇を肘で小突かれ、「うっ」とヴィクターが呻く。


 ヴィクターは、ジャネットとはシャーロックとワトソンの葬式以来だった。茫然としたままの彼女は見ていられなかった。だから今日、彼女の笑顔を見られてヴィクターは内心ホッとしていた。

 もちろん、彼女はまだ悲しみから立ち直っていないだろう。父を亡くし、妹は重症の身。悲しみを癒すに足りるだけの時間はまだ経っていない。それでも笑顔になれるならば、それは紛れもない僥倖だ。


 ジョンは――彼は笑っているだろうか。ヴィクターは久しく彼の笑顔を見ていない気がした。ここ最近の印象に残る彼の表情は、歯を剥きだした怒りの顔と、それと相反するような罪の意識に囚われた沈痛な顔だった。……彼に安寧が来たることを祈るしか出来ないのかと、彼は歯噛みする。せめて久し振りに友人が集まった今日だけでも――と思い、ヴィクターは口を開いた。


「せっかくだから四人で夕飯でも食べようか」

 ヴィクターの提案に、ジャネットとジュネの二人は快諾する。しかしジョンは浮かない顔で、

「……金が、ないんだよ…………」

 彼のあまりに情けない発言に、事情は知っていても三人は絶句する。


「ジョン、真面目に仕事の話をしましょう」

「そうだな……」

 頭を抱えたジャネットの言葉に、ジョンは大きな溜め息を吐いた。

「ヴィクターは食事の話は後で。あんたにしてはいいアイデアじゃん」

「お褒めに預かり光栄だ、教会科主席卒業生様」

 ジャネットは「いつの話をしてんのよ」と笑って答える。


 教会科とは十八歳まで通うアカデミーの中で生徒が選択する学科の一つである。そこに入学した生徒は、主に神父や修道女、悪魔祓い師など『教会』に従事する職業を目指す者が多い。

 ジェーンもジャネットも教会科の卒業生であった。ヴィクターは医学科、ジュネは工学科だ。

 ジョンはと言うと、彼も教会科だった。探偵を目指すからには、悪魔に関する知識を学ばなければならない。教会科の卒業は、免許を取得する為に必要不可欠だった。しかし神を信仰しない彼にとって、学生時代は苦痛と苛立ちの日々だった。その日々を乗り越えられたのは、友人達がいたからだ。

 ……出来るならばあの日々に戻りたいと、ジョンは思う時がある。あの頃はまだ何も失っていなかった。


「ボーッとしてんな」

 コツンとジャネットの拳で頭を押され、ジョンは我に返った。

「おお……、悪い」


 対面に座るジャネットに、ジョンは手を上げて謝る。……なんだ、まだこんな風に気安い動作が出来るんじゃないかと、彼は安心した。対して、安心を感じてしまうそれ自体に違和感を持つ。彼女にそんなことをしていいのか、自分は彼女の大事なモノを守れなかったくせに――。


 ジェーン、シャーロック、ワトソン。三人が奪われた夜、ジョンは彼らの傍にいた。しかしその時の記憶は断片的で、ジョンはほとんど覚えていなかった。だが自分が何も出来なかったことだけは知っていた。結果からすれば、自分を守る為に、三人は犠牲になったのだ。

 何も出来なかった。足手まといにしかならなかった。今までの鍛錬や修行はなんだったのか。ジョンは一夜にして、今まで培ってきた全てを恩人達と共に失ったのだ。


「言った傍からそんなんじゃあ、先が思いやられるっての」

 ジョンはハッとして、顔を上げる。目の前に呆れ顔で腕を組むジャネットがいた。両手で自分の顔を叩いて、彼は激しく頭を振った。

「悪い。――で、仕事の話だな」

 今はただ「今」を見詰めろ。ジョンは自分に言い聞かせる。


 過去を引き摺ったまま今を歩き続けるというのは、途方もないことであると彼は知らない。知りたくない。歩みを止めた時、彼は底のない罪の意識に沈んでいくだろう。そして、やがて罰を求める。――――それこそ、底無しの。


「あ、その前に一ついい?」ジャネットが指を立て、そのままメアリーを指差した。「この子は誰なの?」

 平然とそう言ってのけるジャネットに、ジョンは思わず絶句する。

「お前、この子が誰かも分からず一緒に湯を浴びていたのか……?」

「そうよ。だって可愛いんだもん」

 そう言って、メアリーに抱きつくジャネットとくすぐったそうにするメアリー。

……「だって」の意味が分からんと、ジョンは大きくため息をついた。

「この子はメアリー。僕の依頼主だ。内容は『彼女の家族を救う』こと」

 言いながら、ジョンは何一つ彼女の助けになれていない気がした。いや、実際そうなのかも知れない。一緒に連れ立ってホワイトチャペルに向かった以外、彼は動いていないからだ。その行動の結果だって、何も得られていないに等しい。とんだ体たらくだ――と、ジョンは自嘲して胃の辺りを撫でた。

「メアリーの、家族?」

「うん。わたしと同じように、ホワイトチャペルに住んでる子供。皆、家族みたいに集まって暮らしてるから」


 メアリーは家族のことを口に出して明るい笑顔を浮かべたが、急に痙攣を起こしたかのように、その笑顔が固まった。

「ちょ、ちょっとどうしたの?」

 ジャネットが慌てて、メアリーの肩を抱いた。

「……あの子達になんか――、ごめんなさいって思って。裏切り者の私が、綺麗な服を着て、暖かい布団で寝てるなんて……」

「…………」

 ジャネットは黙って、メアリーを抱き、頭を撫でた。やがてジャネットの胸の中で、彼女は体を震わせた。


 ――嗚呼……、僕はやっぱり何も出来ない。


 ジョンの視界が、ベッドの上の二人から急激に離れていく。それにつれて心が闇に呑まれていく。暗澹たる想いに胸を締め付けられ、息が苦しくなっていった。

 ジョンはメアリーを、彼女の仲間達を救えない。切り裂きジャック事件の解決に利用し、その後の彼女達に何も出来ない。

 ジョンに彼女達をあの暗闇から救う力はない。彼女達を保護し、生活させる為の財力もなく、援助を請う為の人力もなく、地域の治安を正す為の指導力もない。……己の力の無さに、ジョンは俯いて歯噛みする。そしてその裏で、「父なら、どうするのだろう」とずっと考えていた。

 強引なまでに他人を巻き込んで集めた人力と「シャーロック・ホームズ」という看板を掲げることで集まるだろう援助金で、瞬く間に英国の闇に光を投じてしまうかも知れない。

 嫉妬。怨嗟。不甲斐なさに遣る瀬なさ。妬み、嫉み、恨み、僻み、憎しみ――。赤黒く、粘り着いた感情が彼の胸の中を満たしていき、吐きそうになる。 

 こんなことばかりだ。ジョンは吐き気を堪えながら、そう胸の中で吐き捨てる。親父が死んでから、親父の大きさを思い知り、その度に自分の無力さを呪ってしまう。

 偉大なる父から特異なモノを受け継ぐこともなく、ジョンは普通の人間として生を受けた。それでも父の名に恥じぬ為にも、彼は努力を続けた。けれど埋まることのない父との力の差に、ジョンは――……絶望は、しなかった。それは敗北だ。父にだけは絶対に負けたくなかった。例え勝てなくとも、負けを認めたくなかった。いつか絶対に勝ってやると、きっと、いつか――。


 その「いつか」が二度と来ないことすらも、彼は認めたくなかった。


 ――親父のことなんて考えている場合じゃない。ジョンは目の前で泣いているメアリーを見詰め、頭を振った。今、目の前にあるモノだけを考えろ。

「ヴィクター」言って、ジョンはヴィクターに振り返る。「さっきお前に預けた『人形』はどこにある」

「そこのベッドに寝かせてあるよ。……と言うか、彼女はどこから攫って来たんだい?」

「攫ったわけじゃねーよ」そう言いながらジョンは眉を寄せた。いや、似たようなモノかも知れない、少なくとも『人形』の主にとっては――と思い直した。「あいつには襲われたんだよ、ジャンヌと一緒に飯を喰ってる時にな」

「『人形』に襲われた? ――いや、それより待ちたまえ。キミは聖女ジャンヌ・ダルクと会ったのか、君!? ああ、どうして君ばっかり! フザけるなよ!」

 ヴィクターが血相を変え、ジョンの胸蔵を掴んで振り乱した。ヴィクターのあまりの急変に彼は泡を食って、

「それはお前だジュニア! あいつのことになるといつもこうだ! 気持ち悪いんだよ!」

「僕の聖ジャンヌへの想いが気持ち悪いだとぅ! キミ、言っていいことと悪いことの区別もつかないのかい!」

「うわあ、気持ち悪い」

「なんだとぅ!」

「ヴィクター、落ち着きなさいよ」

 ジュネに襟首を掴まれ、ヴィクターは無理矢理引き倒された。彼はそのまま床に這い蹲って、メソメソと泣き始める。

「うわあ、気持ち悪い」

 そう呟くのは、ジュネの番だった。


「襲われた――って、どういうことよ。『人形』が他人を攻撃するわけないでしょ?」

「悪魔憑きだったんだよ。ジャネット、お前はホワイトチャペルで人形に襲われたんだろう、アレと同じだ」

「まあ、アレが悪魔憑きなのかどうかは判別しかねるけど……」

 やはりそうなのか。自分と違い、霊感を持つジャネットでさえハッキリと明言出来ないのだ。ジョンは問題の難しさに唸り声を上げる。


「まあとにかく――、ヴィクター、さっきの『人形』を可能な限り調べてくれ。どんなことでもいいから、何か分かったら教えてくれ」

 未だに荒んでいたヴィクターも、ジョンの真面目な声を聞いて、さすがに起き上がった。

「……分かった、調べておく。それでキミはどうするんだい」


「そうだな――、『人形』の持ち主に、どこでそれを手に入れたのかを聞き出すか」

 ジョンはそう言い、右手の骨をパキッと鳴らす。ヴィクターは猛烈に嫌な予感を抱いて、

「おい、一般人に手を上げるなよ。それじゃあただのチンピラだ」

「あァ?」ジョンが眉を寄せて、声を上げる。「チンピラじゃねーよ、お前フザけんなよ」

 いや、どう見ても……。ジョンの様子を見て、部屋の中にいる全員が胸の内でそう呟いていた。

「キミは鏡で自分をもう一度見返した方がいい。キミみたいな童顔がいくら凄んだところで、何も怖くないぞ!」

 しかし胸の内で呟くだけですまないのが、ヴィクター・フランケンシュタインという男だった。空気が読めないだけとも言う。

 人が気にしていることをズケズケと……。ジョンは胸の中で呻く。

 確かに彼は、下手すれば十代半ばに間違われるほどに幼い顔付きだった。実年齢は二十を超えようかと言うのに。

「口の減らない奴だな、ジュニア。よっぽど殴られたいみたいだ」

「おおっと、それは勘弁してくれ。君はそこらのチンピラみたいに短気だが、しかし武術に関しては誰もが舌を巻く腕前なのだ。チンピラみたいな奴だけどな!」

「……よし、分かった。一発ぶん殴るとしよう」

「まままままあ落ち着き給えよキミ! それに外を見ろ。もう夕日も沈もうかと言うところだ。仕事は明日からにしてはどうかな!」

 ヴィクターにそう言われ、ジョンは窓の外を見た。常に薄暗いロンドンにも、夜闇が迫りつつあった。

 出鼻を挫かれたような感覚だったが、確かに日を改めるべきだろう。ジョンは大きく息を吐いた。


「とにかく、アタシ達がすべきことはメアリーを助け、そして切り裂きジャックの正体を突き止める。もしも悪魔憑きであるなら、倒す。それだけよ」

 その通りだ。ジョンは頷いたが、グッと拳を握って意気込むジャネットには首を傾げた。

「なんでお前がそんなにやる気なんだよ」

「こんなに可愛い子が困ってるんだもの。やる気が出ない方がおかしいでしょ?」

 そう言うや否や、メアリーに抱き付くジャネット。くすぐったそうに縮こまるメアリーを見ながら、「勝手にしてくれ」とジョンがぼやく。

「ともかくヴィクターの調査が足がかりだな。それに切り裂きジャックが悪魔に憑かれているか否か、確固たる証拠を提出しないと、僕は探偵を続けられなくなる」

「え、マジで? どういうこと?」

 キョトンと首を傾げるジャネット。しかしメアリーは離さない。

「……あの糞聖女サマから直々の通達だよ。ジャック某の件を終わらせられなければ、免許を剥奪するとな」

「ジャンヌぅ……。あの頑固者は、全く!」

 そう言うジャネットに、なんでお前が恨めしそうにするんだよとジョンは首を傾げて、

「お前と動いて、切り裂きジャックを叩き出す、と……。嗚呼、全く。なんでお前と一緒にいなきゃならないんだ……」

 嫌そうに頭を掻き乱すジョン。彼のボサボサ頭が更なる惨状を見せていく。


「ところで、これは念の為と口にする提案なんだけど、」

 ヴィクターが妙に慎重な前置きを口にしたので、ジョンはジャネットと共に訝し気に眉を上げた。

「取れる選択肢として、『ママ』についてジェーンに『霊視』を頼む手もあるからね――と、一応言っておくよ」


 肉体的な感覚器を用いずに対象を視る、あるいは霊的存在を視覚的に感知する事を「霊視」と呼び、稀にそういった才能を持って生まれる者がいる。

 ジェーンもその一人だった。彼女は対象の思い入れの強い物品や人物と物理的に接触し、それらと結び付いた縁を頼りにして遠く離れた対象の様子を伺う事が出来た。かつてヴィクターとジュネは彼女が持つそのチカラで救われた事もあった。


「――無理だ。今のあいつにそんな事はさせられない」

 しかしジョンは思考すらせず、反射とも言える早さで、ヴィクターの発言を否定した。


 ジェーンのチカラは強大が故に、彼女の体力を大きく奪うのだ。ただでさえ体の弱い彼女は、一度視れば三日三晩寝込む事だってあった。……激しく体を損傷した彼女に果たしてそんな苦痛を強いる事が出来るかと、損傷の原因を作った当の本人であるジョンは歯を食い縛った。


「そうよ、ヴィクターだって分かってるでしょ」

 ジョンとは異なり、ジャネットはむしろ非難するようにヴィクターを睨み付ける。

 ヴィクターは彼女の鋭い視線に対し、諸手を上げて見せた。

「そういう選択肢もあるよという忠告だよ。ボクだって今の彼女の状態は知っている、無理はさせたくないのが本音だよ」

 だがどうしようもなくなった時、彼女の異能に甘える事も出来る。ヴィクターが口にしたのは、二人が無茶をしない為の牽制だった。


「……それにしても、君らが一緒にいるとなると……」

 ヴィクターは不穏な気配を放つ二人に対しても牽制するように言葉を続ける。

「ジョンとジャネットかあ……。そうね」

 ジュネも同様に笑いながら、しきりに頷いた。

「……お前ら、まだ何か企んでんだよ」

 二人の様子を見て、胡散臭そうにジョンが言葉を落とす。


「いやあ、単純にこう思っただけだよ。――まるでシャーロックとワトソンの二人組みたいだなあって」


 その言葉を聞いて、ジョンは痛みに堪えるように目を閉じた。

 対して、ジャネットはキョトンと目を丸くした後に、口元を手で覆った。その下にあるのは、嬉しそうな笑顔だった。

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