3-3.

「聖女サマがこんなところで何ァにしてるんだァあ?」

「――――!」


 ジョンの両手首の傷が熱くなる。それを感知すると同時に、彼は飛び出していた。

 真上に振り被り、そのまま振り落とされる箒。ジャンヌは突然の事態に反応出来ずにいた。ジョンはそんな彼女の肩を右手で押し退け、掲げた左腕で箒を受ける。

 木で出来た箒がバキッという音を立てて砕け散る。ジョンは腕に走る痛みに堪えながらも、「人形」の胸に右手の掌底打ちを突き込んだ。


「ジョン! 一体何を――」

「うるせえ、下がれ!」

 詰め寄ろうとするジャンヌの肩を押して制し、ジョンは鋭い声を上げた。

 ジャンヌは尚も言葉を続けようとするが、自身を押すジョンの手首から血が流れていることに気付き、ハッとなって顔を上げた。

「ジョン、血が……ッ」

「問題ない」

 ジャンヌはジョンの「傷」について知らない。流血は箒に打たれたのが原因だと思っているのだろう。それに説明している時間なんてない。今の今まで話していた眉唾が、目の前に立っているのだ。ジョンは言葉を失っていた。


 背中から地面に倒れていたメイドがゆっくりと立ち上がり、顔を上げた。その青い瞳を、真紅に染めながら。

「ナメたことしてんじゃねえぞ糞っ垂れ――ッ!」

 吠えるが否や、ジョンが爆ぜた。

 勢いを乗せた上段蹴り。それをまともに受けたメイドが大きく吹き飛び、馬車が行き交う道路へと飛び出した。

 突然、目の前に現れたメイドに、驚いた馬車の御者は咄嗟に綱を引いて馬を止めようとした。しかしそれは叶わず、馬の蹄はメイドを容赦なく踏み潰、す――、

「――ィいいいイいたいなああ!」

 メイドが奇声を上げながら、馬の太い首をその小さな手で掴み上げ、力づくで馬車を止めた。

 首を絞められ喘ぐ馬、事態に理解が追い付かない御者、馬車に乗る客が窓から身を乗り出し、這々の体で逃げ出そうとしている――。

 その光景を目の当たりにし、ジョンとジャンヌは思わず立ち尽くす。

 二人の呆けた姿を見たメイドが、ニィと笑う。そしてあろうことか、馬ごと馬車を振り回し、彼らに向けて放り投げた。


「は……ッ!?」

 宙を飛んで迫り来る馬と車に、さすがのジャンヌも絶句した。

 ジョンは動けないジャンヌを抱えて、真横に勢い良く跳んだ。その直後、落下した馬車によって軽食屋の店舗やテーブルが吹き飛んでいった。

 ジョンはあまりにデタラメな光景に舌打ちをして、視線を回す。軽食屋の店主、馬車の御者と客が地面に投げ出されていたが、やがて立ち上がり慌てて逃げていく姿を見て、大事ないことにホッと息をついた。――そして、メイドへと振り返る。

「相変わらず滅茶苦茶だなあ、お前らは」

「きし、きし、キシッ」

 ジョンの声に、メイドは言葉を返さず、奇天烈な笑いを浮かべるだけだった。

 それを嘲りと受け取ったジョンは、歯を剥き出して彼女に向けて笑みを返す。


 ――先に動いたのは、ジョンだった。

 地を蹴り、疾駆する。躊躇ためらう事なくメイドの眼前に飛び出し、右の拳を彼女の顔目掛けて射出する。

 突き刺さる拳――人差し指と中指に嵌まる金の指輪。ナックルダスターとしての意味合いを持つそれは、聖書の一文が刻まれた対悪性武具だった。

 一度、二度、三度――。ジョンは顔、胸、腹に瞬きと同じ速度で縦拳をメイドに突き込んだ。指輪が熱くなり、メイドの体に烙印を刻むのを感じながら、ジョンは更に攻撃を続ける。

 しかしそれを黙って許すほど、敵が甘いはずがない。「ぃいいイい!」と高い声を上げながら、メイドがガムシャラに両腕を振り回した。

 ジョンは膝を地に突けてしゃがみ込み、上体を大きく後ろへ逸してメイドの拳をかわす。馬車を振り回すほどの怪力だ、一撃でも喰らえば一溜りもない。熱くなる体と冷えていく思考の相反を感じながら、ジョンは敵の攻撃の隙間を、自身の拳で突き刺していく。


「…………」

 ジャンヌは、ジョンが悪魔と戦う姿を初めて見た。

 綺麗だ――そんな言葉がジャンヌの頭を過ぎった。ジョンの攻撃には一切のムダがない。敵を討つ為の最適解、最効率を探し出し、それを的確に、一度のミスもなく続けていく。

 かつてのシャーロックの姿と同じものを、ジャンヌはジョンから見出した。

 メイドの鳩尾を捉えたジョンの蹴りが、とうとう彼女の膝を折った。

 例え悪魔が取り憑いていたとしても、そこにあるのはあくまでも「人体」だ。人体に各種ある急所を狙い続ければ、魔人であろうともその膝を崩すことは出来る。

 しかしそれ以上の攻め手がジョンにはなかった。彼は探偵だ。本当の意味で悪魔を倒すことが出来るのは、祓魔師だけだ。


「ひイヒいひい……ッ」

 呻き声を上げながら、メイドが体を起こそうとする。

「動くな」しかし彼女の背中を、ジョンが容赦なく踏み付ける。「お前が憑いているのは『人形』だよな? 一体どこから来た?」

 ジョンの言葉にメイドは答えなかった。ジョンは更に体重を掛け、彼女の体を踏み潰す。

「ホワ、イト、チャペルぅう……」

 息も絶え絶えにメイドがそう答え、ジョンは大きく舌打ちした。

 ヴィクターは死体を悪魔の温床にしているのではと語った。彼の予想は当たっているのかも知れない。「ママ」なる人物が死体を人形技師に斡旋して利益を得、改造された人形に悪魔が宿り、悪事を働く――。

 悪魔が憑いた人形は、いつの間にかホワイトチャペルの外を出て、ロンドン市街にまで流通していたことになる。


「ナメた事しやがって……」ジョンは強く歯を噛んだ。「ロンドンで――親父のシマで、悪魔が好き勝手してんじゃねえよ……ッ!」


「き、シッ」

 メイドが笑い、首だけを動かしてジョンを見上げる。

「何笑ってやがる……!」

「シャーロックはもウいない。そレは、お前ノ所為だ、ジョン・シャーロック・ホームズ」

「――――」

 ジョンの怒りが一瞬にして沸点を飛び越えた。再び強く踏み付けようとして、ジョンが足を上げた、その一瞬だった。

 メイドが勢い良く立ち上がり、ジョンを無視してジャンヌに向けて疾走する。

 しまった――! ジョンが手を伸ばすが、もう遅い。

 メイドが下劣な笑い声を上げながら、ジャンヌの首に目掛けて手を伸ば、す――


「――――『Sabre Dance』」


 それは『祝詞のりと』。聖なる誓い。ヒトが持たざるチカラをあらわすことに許しを請う、神への祈り。

 ボッという音を立て、伸ばしたメイドの腕を空中から現れた白い剣が貫いた。

「うギああアアアッ!」

 メイドが悲鳴を上げ、地面に固定された。

 その姿を冷ややかに見下ろしながら、ジャンヌがメイドに向けておもむろに手をかざす。

「主よ、この魂に憐れみを――」

 ジャンヌが瞳を閉じ、小さくそう呟いた。彼女の背後の空間に、幾つもの白い剣が忽然と浮かび上がる。

 清浄なる天の剣。大天使ミカエルが放つチカラ。右の剣、左の秤。ジャンヌ・ダルクに啓示された権能。

 剣はあっという間にメイドの体を串刺しにし、そして消え失せた。後に残ったのは横たわるメイドの姿だった。しかしその体には一切の刺し傷がなかった。

 ジャンヌの剣は、彼女がチカラを向けたモノだけを貫く。彼女は悪魔だけを貫き、葬り去ったのだ。


「……まったく、お前もデタラメだよな、糞っ垂れ」

 天使のチカラを授けられた選ばれし人間――「聖人」。そのチカラを目の当たりにし、ジョンは忌々しそうに呟いた。

「おや、嫉妬ですか」

 ジャンヌが微笑する。尚更面白くなさそうに、ジョンは顔を歪めた。

「うるせえよ。こっちは必死の思いで一撃一撃を刻んでいるのに、お前らはただ『視る』だけでいいんだろ。釈然としないのも無理ねえよ」

「ふむ……、まあそうでしょうね」

 否定されても頷かれても、どちらにせよジョンの苛立ちは募るばかり。「糞っ垂れ」と再び呟くと、聖女に向けて中指を立ててみせた。

 そんな彼の姿に、ジャンヌはクスクスと笑う。彼女が年相応の少女らしく笑う姿を見られる人間は少なかった。それこそジョンと――――、

 ジョンはジャンヌの笑い声を無視し、地面に横たわる「人形」の元へと足を運ぶ。自分の首に彼女の腕を回し、担ぎ上げた。


「どうするのですか」

「あン? ヴィクターのところに連れて行くんだよ。あいつに見せれば、この人形に施術した奴の情報が手に入るかも知れないだろう」

 ジャンヌは「なるほど」と呟いて、頷いた。

「それでは、ジョン――先の件、しっっっかりと頼みましたよ」

 力強くそう言うジャンヌを、嫌そうに口をへの字に曲げた。

「うるせえなあ、ちゃんとやるよ。そうじゃなきゃ、免許剥奪なんだろう?

 ――それよりお前、護衛の一人や二人くらい連れて歩けよ。聖女サマが一人で街をブラついて、襲われでもしたら大変だろうが」

「おや、心配してくれるのですか」

 意外そうに、しかしどこか嬉しそうに。ジャンヌがジョンを揶揄からかって、目を細めた。

 ジョンはまた嫌そうに口を曲げ、「違げーよ」と吐き捨てた。その態度にすら「フフッ」とジャンヌは笑みを零す。


「あの陰気野郎はどこ行ったんだよ」

「陰気……――、ジルの事ですか?」

 顔に纏わり付くような長い黒髪に凶悪な三白眼。ジャンヌの側近であるジル・ド・レという男の顔を思い出し、ジョンは不快そうに歯を剥いた。

 ジョンとジルの間には深い溝がある。ジャンヌは相変わらずの両者の関係に溜め息をつきつつ、

「彼は健全ですよ。ですが――、今は別件を依頼しているから、この場にいないだけです」

 なんだか回りくどい言い回しだなと、ジョンは首を傾げた。

「それでは、ジョン。息災でいて下さいね」

 ジャンヌはそう言うと、両手を組み合わせて深く頭を下げた。

 誰かの無事を祈る姿は、それこそ聖女のようで。……ジョンは途端に毒気を抜かれ、「だからこいつはやりにくいんだよなあ」と口の中で呟き、溜め息をついた。


 ジョンは呼び付けた警官に、ジャンヌを駅まで送るように依頼した。「そこまで心配しなくてもよいのですよ」と彼女は首を傾げたが、「いいんだよ」とジョンがぞんざいに手を振った。

「僕の気が済まないだけだ」

「……ジョンって、こんなに心配性でしたっけ」

「…………」

 ジョンは低く唸る。酷く機嫌が悪そうだった。

「いえ、貴方の厚意を怪しんでいるわけではないのですよ。ただ――何か、貴方らしくないような気がしただけです」


「……僕のただの独り善がりだ」ジョンはボソリと呟いた。「僕自身が安心したいだけなんだ。今、この一時だけの安心が欲しいだけだ」


「安、心……?」

 不思議そうに首を傾げるジャンヌを見て、ジョンは目を逸して空を仰いだ。


「……もうこれ以上、近くにいる奴が消えるのは、正直キツい」


「…………」

 ジャンヌはハッと息を呑んで、やがておずおずとジョンの肩に手を伸ばした。けれどその手が彼に触れる直前、キュッと指を折り畳み、そのまま元の位置へ戻した。


 ジャンヌは「聖人」だった。彼女は最早もはやヒトであって、ヒトでない。あらゆる人種、性別に関係なく、自分が彼らにどのように見られているか知っている。ただ個人の為に言葉を紡いでいいはずがない。

 今さらではあった。けれど悪魔との戦闘で人目を引いてしまい、ジャンヌ・ダルクがここにいるのは群衆に感付かれてしまった。取り繕うように、ジャンヌはその表情を鉄のような無表情に変えた。


「ジョン・シャーロック・ホームズ。それは聖ミカエルに対する冒涜です」

「あァ……?」

「私が――聖ミカエルよりチカラを授かった私が、悪なる者に倒されるはずがありません。貴方は天使のチカラを見誤っています。

 ――どうかご心配なきよう。貴方の助力などなくとも、私は聖なる者として存在し続けましょう」


「…………」

 ジョンは口を結び、強い目でジャンヌを睨んだ。彼女も同じように見詰め返した。

 それが何かの合図だったかのように、ジョンは身をひるがえして、歩き出した。

「お仕事モード、ご苦労さん。今度はお前が美味い飯を奢ってくれよ」

 全てお見通しだと言わんばかりの嫌味だった。ジャンヌはジョンの言葉に、心の中で苦笑した。

 そして警官が停めた馬車に乗り込み、その場を後にした。少しだけ名残惜しそうに窓からジョンを振り返り、やがて断ち切るように目を閉じた。

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