3-2.
「こんなに美味しくない食事があるものなのですねえ」
サンドイッチを頬張って
とにかく値段が安いことから、ジョンのお気に入りになっている移動販売の軽食屋。そこに用意された簡易的なテーブル席に座っていた。間違っても世界でもっとも有名な「聖人」をお招きするような店ではないが、彼の財布事情では仕方がなかった。
「……なんだよ。安物だけど仕方ないだろ。僕には金がないし、お前がいつも聖都で喰ってる飯と比べれば、なんだって
言いながら、ジョンはチラリと店主の方を見る。彼は聖ジャンヌが来店した事実にすら心臓がはち切れそうになっているのに、味に文句まで――まあ、仕方ないが――つけられては、申し訳なさで今にも泣きながら首を吊りそうだ。
「ああ、いえ、そうではないのです」失敬と手を振って、ジャンヌが続ける。「この薄暗い景色の中では、なんというか、全てが味気ないと言いますか……」
「ああ、そういうことか……」
ホッと胸を撫で下ろすジョンと店主。
ジョンは空を見上げる。その先に広がるのはどんよりとした曇り空で、薄く霧がかかってすらいたが、彼にとっては見慣れた景色だった。彼が初夏ですらコートを手放さないのは、「1日の中に四季がある」とさえ言われるほど変化の激しいこの国の気候が故だ。
「まあ、この霧はしょうがない。昔は霧で人が死んだらしいが。その毒が霧の中から消えた結果、新しい時代が訪れた」
「それは――貴方の言葉ですか?」
「いや、ヴィクターの受け売りだ」
「ヴィク――、ああ、あの変人の」
「忘れてたのか、酷い奴だな。あいつはお前のファンだぞ」
「フランケンシュタイン氏の息子ですから。立場的にお付き合い出来兼ねます」
「『人形』ね……」
ジョンの目に止まったのは、道路を掃除している一人のメイドだった。彼女はただひたすらに箒を動かしていた。一定の強さ、一定の速さで作業し続ける彼女は意思もなく、連続的に動作を続ける。
「……『人形』に悪魔が憑くことは考えられるか?」
「――なんですって?」
ジョンの言葉に、ジャンヌが耳を疑うように声を上げた。
「なにキレてんだよ。この間、ヴィクターとな――、」
ジョンは、ジャンヌに先日のヴィクターの推測を説明する。話せば話すほどに、彼女の顔はどんどん険悪になっていった。
「……怖い顔すんなよ。せっかくの聖女サマが台無しだぞ」
「からかわないでください、貴方は私をそうだと思ってなどいないでしょう」
「『聖人』なのは本当だろ。世間が想像する『聖女』という字面と、お前は一致しないけどな」
ジャンヌは無言でジョンを睨み付ける。彼はその瞳に負けじと、眉間を寄せて睨み返した。……その状態が続き、やがてジャンヌが「相手していてもしょうがない」とばかりに溜め息をついて、目を閉じる。
いつもの茶番だった。彼らは、会う度に一度は睨み合っている。
「それより、『人形』に悪魔が憑くか――ですが、恐らくは可能であると思います。その点はヴィクターさんの方がより詳しいかと思いますが……、彼がその説を言い出したんでしたね」
「全ての遺体が祝福を受けられるわけではないっていうのは、『教会』からすれば不祥事なんじゃないか?」
「そう……ですね」ジャンヌは自虐的に唇を歪めた。「しかしホワイトチャペルにも教会はあるはずなのですが……」
思案顔のジャンヌに、ジョンは「いや?」と首を傾げた。
「確かに教会はあったけれど、既に廃墟になっていたぞ。それをいいことに、警察が捜査の拠点として使っているしな」
「――なんですって?」
ジョンの言葉に、またもジャンヌが耳を疑うように声を上げた。しかも先程より棘が鋭くなっていた。
「それはおかしい。ホワイトチャペルからも、報告は毎月上がって来ているのですが……」
各地域に建つ教会からは、葬式や結婚式、周囲の怪異現象、悪魔出現の有無など担当地域の状況を、『教会』の総本山である「聖都」に報告する義務がある。
「……ちなみに、どんな報告が上がって来ているんだ?」
ジョンは半ば以上に答えの予想が出来ていながらも、そう
「『異常なし』と、来ていますよ」
ジョンは「だろうな」と皮肉げに笑った。
「それを信じているのか?」
「それはそうです。一つ一つの報告を疑っていたら、それこそ何も信じられません」
ジャンヌの言葉にまたも「だろうな」とジョンは呟き、頭を掻いた。やがて不意に掻き
「もしかして、それがスタートか……?」
ジョンの言葉に、ジャンヌが眉をひそめる。
「どういうことですか?」
「もし悪魔がホワイトチャペルで何か悪巧みを働こうとして、邪魔になるのは『教会』だ。だからまず神父を殺す。その後の聖都への報告は全て偽装する。あの地域は警察もほとんど手放しだから、教会さえ潰せばもう邪魔は入らなくなる」
開いた手で、その中にある何かを握り潰す。ジョンはその手を机に置いたまま、ジャンヌに目を向ける。
「そうすれば好き放題に出来る、と……。私達の監督不届きが故ですね」
歯を食い縛るジャンヌに、ジョンは「いやいや」と首を振る。
「全てを見張るのは物理的に無理だろう。神父の選抜はお前らがやっているんだから、選ばれたそいつらは信用してやれよ。それに不意打ちの監査にだって行っているんだろ? やれることはやっているんだ、お前らの不手際じゃねーよ」
悪いのは、その隙を突いて悪事を企む悪党共だろ――。ジョンはそう言ってから、なぜジャンヌを励ますようなことを言っているのかと気付き、恥ずかしくなって彼女から顔を逸らした。
「ホワイトチャペルの神父がそもそも殺されているのか、あの地域を諦めて逃げただけなのか。どちらにせよ調べなければ分からない」
「何か分かれば連絡を下さい。私もこの件は聖都でも重く取り扱うよう、進言してみます」
二人は強い目をして立ち上がった。それぞれがやるべきことをやる為に。
しかし、ジョンは立ち上がると同時に、「あン?」と眉をひそめた。彼の目の前にはジャンヌがいたが、彼女の後ろにはいつの間にかメイドの姿があった。
そのメイドは無表情に直立し、箒を両手に抱えたまま、ジャンヌの後頭部をぼんやりと見詰めていた。
さっき道を掃除していた「人形」だ……? ジョンはさっきまでメイドがいた場所に振り返るが、やはりそこに彼女の姿はない。
ジョンの不可思議な視線を
ジャンヌとメイドの視線が交差する。その途端――、「人形」が「キシッ」と、壊れた歯車のように笑った。
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