3-1.

 1週間後、切り裂きジャックによる新たな犠牲者の報が発された。


「…………」

 そして、ジョンは警察署の取調室にいた。歯を剥き出しながら、足を小刻みに床に叩き付けていた。


 そんな彼の目の前に座るのは、『教会』の最高顧問、ジャンヌ・ダルクその人である。

 短くまとめた金色の髪、瞳は清涼なる真空まそら色。白磁の肌の上には、金色の装飾がされた無骨な白い鎧を身に纏う。歳に合わない大人びた顔を厳粛げんしゅくに固め、彼女は意思の強い視線を真っ直ぐにジョンへと向けていた。

 オルレアンの乙女、ミカエルの声、守護者。彼女は大天使ミカエルの『啓示けいじ』を受けた、世界で最も有名な「聖人」である。


「魔人」が悪魔に憑かれた人間ならば、「聖人」は天使に力を授けられた人間だ。神の御使いである天使に認められし選ばれた人間。現代の救世主。魔人と違うのは、あくまで天使の力の一部を譲渡されただけというもの。それでも対悪魔、対人間にとっても絶対的な力を発現する。


「ジョン、貴方を呼んだ理由が分かりますか?」

「分かるかよ。僕が何かしましたか、聖女サマ?」


 シャーロックは『教会』に所属しているわけではなかったが、それでも彼の力と評価は『教会』に大きな影響力を有していた。彼を通してではあるが、『教会』上層部との繋がりを、ジョンはある程度持っていた。シャーロックに連れられて『教会』内の会合などに参加――と言うより、見学する機会が幼い頃から度々あり、そこで毎回のようにジャンヌと顔を合わせていた。だから彼女との付き合いは、彼が思っているよりも長い。

 付き合いが長いからと言って、それが仲のいい証拠になるわけではない。ジョンは彼女の厳し過ぎたり、固過ぎたりするところが、彼女の美徳だと分かってはいても苦手であり、彼女もジョンをなにかと目の敵にしている。

 だから自然と、互いの口調は剣呑なものになっていく。


「無能な探偵に一言申したくて、わざわざここまでやって来ました。感謝と詫びを述べるべきではないですか?」

「知らねえよ。呼び出し喰らって来てみれば、いけ好かない聖女サマにむっつり黙って睨まれて、口を開くまでに何分経った? 暇ならロンドンでも案内してやろうか、最高顧問とやら」

「それはいいですね――親の七光りが肩を切って歩く様を優雅に見物しましょうか」


 嗚呼――、最ッ高にイライラしてきたなあ……! ジョンの眉間の皺は深く、こめかみの血管は痙攣けいれんしてはち切れそうだ。握られた拳は発射を待ち侘びるかのように絶えず震えて――、


「済まない、遅れてしまった! ジョンはまだ聖女様を殴っていないだろうね!?」

 弾け飛ぶような勢いで取調室のドアが開かれ、レストレード警部が姿を現した。額の汗を拭きながら、二人を見、

「間一髪――と言った所感かな」

「そうですね。危なかったです」

 目を閉じ、悠然とそう呟いて、ジャンヌは椅子に座り直した。ジョンは拳を机に叩き付けてそっぽを向き、大きく深呼吸を繰り返した。


「それで、わざわざ聖女サマが出てくるなんて、一体何事ですか?」

「ジャック・ザ・リッパーの件ですよ、ジョン」

 警部への問いを代わって返すジャンヌ。ジョンは振り向いて、

「あン? あの殺人鬼がどうしたんだ?」

「新しい犠牲者が出たことを、貴方は知らないようですね」

 是非を問うジョンの視線に、警部は頷いた。

「……もしかして犠牲者は、派遣したエクソシスト……ですか?」

「おや、察しがいいですね」ここぞとばかりにジャンヌが鋭い声を出す。「まあ、亡くなったわけではないですが、襲われたことに違いはありません」

 成程、こいつがここまで出て来た理由がようやく分かった。ジョンは憮然とした態度で腕を組む。


「何してんだそいつは。『教会』は新米でも送り込んだのか?」

「いや、それは――」

「それは違います」ジャンヌがカッと目を見開き、警部の声を遮って続ける。「少ない資料、決定的とは言えない悪魔証明……。けれど、派遣を要請したのがジョン・シャーロック・ホームズだというただ一点のみで、そのエクソシストの派遣が決まりました」

「…………」

 棘のある声だった。ジャンヌはジョンを侮蔑するような目で睨み続ける。


「ジョン、貴方は一体何をしているんですか?」

「どういう意味だ」

「貴方は探偵でしょう、ジョン。探偵ならば悪魔の特長、性質、発見に至った経緯、悪魔憑きの証明など諸々を文書にまとめ、それを警察や地域の教会を通して、私たちの下へ申請するのが仕事でしょう。なのに貴方は何もしていない。文書をまとめたのはレストレードさん。しかし内容は曖昧で根拠に薄い代物……。正直に言って、私は呆れました。真っ当な仕事も出来ないのに、一人前の顔をして歩く貴方が目に浮かんで、頭を抱えたほどです」

 ジョンは額に汗を浮かべながら、歯を食い縛る。

「しょうがないだろう、僕はそういうのが苦手なんだ――」

「そういう問題ではないでしょう」ジョンの苦し紛れの言葉を、ジャンヌはより一層険しくなった言葉と瞳で両断する。「何を子供のようなことを言っているのですか、貴方は。全く嘆かわしい……。シャーロックが聞いたら悲し――いえ、憤慨するでしょうね」


 父親の名を口に出され、ジョンはとうとう黙ってしまった。あの父でさえ、書類仕事をキチンと完了させていたのを思い出した。ブツブツと文句を言いながら、ペンを走らせる丸めた背中を思い出す。

 しかしジョンはジャンヌを睨み返す。彼女の瞳に負けないくらい強く。しかし彼女は少し眉をひそめただけで、それで気圧されることはない。


「ガチャガチャうるせえな。無駄口叩く暇があるなら、お前こそ自分の仕事をしてろ

よ」

「今ここにいて貴方と話しているのも、私の仕事の一部です」

「じゃあもう要点だけ喋って帰れよ、面倒臭え」

 彼女は本当に強い。誰かに負けるところをジョンは見たことがない。自分とは十以上も歳の離れた大人に対しても、凛とした態度を崩さない。

 ジョンはただ凶悪に顔を引き攣らせるばかり。彼女に対する自分の態度はどうだろう。駄々をこね続けている子供そのままである。それを分かっている癖に口を閉じない。

「そうですね、これ以上不毛なやり取りをするのも、時間の無駄ですから」

 あー、ダメだなー。マジでムカつくなー。どうしよっかなー。ジョンの苛立ちがピークを通り越して、逆に全てがどうでも良くなってきた。


「探偵であるジョン・シャーロック・ホームズに伝えます。殺人鬼ジャック・ザ・リッパーが悪魔であるならば、それを証明しなさい。これは『協会』からの正式な通達であり、達成出来なかった場合、貴方の免許を剥奪します」


「な、ン……ッ!?」

 ジャンヌの宣言に、ジョンは思わず耳を疑った。探偵は誰にでもなれるものではない。正式な試験を通り、免許を取得出来た者が看板を掲げることの出来る職業なのだ。


 免許、剥奪、無職、金欠……。マズい。免許剥奪だけはマズい。ただでさえ今は金がないんだ。親父は浪費家で、まともな財産を残さなかった。なんとしても阻止せねば……! ジョンの顔に、目に見えて汗が浮かんでいた。


「どうです、少しはやる気が出ましたか?」

 したり顔のジャンヌ。今日会った中で一番楽しそうに口元を歪めていた。

 聖女の皮を被った悪魔め。ジョンは唸り声を上げて、

「くそ、卑怯だろうが。それを言われて頷けない奴がどこにいるんだ」

「あら。では、受けて頂けるのですね」

「……分かったよ」

「今度こそは――真面目に、お願いしますね」

「…………」

 ジョンは聖女に両手を上げて降伏する。立場の違いが嫌になると、溜め息をついた。


「よろしい。では、私はこれで」

 そそくさと立ち上がり、警部に一礼すると、何事もなかったかのような無表情のまま、ジャンヌが部屋を出て行った。

 半ば呆然としたままの警部が、苛立ちを隠そうともせず机を指で叩き続けるジョンの前に座り、口を開いた。


「あー……、ジョン? わたしは君の保護者ではないけどもね、聖ジャンヌに対する君の態度は如何なものかと思うよ」

「以前にも誰かにそんなことを言われた気がしますね。――でも、僕とあいつは昔からこうなんですよ。今さら態度を改めろと言われても、無理な話ですよ」

「ああいや、そうじゃなくてだね――」

「ああン?」

 手を降って否定する警部に、ジョンは眉をひそめる。


「考えなかったのか? 君の調査を受けて派遣されたエクソシストが、殺人鬼に返り討ちにあってしまったんだ。『教会』が君に責任を擦り付けることも出来たわけだ」

 そんな事があってたまるか――と言いたいところだが、実際『教会』はそういう強引な手段を使ってくることも少なくない。そう考えると空恐ろしい事態だったのだなと、ジョンは身震いする思いだった。

「そもそも『探偵』からではなく、『警察』である私からの申請で『教会』がエクソシストをこちらに寄越したことに、疑問は抱かないか?」

「……?」

 ジョンは警部が何を言いたいのか、さっぱり分からなかった。

 警部は仕方なさそうに溜息をついてから、


「全て、聖ジャンヌのお言葉があってこそだ。彼女がエクソシストの派遣を躊躇ちゅうちょしている委員会の連中に言ったらしい――、『ジョン・シャーロック・ホームズを信じて欲しい』と」


「――――」

 ジョンは口を半開きにして押し黙る。

 ジャンヌがなぜ、そんなこと? 彼女は僕が嫌いなはずなのに。彼女が聖人だから? 家族を亡くした僕を憐れんで? 何が目的? 何が狙いだ?


「嗚呼――、糞っ垂れ!」

 ジョンはテーブルを殴って、立ち上がる。そして、ジャンヌを追いかけるために一目散に外へ出た。

 あいつに目的や狙いなんてあるはずがない。あいつは正しいと思ったから、そうしただけだ。あいつはいつもそうだ。くそくそくそ……ッ!


「おい、ジャンヌッ!」

 警察署を出てすぐ、道路で馬車に乗ろうとしていたジャンヌに向けて、ジョンは思い切り声を投げた。彼女は体をピクリと揺らし、ゆっくりとジョンに振り返った。


「お前はいつもそうだよな! いつも自分が正しいと思ってやがる! だけど今回は違う! 今回はお前が間違えた! いいか? 今回の件、これは明らかに僕のミスだ! お前は報いを受けなければならない奴を、自分勝手にも助けてしまったんだ! だから、お前は、あー、なんだ、あああ……――、正しくないんだ! 何も正しくない!」


 何故こんなにも苛立ちが募るのか。――それは彼女に助けて貰った自分が情けないからだ。

 ジョンはジャンヌと対等でありたい。周りは彼女をやれ「聖女」だの「御使い」だのと褒め称えるが、ジョンにとっては、融通の利かない頭でっかちな女の子だ。

 それなのに、彼女に気を使われてしまった。自分の我が儘で、自分のミスで。彼女が無理を通した所為で、派遣されたエクソシストが襲われ、彼女にも責任が問われるだろう。

 ジャンヌ、どうして僕の為にそんなことをした――。ジョンが本当に問いたいのはそれなのだが、口には出せなかった。その質問をすること自体、なんだか彼女に負けているみたいだったから。

 ジョンはただ勢いのまま、呼吸もなしに言葉を吐き出し、肩で息をしていた。ジャンヌはそんなジョンの姿を見、困惑顔のままポカンとしていた。

 往来する人々は、それが聖ジャンヌに対する口振りなのかと呆気に取られた顔をし、固まっている。


 やがて、ジャンヌは顔を下に向けてクスリと笑い、

「ジョン、食事にでも行きましょうか」

 仲のいい友人でも誘うかのように、そう言った。

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