3-4.

 人一人を抱えたまま街中を歩くというのは、思っていたよりも重労働だった。ジョンは、これならジャンヌと一緒に馬車に乗せて貰えば良かったと後悔し始めていた。それでも懸命に「人形」を引き摺っている内に、ベーカー街221Bのアパートが見えて来た。

 もうひと踏ん張りと、ジョンはアパートの階段を上がる。やがて、なぜか廊下で腕組みをして、壁にもたれるヴィクターと目が合った。


「あ……? お前、何してんだよ」

「やあ、ジョン――って、なんだい、その『人形』は?」


 ヴィクターは一目で、ジョンの連れているメイドが「人形」だと見抜いた。その観察眼は職業柄だろうか。ジョンは驚きつつも、「こいつを調べてくれよ」とヴィクターに「人形」を押し付けた。


「僕は疲れた。お前の部屋でコーヒーを貰うぞ。お気に入りの豆を切らしてるんだ」

「ああ、それは構わないが――いや、ちょっと待て!」ヴィクターが慌てた様子でジョンの肩を掴んだ。「それよりこの人形について説明――じゃない! ええっと――」

 なんだか様子がおかしい。どこか慌て過ぎていて、呂律が回っていない。ジョンは気味が悪そうに、ヴィクターを見詰めて眉をひそめた。

「なんだよ、お前は。説明は中に入ってからでもいいだろ」

 そう言って、ジョンはヴィクターの部屋のドアノブを握る。しかしそれを阻む為に、ヴィクターがジョンの肩を掴む手の力を強めた。

「待て待て待て! 今はダメなんだって!」

「あァ?」不可解な行動をとるヴィクターに、ジョンはいっそ睨むかのように眉を上げる。「なんなんだよ、お前は――」

 ジョンがヴィクターの手を振り払う。よろめいた彼が再び手を伸ばすが届かず、ジョンは部屋の戸を開けた。


「ちょっと! 髪が拭けないでしょ、大人しくしなさい」

「さ、先に服を……」

「いいから、ジッとしてて――んっ?」


 長い金髪が背に貼り付き、どこか官能的なまでに美しい曲線を描いていた。端正な顔の中で青く、そして強い光を讃えるその瞳は、彼女の芯の強さを表している。健康的な白い肌が弾く陽光が返って、部屋中を照らすようだった。

 傷だらけの小さな体、砂色の髪が星のように光を弾く。困惑気味の緑の瞳は、彼女の精神性を表すように右往左往していた。


「…………」

 ジョンはただ閉口し、部屋の戸を開けた姿勢で固まっていた。


 それはそうだろう。――――目の前に、素っ裸の少女と少女がいれば。


「あ……っ、ジョ、ン?」

「お、お、お兄ちゃん……」


 三者三様に身動きを止めたまま、やがてジョンが口を開き、

「キャア――――ッ!」

 なぜか真っ先に彼が悲鳴を上げた。部屋の入り口から勢い良く飛び出すが、廊下で足がもつれ、派手な音を立てて転がった。そして蹲った姿勢のまま、頭を何度も床に叩き付け始めた。


「なにがどうなっているんだやめろやめろ思い出すなごめんなさいごめんなさい何も見ていない何も見ていない何も見ていないごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 沸騰しそうになる頭をどうにか落ち着けようとしているようだった。ヴィクターはジョンの狂気じみた様を見、手で目を覆ってハアと溜め息をついた。

「だから今はダメだと言ったろう」

「うるさいうるさいうるさい! すっぽんぽんの女がいるのなら、最初からそう言えよッ!」顔どころか耳まで真っ赤に染めたジョンが、素っ頓狂な声を上げてヴィクターを強く指差した。「見ちまったじゃないか! 見ちまったじゃねえかよ糞っ垂れ――ッ!」


「ちょっと、オイ」


 棘のある声が廊下に響く。咄嗟にジョンとヴィクターがそちらに振り返ると、部屋の戸に手を掛けた姿勢で、ジョンに剣呑な視線を向ける少女がいた。流石に体にタオルを巻いてはいたが。

「なっなっなん……ッ!」

 ジョンが声にならない声を上げ、ワナワナと震える指先を少女に向ける。

「アタシの裸を見て、糞っ垂れってのはどういう事よ」


「服を着ろ――ッッッ!」

 ジョンの絶叫が、ロンドンを駆け巡った。

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