14-3.

「ジョン、無事?」


 ジャネットの声に、ジョンはフゥと大きく息を吐いて力を抜いた。


「ああ、大丈夫だ。お前こそ、怪我はないか」

「アタシだって大丈夫よ」

 まるで張り合うようなジャネットのその口調に、ジョンは苦笑した。


「……ったく、これからが心配になるよなァ。僕らは本当にこの先、敵と渡り合えるのか?」

「何、不安なの? あんたらしくないじゃない」

「これだけ苦汁を飲まされればな」

「今回は敵が事前に準備をしていたからよ。アタシ達は、いつまでも子供のままじゃない」


 そう言うジャネットも、しかしその表情には悔しさが滲んでいた。自分の吐いた言葉がなんの慰めにもならない事は分かっていた。

 悪魔は巧妙に姿を隠す。彼らと相対する場合、多くはその悪魔が何らかの形で姿を現した時だ。その時には、彼らは「仕込み」を済ませている。

 言ってしまえば、探偵や祓魔師が悪魔と戦うのは、事後対応なのだ。仕組まれた罠や策を掻い潜りながら、祓魔師達は悪魔と戦わなければならない。


「でも、『もう負けない』んでしょ」

 ジャネットの言葉にジョンは振り返り、そしてニィと歯を見せた。

「当たり前だろ。生きてりゃ勝ちだ。今回だって、あいつに負けた訳じゃねえ」

「まったく。お墓参りに来ただけなのに、モリアーティに会うなんて。父さん達はお墓に入っていてもトラブルを招き寄せるのね」

 ジョンはジャネットのそれを、もしシャーロックとワトソンが聞いたら、思わず顔をしかめるような絶妙な皮肉だと思った。彼らの表情を想像し、少しだけ可笑しくなった。


 そして、ジョンはようやく父の眠る墓と対面する。

「…………」

 心は凪のように静かだった。もっと酷く困惑するかと思っていたが、「どうって事ないな」と鼻を鳴らした。

 ジョンはジャネットから手渡された白い花を受け取る。それを繁々と眺めた後、メアリーの方を見、彼女を手招きした。


「なあに?」

「親父に花をあげてくれ。……あいつに花を手向けるなんて、僕は死んでもしたくない」

「あんたねえ……」

 ジャネットは呆れたように首を振った。


「どんな言葉を、掛ければいい?」

 メアリーからの問いに、ジョンは「あァ?」と首を捻った。

「……なんだろうな。とりあえず自己紹介でもしておけばいいんじゃないか」

 適当な返答であったにも関わらず、メアリーは「うん」と笑顔で頷き、シャーロックの墓の前に花を手向けた。そして祈るように両手を合わせた。


 ジョンはそんなメアリーの背中を見詰めた後、並ぶワトソンの墓の方を向いた。メアリーから花を一輪だけ受け取ると、ワトソンの墓には手向けた。そんな彼に向けて、隣立つ土の下から文句を言われた気がした。

「なんだよ」

 ジョンは挑むように、父の墓へと一歩足を出す。顎を上げ、まるで見下すようなその姿勢は不遜そのもの。とても墓前に立つ息子の立ち振る舞いではない。

 けれど、ジョンはそんな理想像を受け付けない。唾を吐き付けて拒絶する。

 例え死んでいるとしても、故人を憐れんだり、悲しんだり、懐かしむような、そんな姿をあいつの前に晒せる訳がない。

 風に揺れる白い花と、冷たい石。ジョンはその無常な姿に、「ハッ」と笑みを浮かべた。

「……お前に花なんて、似合う訳ねえだろ、糞親父」

 ジョンは懐から煙草を取り出して咥えると、マッチを擦って煙草に火を点けた。一息吸って、墓に向かって紫煙を吐いた。


 ――「たすけて……たすけて……みんなを――たすけて……ッ」。

 ――「私から――、ジョンまで奪おうって言うの……?」。

 ――「オレ達がどれだけ、どんな思いをして、

    何も知らない、何も知らない癖に!」。

 ――「何故そんな事をしなければならかったのか、想像すらしない――ッ!」。

 ――「メアリーの為! 皆の為! 家族、守る、オレしかいない……ッ!」。

 ――「誓え。その言葉、忘れるなよ」。

 ――「何も知らないお前のような糞餓鬼が、

    俺達の前に立つんじゃない……ッ!」。

 ――「もう、何を言っているのよ、ジョン。

   貴方にそんな事、出来る訳ないじゃない」。

 ――「うん、頑張る。アタシ、頑張るから……!」。

 ――「私は貴女をこそ、誇りに思います」。

 ――「『特異点』とは――、異界の門の鍵穴だ」。


 ジョンは紫煙に体を包まれながら、これまでに出会った言葉を思い出す。


 大悪魔、子供達、偽悪天使、『神ノ国』、人形、『特異点』。……全てはメアリーを巡って起きた事件だったのだ。彼女の存在が、大悪魔をこの地に呼び寄せた。

 異界の門の鍵穴。『特異点』はそういうモノだとモリアーティは説明した。異界とは即ち、『天国』と『地獄』に他ならない。両者とこの世界を繋げる事が、一体何を意味するのか。それを考えろとも、彼は言った。


 ジョンはジャンヌに「『特異点』とは何か」と尋ねた。その時、彼女は一瞬だが、確かに体を硬直させた。『特異点』という言葉を聞いて、明らかに敵意に近い感情を発露させた。

 まるでそれは、恐怖、不穏、狼狽、警戒、鬼胎――そこから来る生物としての反射反応。

 ジャンヌ・ダルク――『聖人』が警戒するだけの悪性。その矛先を向けるべき相手が、メアリーが、彼女の目の前にいる。

 それを悟らせてはならない。ジョンの直感が、そう告げた。だからあの場でははぐらかして、彼女から離れた。

 ジャンヌは、『教会』は『特異点』の正体を知っており、最大級の警戒を持っている。そしてそれを隠している。……彼らにとっても、『特異点』が重要なモノである事を示している。


 モリアーティが何を企んでいるのかは分からない。しかしろくでもない事であるのは断言出来る。彼は世界を「舞台」と呼称した、そして自分を「プロデューサー」だと。彼は世界中を巻き込んだ、大きな事件を企てているのかも知れない。ジョンはその途方もないスケールに、現実感を持てなかった。


 しかし、モリアーティは自分達に「権利を得た」とも言った。彼が企てる悪事に、自分達は無関係ではいられないと言う事だ。

 途方もない企みを抱え、モリアーティは父にどんな言葉を語り掛けたのだろう。ジョンは少しだけそれを考え、やがてやめた。あまり面白いものに思えなかった。


 ――何かが起きようとしている。とても大それた、世界規模に危険が迫る、何かとてつもない事が。ジョンは過去、この世界を襲った戦争や飢饉、災害を視る。しかしそれらとはまた違った何かに思えた。

 その中を、渡り歩く為のチカラがいる。ジョンは拳を握る。胸の中で父との約束を、幼馴染の少女との約束を呟いた。


 ジョンは物言わぬ墓石を見詰める。父親がその上に腰を下ろして、ニヤニヤと笑って自分を煽っているような気がした。


 お前に一体、何が出来るんだ――――?


 ジョンは舌打ちしてから、大きく息を吸い、そして紫煙を吐き出した。吸い掛けの煙草を口から外し、父の墓石の上に置いた。

 パタパタと煙草の灰が、シャーロックの、父の遺体に被る土へと落ちていく。花なんかより、こっちの方がよっぽどお似合いだと、ジョンは思う。

 お前に一体、何が出来るんだ――――?

 また聞こえた。ジョンは墓石を見下すかのように顎を上げて歯を剥き、凶悪な笑みを浮かべ、


「うるせえんだよ。黙ってそこで見てろ、糞っ垂れ」


 それは宣戦布告だった。子から父への、意趣返し。糞餓鬼が糞親父に楯突く、永遠に終わらない反抗期。

 そしてジョンは真っ赤な舌を突き出し、右手の中指を立てて掲げた。

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