14-1.

 墓に添える花を選ぼうとしたけれど、どれがいいのか分からなかった。ジョンはジャネットに「適当に頼むわ」と言って、彼女とメアリーを花屋に置き去りにした。抗議する声が背中を突いて来るが、素知らぬ顔で一人墓地へ向かった。

 シャーロックとワトソン。二人の死後、その墓前に向かうのは、今日が初めてだった。そこに行こうという発想すら出来なかったのは、無意識に二人の死から逃げていたからだろう。しかし今、こうしてそちらに向けて足を進ませられているという事は、少しばかりの進歩なのか。ジョンは、それでも徐々に重くなっていく胸の内を捨てるかのように息を吐く。


 歩いた先にあるのは、馴染みのある教会が管理するごくありふれた墓地だった。ジョンは微かな記憶を頼りに、二人の墓を探す。見付かったニ人は並び合って埋葬されていた。

 ジョンは墓と墓の間の整備された歩道を歩き、二人の墓がある一角に辿り着いた。俯いていた顔を上げると、誰かが二人の墓の前に佇んでいた。


 黒い外套に長身を包んだ猫背の男は、白銀の髪を後ろに掻き上げて固め、紳士然とした恰好をしていた。杖を突いて立つその男は、ジョンに気付いているのかいないのか、彼に目もくれず、ただ十字架の形をした墓石を無表情のまま眺めていた。


 親父達の墓の前に、一体誰だ……? ジョンの眉が自然と寄り合う。その男に見覚えがなかったからだ。

「親父の墓に、何か用ですか」

 ジョンが声を掛けると、男はゆっくりと彼に振り返った。


 男の顔を見た途端、ジョンはハッとした。ジャンヌと食事をしていた際に襲撃してきた「人形」、その持ち主の男だった。ジョンにジャス・モアティの名刺を渡したあの紳士が、シャーロックの墓の前にいた。


「親父と知り合いだったんですか?」

 ジョンの問いに、男は小さく笑みを浮かべた。

「ああ、そうだね。彼とは切っても切れない関係だったと言って、過言ではないだろう」

 声もあの紳士のものだった。だがジョンは、どこか違和感を拭い切れない。背格好が違うような気がする。こんなに背が高かっただろうか……? 醸し出す雰囲気も、こんなに薄暗い物ではなかった筈だ。

 ジョンは自覚のないまま警戒する。男の一挙手一投足に目を光らせる。そんな中で背後から掛かったジャネットの声に、思わず飛び上がった。


「ジョン! ……どうしたの?」


 ジョンが振り返ると、白い花を携えたジャネットが、メアリーと手を繋いでこちらに歩いて来るのが見えた。彼女も墓の前にいる紳士に気付いたようで、「誰だろう」と首を傾げた。

「あっ!」

 メアリーも紳士に気付くと、なぜか声を上げた。ジョンが「どうした」と尋ねると、彼女は微笑みを浮かべながら、


「この人、わたしをお兄ちゃんのところにまで案内してくれた人だよ」

「なに……?」


 ジョンは驚き、紳士に振り返る。彼は、相変わらず悠然とした笑みを浮かべたまま、


「やあ、お嬢ちゃん。どうやら上手く行ったようだね」

「はい!」


 笑顔で言葉を交わす二人の間で、ジョンは混乱していた。メアリーとホワイトチャペルへ向かう中、自分をベーカー街へ案内してくれた人物の事をメアリーは話していたが、まさかそれがこの紳士だったとは……。

 紳士の人形を施術した人形技師は、ホワイトチャペルにいた。ならば紳士が、そこをうろついていてもおかしくはない。だが、切り裂きジャック事件が騒がれる中でそこに近付く物好きはいないだろう。

 しかし何はともあれ――と、ジョンは考え直し、紳士に向けて頭を下げた。

「この子を助ける事が出来たのは、貴方の小さな親切心が発端です。本当にありがとうございました」


「何、自分の為だ。君に礼を言われる謂れはないよ。

 それより――、いいのかね? 敵に向かって、いつまでも頭を下げていたままで」


 当然の事をしたと思った。しかし紳士から返って来た言葉に――否、その変貌した声音にジョンは耳を疑った。

 この、声は……ッ。背筋を逆撫でるような悪寒を与える、この冷たい声を、自分は知っている……!


「――――ッ!」

 直後、メアリーが息を呑んで動きを止めた。震える手で紳士を指差し、

「ジャス……」

「――――」

 ジョンが目を見張り、素早く顔を上げた。体を半身にして両手を胸の前に置き、構えて男を睨み付ける。


 紳士は杖を突いたまま、三人の姿を睥睨していた。だがその顔――顔を形作る骨格が、全く別の人物のものへと変貌していた。

 落ち窪んだ瞳の、その右は血のように鮮やかな紅、左は夜の森のように陰った暗緑色。目鼻立ちの整った上品そうな顔、髭は丁寧に揃えられ、その口元には余裕のある笑みを湛えていた。

 目を離していた僅かな隙に変貌した目の前の男を、ジョンは知っていた。父、シャーロックからして「あいつには関わるな」と言わしめた最大の敵。


「ジェームス・モリアーティ……ッ!?」

 ジャネットが驚愕の声を上げ、メアリーを庇うように、自分の背後へと彼女を回した。

 ジョンは構えたまま、油断なく敵を睨む。しかしモリアーティは、彼など意に介さないようにゆっくりとした動作で、外套から取り出したモノクルを右目に掛ける。色の付いたレンズが、「悪性」を示す彼の紅い瞳を隠した。


 モリアーティが「魔人」として名を広めながらも、探偵や祓魔師に倒されないのは、偏に彼が「捕らえられないから」の一言に尽きる。彼の「魔人」としての変身能力は、他を大きく上回る。全身の骨格は勿論、肌の色、喉頭などを変形させて声を変える事も出来る。彼は「ジェームス・モリアーティ」の他に、複数の名と体を持っており、更に卓越した頭脳と知識量を以って、全くの別人を演じ分けていた。人形技師ジャス・モアティも、その一人だったのだ。

 ジャスとモリアーティは同一人物であり、彼がメアリーをジョンへと導いた。更に、彼から与えられた名刺に記載された住所を頼りにした。そしてジョンはジャックと遭遇し、彼らがなぜ悪魔と共にいるのかを知り得た。そして一刻の猶予もないと感じ取り、ジョンはホワイトチャペルへと急行し、ベルゼブブと相対する事となった。


「――そうか」

 ジョンは自分の体温が上がっていくのを感じる。それは怒りだ。憤怒で体が熱を上げている。震える手で拳を握り、目を大きく開き、牙を剥き出しにして凶悪な笑みを浮かべた。


「嗚呼、分かったぞ。全部、全部――てめえの手の平の上だったって事か……ッ!」


 切り裂きジャック事件の解決は、モリアーティに誘導されたもの。それがジョンの中に視えた答えだった。

 人形に悪魔が取り憑けるように改造したのは、彼。ジャックとベルゼブブを繋いだのも、彼。ベルゼブブがホワイトチャペルで悪事を為す中、『教会』へ虚偽の報告を送っていたのも、彼。そしてベルゼブブの企みを壊そうと、ジョンを彼の元へ送り込んだのも、彼だ。


 モリアーティはジョンの怒気を浴び、ニィと唇を引き伸ばす。悪意を白日の下に晒す、壮絶な笑みだった。

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