13-8.

「さて……」ヴィクターが手を叩いた。「これからどうする?」


 ジョンは彼の言う「これから」に思いを馳せる。


「まあ、目の前の事を一つずつ片付けていくしかないだろ」

「ジョンは差し当たり、報告書の件かな?」

「そうだな……」ジョンは重い溜め息をついて、「全く、こういうのは学生の頃から苦手なんだ」

「そうは言ってらんないでしょ」と、ジャネット。「探偵って言うのはそういうものなんだから」

 ジョンは「うるせえよ」と唸って、

「お前はどうするんだよ」

「アタシィ? アタシは――、アタシもそうね。今は目の前の事に集中するしかない」

「もう、大丈夫なのか」

 ジョンの言葉に、キョトンとジャネットは目を丸くした。同時に先程まで彼とジャンヌが、離れた場所で何やら話をしていた事を思い出し、


「もう――大丈夫よ。ジョンの、皆の顔を見て、元気が出たから」


 ジャネットは両手に拳を握って構え、はにかんだ。「そうかよ」と、ジョンは少し口の端を歪めた。


「そうだ、聖都に戻る前に父さん達のお墓参りに行っておこう」

 ジャネットがそう言うと、「あっ」とジョンが声を上げる。

「そうか、墓参りか……」

 そんな事、発想すらしなかった。否、出来なかったのか。ジョンは苦笑して、

「なら、僕も付いて行くよ」

「そう? じゃあ、一緒に行きましょう」


「……それから、」ジョンは目を閉じ、深呼吸した。「……ジェーンの見舞いに行こう」


 彼の口からその言葉が出るのは初めてだった。だからヴィクター達三人は息を呑んだ。やがてジャネットがジョンの手を取って、

「うん、行こう。一緒に行こう」


 まるで遊びに出掛けるような気楽さで笑う二人の姿を見、ヴィクターは「嗚呼……」と溜め息をついた。


「……なんだか、肩の荷が下りたような気持ちだよ」

「なに、泣きそうになってるのよ」

 隣に立つジュネに小突かれ、ヴィクターは小さく笑った。

 兄代わりの存在が浮かべる、その嬉しそうに緩んだ表情に釣られるように、ジュネ自身も笑顔を浮かべていた。


「わたしは……、これからどうしよう」


 ポツリと呟かれたメアリーの言葉に、四人は一斉にハッとなった。

 メアリーに悪魔は憑いていなかった。故に『教会』の元へ送られる事はなかった。しかし、ならば彼女はこれから先どこへ行くのか。ホワイトチャペルに、またあの苦しい生活に戻す事などあり得ない。


 ――メアリーを、頼む。ジャックが別れ際に残した言葉を、無下にする事など出来ない。出来る筈がない。


 ジョンは更にベルゼブブから聞いた『特異点』という言葉も気掛かりだった。最後の最後まで、彼はメアリーに執着を見せた。『特異点』が一体なんなのかは分からないが、悪魔にとって重要なものである事は、ベルゼブブの行動から推測出来る。彼女には何かしらの保護が必要になる。

 出来る事ならば自分の傍に――と、ジョンが口を開こうとした時、ジャネットにグイと後ろから襟を引っ張られた。「なんだよ」と抗議するよりも早く、ジャネットが彼の耳元で囁いた。

 それを聞いたジョンがポカンと放心した後に、「よくもまあそんな事を思い付く」と呆れながらもニヤリと笑う。ジャネットもまた同じような笑みを返した。二人が揃って悪巧みをする時の顔だった。


「ねえ、メアリー。ジョンは、貴女の依頼にしっかり応えてくれたよね?」


 ジャネットが目に笑みを浮かべながら、メアリーの肩に両手を置く。どことなく不気味な彼女の様子に、「え?」とメアリーが首を傾げる。

「う、うん。お兄ちゃんは、ちゃんとわたしのお願いを叶えてくれたよ」

「……探偵に依頼をし、それが叶えられたのなら、依頼人はどうするのが適切かな」

 やけに重い声で話すジョンに、メアリーは「何が何だか分からない」と目を回す。

「ど、どうすればいいの……?」

「ちゃんと報酬をあげないとダメなのよ。知らなかった?」

「ほう、しゅう……」

 口の中で言葉を繰り返し、メアリーは意地悪い笑みを浮かべるジャネットと、無表情を貫くジョンを交互に伺う。本当にどうすればいいのか分からないようだった。

「報酬って言うのはな、言ってしまえばお金だよ」ジョンはしゃがみ込み、メアリーと目を合わせる。「探偵が依頼を叶えたら、依頼人は金を払う。探偵だって職業、仕事だからな」

「え、でも、わたし、お金……なんて、持ってない……」

 メアリーは苦しそうにそう言い、申し訳なさそうに縮こまった。いっそ泣き出す一歩手前にさえ見えた。

 それを更に追い詰めるように、


「ええ~? そうなの? ダメじゃない。それじゃあジョンが困っちゃうわ。探偵は、そのお金が貰えないと、生活出来ないもの。ねえ?」


 ジャネットが高い声を上げ、ジョンを見る。ジョンは深く頷いて、

「そうなんだよ。あーあ、どうするかなあ。金がないのかあ……」

 ハァと大きく息を吐き、肩を落とすジョン。メアリーはわなわなと体を震わせ始めた。

 頃合いかな――と、ジョンとジャネットが視線を交差させる。互いに頷いて、ジョンは再びメアリーに目を向けた。


「お金が払えないんじゃあ、働いてお金を稼いで貰うしかないなあ」


 一転して明るくなったジョンの声音に、メアリーはキョトンと体の動きを止めた。

 放心しているメアリーを数瞬眺めた後、やがてジョンとジャネットが口を開けて笑い合った。ますます事態を飲み込めないメアリーが、二人の間でオロオロと右往左往する。

「ハァ、まったく……」

 ジュネが額に手を当てて頭を振る。ヴィクターも口元を手で覆いながらも、その下でニヤニヤと笑っていた。二人はジョンとジャネットがお金の話をし始めた時点で、彼らが何を言おうとしているのか、気付いていたのだ。

「メアリー、君は今、金を持っていないんだろう? だったらどこかで働いて稼ぐしかない。それは分かるよな?」

今だ口元に笑みを湛えながら、ジョンはメアリーに語り掛ける。メアリーは戸惑いを隠せないながらも、コクコクと小さな頷きを返して理解を示す。


「じゃあ、僕のところに来ればいい。探偵の助手として働けばいい。今回の報酬は、君の給料から差し引いていく事にするよ」


「…………」

 メアリーはジョンの言葉を聞いて、ポカンと口を半開きにした。やがて、その大きな瞳に大粒の涙が溜まっていく。

「……いい、の? わたし、お兄ちゃんのところに行っていいの? お兄ちゃん達と一緒にいていいの?」

「別に、嫌ならいいんだぜ? お前はもう誰にもどこにも縛られてないんだ。好きなところに行っていいんだ」

 ジョンは笑う。意地の悪い悪戯小僧のような微笑みを浮かべる。

 メアリーは、その微笑みの元に駆け寄った。決して離すまいと抱き付き、涙を流し始めた。


「嫌じゃない! お兄ちゃん達と一緒にいる! 一緒にいたい!」


 駄々をこねる子供のような声を上げ、メアリーは自分の願いを口にする。そして大声で泣き始めた。

 まさか泣き出すとは考えていなかったジョンは露骨に狼狽えるが、しっかりとメアリーを抱き止めた。

「あーあ、泣かせちゃった。ジョンってば酷いわー」

「……いや、どうしてそうなるんだよ」

 発案したのはお前じゃなかったか。非難の目を向けて来るジャネットに、ジョンは同じ目で睨み返す。


「まあ一先ず、これで一件落着か」

 一連を見ていたレストレードが、溜め息をつく。子供染みた悪戯に手に負えないとするものか、それとも事件の終息に対する安堵かは、ジョンには計れなかった。


「さて、ここからが大変だぞ。ジャス・モアティとジャック・ザ・リッパーの行方、違法改造された『人形』、ホワイトチャペルの治安是正……。やらなきゃならない事が一杯ある」


「……もう少し余韻に浸らせてくれませんかね、警部」

 苦笑を浮かべ、そう呟くジョンに、レストレードがまた溜め息をつく。

「そうも言っていられないのが、大人なんだよ、ジョン」

 大人――ねえ……。果たして自分は「そんなもの」になれているのかと、ジョンが空を見上げる。零した吐息は迷うように消えていった。


「これからの動きは君の提出する報告書に掛かっている。その内容を見て、『教会』が我々にどこまで情報を開示していいのかを示すだろうしな」

「……なんで警部までプレッシャーを掛けるんですか」

「無論、君に期待しているからだよ、ジョン」レストレードが至極真面目な顔をして、言った。「君はいつまでもくすぶっているような男じゃないだろう。これから君が見せる華を、楽しみにしているよ」


 ジョンはレストレードからの激励を、良く理解出来なかったようにキョトンと目を丸くする。ややあってから、威嚇するように歯を見せた。


「知ったこっちゃねえよ、糞っ垂れ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る