13-7.
「そろそろ、よろしいでしょうか」
ジャンヌが発した一声に、子供達の表情が途端に暗くなった。
別れの時が、来たのだ。
メアリーは――しかし、満面の笑みで家族に声を掛ける。
「皆、元気でね。大人の言う事は良く聞くのよ。悪戯ばっかりしちゃダメだよ。皆で協力し合ってね。悪い事をしたら、わたしやジャックがすぐに叱りに行くからね。喧嘩しちゃダメだからね。それから、それから……――」
矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。そうしないと、寂しさで胸を潰されそうだから。けれどその声は、段々とか細くなっていって……。
「メアリー……、わたし達、大丈夫だよ。いい子にするから。そうすれば、また、また、会えるよね……?」
「うん……うん、すぐに会えるよ。いつだって会えるよ。大丈夫、大丈夫……」
家族がまた一つになって抱き締め合う。涙と笑顔が交錯し合う。
「メアリー、大丈夫だよ。今までメアリーがお姉ちゃんだった分、今度はわたしが皆を見てるから……」
「アン……、そうだね、アンが一番上のお姉ちゃんだもんね。皆を、よろしくね」
「メアリー、ありがとう。本当に、ありがとう……」
「わたしは何もしてないよ。助けてくれたのはジャックと――」
メアリーがジョンへと振り返る。ジョンは小さな微笑みを返した。それにつられ、メアリーも少し笑った。
「僕の事なんて覚えなくていい。君達はジャックを――、君達の兄貴を誇りに思え」
あくまでも、あの少年を。二度と融けはしない凍り付いた強い意志。彼の瞳に魅せられた一人として、ジョンは悪魔でもあの少年と出会えた奇跡に胸を張る。
子供達が馬車へと誘導されていく。メアリーは家族の一人一人と抱擁を交わし、笑顔で彼らに手を振る。
「それから、ジャネット」子供達を乗せた馬車の戸が閉められる。それを見届けたジャンヌが、ジャネットへ振り返った。「切り裂きジャック事件は解決しました。今を以って、貴女の任を解きます。急ぎ荷物を纏め、ヴァチカンへ帰投するように」
「……そう来ると思った」口を尖らせながら、ジャネットが詰まらなそうに言う。やがて仕方なさそうに溜め息をつくと、「分かったわよ。明日朝一の便で帰ります」
「よろしくお願いしますね。仕事がたっぷりと溜まっていますから」
ジャネットが歯を剥いて唸る。蛙が鳴くような声だった。
「それでは、皆さんのこれからの息災を祈って」ジャンヌはそう言って、手を組んで頭を下げた。「それから――」
ジャンヌは視線を下げた。その先にはメアリーがいた。
「メアリーと、言いましたね」
「は、はい……っ」
聖女に呼び掛けられ、メアリーは思わず体を強張らせた。ジャンヌはそんな様子に少し笑う。
「固くならないで下さい。私はそんなに大した人物ではありません」
「本当にな」
ボソリとそう呟いたジョンの頭を、ヴィクターが後ろから叩いた。ジョンが剣呑な声を上げ、彼を組み伏せるのに時間は必要なかった。
二人を視界の隅で見、ジャンヌは内心で溜め息をつきながら、メアリーの傍らに寄り添う。
「貴女はとても強い人です。貴女の願いが全て叶った訳ではないのでしょうが、しかし貴女の家族を助けられたのは、貴方のお陰です。私からも、彼らの命を救ってくれた事に、お礼申し上げます」
メアリーの手を自分の手で包み、そこに額を付けるジャンヌに、メアリーは大きく戸惑った。
「い、いえ、そんな……っ。私は、私は何も、してないんです……。全部、ジャックとお兄ちゃんやお姉ちゃん達が頑張ってくれたから……」
「全ての切っ掛けは、貴女の勇気ですよ、メアリー。その懸命な煌めきを、神は見放さなかった。私は貴女をこそ、誇りに思います」
ジャンヌに優しい笑顔を向けられ、メアリーは眩しそうに瞳を閉じる。その静寂から涙を零して、
「皆が、助かれば、それで良かった……。もう怖い思いはしなくていいよね? もうおなかを空かせないくていいよね? 温かい毛布で眠れるよね? 知らない誰かの足音や物音に怯えたりしなくていいんだよね? もう、誰かを――置いていくような事はしなくていいんだよね?」
皆が一緒にいられるのなら、ただそれだけで良かった――。
彼女が、そして彼が目指した安息の日々。その過程で幾人もの家族を犠牲にしてきた。腕の中で動かなくなった兄妹、寒空を見詰めたまま息を止めた仲間、生に絶望を焦がして燃え尽きた家族。……彼らの光を失くしていく瞳を忘れる日はない。
ジャンヌはメアリーを抱き締めた。何度も何度も彼女の背中を擦った。
「大丈夫ですよ。もう怖くありませんからね。よく頑張りましたね。本当に良く頑張りました。もう、大丈夫ですよ」
もしかしたら、彼女が最も望んでいたのは、この言葉だったのかも知れない。
家族を背負って立って来た二人は、ようやくその願いに辿り着いた。
「皆を、皆をよろしくお願いします……! 皆いい子なんです。私の家族を、よろしくお願いします……っ」
最後まで彼女の心は、家族の為にあった。
去って行く馬車が見えなくなるまで、メアリーは手を振り続けた。その表情に浮かべるのは笑顔だった。
「行ってらっしゃい!」
懸命に叫ぶ言葉は、必ずや家族に届いただろう。
「お兄ちゃん」馬車の姿が消えてから、メアリーはジョンに振り返った。そして深々と頭を下げた。「本当に、ありがとうございました、皆を助けてくれて」
「……やめろよ、メアリー。僕は何もしちゃいない」
ジョンは本気でそう思っていた。自分は成り行きに任せて、ただ体を動かしていただけ。
しかし顔を上げたメアリーは、激しく首を振った。
「そんな事ないよ。お兄ちゃんじゃなかったら、こうはならなかった」
自分を抱き上げてくれた、熱い手の感触を思い出す。自分の瞳を真っ直ぐに見て、答えたくれた錆び付いた瞳を思い出す。
彼は既に傷付いていて、本当は他人の事になんか構っている余裕なんてない筈なのに。それでも――それでもしっかりと頷いてくれたのは、この人だけだった。
「そう言って貰えるのは、嬉しいよ」ジョンはしゃがみ込み、メアリーの肩に手を置いた。「でもコレが、本当にお前の望んでいた結末じゃないだろ?」
「――――」メアリーは息を呑み、「そう、だね……」
彼女の本当の望みは、家族全員の救済。ここに、ジャックも共にいる筈だった。
「僕は君の依頼に答える事が出来なかった。探偵として君に謝罪する」
立ち上がったジョンが、今度は深々と頭を下げた。
それを目にしたメアリーが、慌てて彼の前で手を振り乱す。
「お兄ちゃんはちゃんと私達を助けてくれた! ジャックだって救ってくれた。……私はやっぱり、お兄ちゃんに『ありがとう』以外の言葉は見つからないよ」
メアリーはジョンの手を取って、笑った。
その笑顔は、まるで陽光のように輝いていて。不安や不穏が入り込む余地が一切ない程の煌めき。メアリーという少女が浮かべるその笑顔を目にし、ジョンは自分がしてきた事には確かな意味があったのだと実感した。
――「誓え。その言葉、忘れるなよ」。
思い出した父との約束。取り戻した信念。再燃した魂。体の芯から熱を帯びるそれを再び手に出来たのは。
「……それは僕も同じだ、メアリー。君やジャック、そして君達の家族に出会えた事、それこそが僕にとって――」
奇跡。それ以外の言葉が見つからない。しかしそう口にしてしまったら、それだけのモノになってしまう気がして、ジョンは結局口を閉じた。代わりに、彼もメアリーに笑顔を向けた。
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