13-5.

「ジョン、大悪魔の出現は、確かなのですよね」


 ジャックより大変なのは、むしろそちらだろう。ジョンはジャンヌを見、しっかりと頷いた。


「親父達を殺した糞野郎の顔だ。忘れたくても忘れられねえよ」

「一体、なんの為に彼はこちらの世界に……」

「……どうせ報告書に書くが、先に言っておく。あいつは『神ノ国』に至る為だと言っていた」

「――――」ジャンヌが戦慄するように目を見開いた。「それは――そんな……」

「どうしてそうするのか、具体的な動機までは聞いてない。それどころじゃなかったからな。……文句は言うなよ」

 ジョンが警戒するように言うと、「しませんよ」とジャンヌは口を尖らす。


「『教皇』への報告は貴方の報告を待ってから行います。努々キチンとした文書を作り、届ける様お願いしますね」

 脅し文句のようなジャンヌからの忠言に、今度はジョンが口を尖らせた。

「……『教会』最高権威への報告に、僕のレポートが使われるだ? 全く、光栄だね糞っ垂れ」

「ジョン、口を慎むように」

 平手打ちのようなジャンヌの一声。それに、ジョンは舌打ちを返した。


「それと、ジョン。貴方は探偵の癖に、悪魔を撃退してしまいましたね。職務の域を出ていますよ」

「……うるせえな。糞野郎を目の前にして、黙って帰れるかよ」

 探偵とは、巷で起こる怪奇現象が悪魔の仕業であるか否かを探る者だ。言い訳の出来ない正論に、ジョンは歯を食い縛ってそう抵抗するしかなかった。しかしジャンヌは、それを溜め息一つでやり過ごす。

「黙って帰り、その糞野郎が悪魔か否かを判断し、報告するのが、探偵の職務です。悪魔と戦うのは祓魔師の仕事。――まったく、これではシャーロックと同じですよ」

 シャーロックもまた、探偵の域からはみ出し、自らの手で悪魔を撃退させて来た。ワトソンが彼と行動を共にしていたのは、その為だ。祓魔師が傍にいれば、文句はないだろう――。『教会』へそんな大義名分を掲げる為に、彼らは「専属契約」を交わしていた。

「規則は規則です。シャーロックだから――と、『教会』が彼に対し、見て見ぬフリを続けた事実はありますが、あくまでも彼だからです。ジョン、貴方はシャーロックとは違うのですよ」


「そうだ、僕は親父とは違う」ジョンは己の手を見詰めながら、「だけど、だからと言って、悪魔を目の前にしながら、『教会』に報告を入れる為にその場を立ち去るなんて、僕には出来ねえよ」


 探偵が悪魔の居場所を明らかにし、それを『教会』に報告を入れたところで、即座に祓魔師が派遣される訳ではない。探偵からの報告を精査するのも、『教会』の仕事だ。悪魔の撃退までに、どうしたってタイムラグが発生する。その間に新たな被害者が出る可能性は、大いにある。……その可能性を、ジョンは無視出来なかった。


「だったら、敵の目の前にいる僕が奴らを直接ブン殴った方が早えだろ」


 ジョンの信条、その答え。彼が拳を握るのは、誰かを護りたいが為。例え自分が傷付いたとしても、だからどうしたと言うのか。彼は、彼が救いたいと思った者を救えたのなら、何があろうとそれでいい。

 ジャンヌは、そう言ってふんぞり返るジョンの目を見入る。たった数日前、一緒に食事をした頃からは信じられないような強い光を湛えた瞳。炎を取り戻した彼の瞳を見詰め、良かった――と安堵し、ジャンヌは思わず微笑みそうになった。

 しかしそれを隠すように、彼女はまたメアリー達の方を見る。メアリーに招かれたジャネットやヴィクター、ジュネが子供達に囲まれていた。


「……それにしても、」ジョンに続いて彼らに目を向けたジャンヌが口を開く。「ジャネットは、随分と元気になりましたね」


 彼女の声音は、どこか無理に平静さを保とうと力んでいるような気がした。ジョンは思わず彼女に怪訝の目を向ける。


「彼女は家族の死後、すぐにヴァチカンへと戻りましたが、それは貴方達と距離を置きたかったからだと思います。仕事中もずっと上の空で、明らかに様子がおかしかった。だから私は彼女を私の秘書として、一時的に傍に置く事にしました」

 ジャンヌは――俯いて、重い溜め息をついた。ジョンは何も言わず、彼女の言葉を待つ。

「満足に眠れないようでした。夢の中にジェーンが現れるそうです」ジャンヌは首を振って、「『ジェーンが自分を責めに来る』――。彼女はそう言って、泣き喚くばかりでした。情緒も不安定で、突然頭を抱えてその場に崩れ落ちる――なんて事もしょっちゅうでした」


 ジョンは、ジャネットがそんな状態になっているなんて知らなかった。彼自身もつい最近まで塞ぎ込んでいて、それどころではなかった。彼女の事を考えるまでの余裕は、彼になかった。


「私はずっと彼女の傍に居て、慰めようとしました。けれどそれは、私には出来なかった」

 ジャンヌは、ジャネットを見詰める。メアリーと抱き合う彼女の笑顔を見入る。

 泣き喚く彼女を抱き締め、背中を擦る。けれど彼女は、消えない妹の声に怯え切っていた。それが偽物だと分かっていても、嘘だと跳ね除ける事が出来ない。安息を断ち切る影の存在は重く、暗く、確かに傍にいたのだ。

 彼女を強く抱き締める。彼女の存在と所在を現実に帰す為に。夢を払い除ける力を与えたかった。彼女の友人でありたいのなら、使い捨てでもいい、「薬」になりたいと。そう願うジャンヌの耳元で、彼女が零した言葉は『ジョンに会いたい』――。


「……私は結局、彼女の力にはなれなかった」ジャンヌはジョンへと振り返った。「貴方達の元に帰して正解だった。友情というものは、すごいですね」

 そう言ってから、ジャンヌは微笑んだ。自嘲的で、自虐的で、まるで何かを諦めたかのようなその微笑みに、ジョンは、


「どういう顔してんだよ、てめえ……!」


 怒りを露わにして、彼女の胸倉を掴み、自分に引き寄せた。

「ジョ、ん……?」

 咄嗟の事に、ジャンヌは彼女には珍しく戸惑いを隠せなかった。

「なんだその顔は。ふて腐れたような顔してんじゃねえぞ糞っ垂れ。まるで自分があいつの友達じゃねえみたいな事を言ってんじゃねえよフザけてんのかブッ殺すぞ、あァッ!?」

 早口で捲し立てられる暴言に、ジャンヌは目を白黒させる。

「お前がいなかったら、あいつはもっとヤバいところにまで沈んでた。それを掬い上げたのは、救い上げたのは間違いなくお前なんだよ! お前がいたから、あいつは今ココにいる。お前じゃなきゃダメだったんだよ。なんでそれが分かんねえんだよ!」


 ジャンヌはこんな風に真っ直ぐ怒りを向けるられる事が初めてだった。幼い頃に天使に見初められ、『聖人』として列挙した彼女の周りには『教会』の大人達しかいなかった。そんな中で緊張を和らげる事の出来る人間は、ジョンとジャネット、そしてジェーンだった。


「僕はお前を友達だと思ってるよ。ジャネットだってそうだ。ジェーンだってそうだ」

 彼は裏切られた気分だった。自分達は間違いなくジャンヌを「友人」だと認識しているのに、彼女はそれに躊躇いを感じている。その誤差に、彼は憤っていた。


「……でも、私は、『教会』の、『聖人』としての――」

「ンな事知るか糞っ垂れ!」

 ジョンはジャンヌの言葉を遮る。


 皆がジャンヌ・ダルクを『聖人』として見る。しかしジョンにとって彼女は、いつまでたってもどこか反り合わない好敵手だった。

 ジャンヌは『聖人』だ。「普通」とは違う。それは彼女自身が常に意識し、その精神性を形作った根拠でもある。しかしジョンにとっては、彼女がどう考えていようと関係ない。彼にとって、彼女はただの「ジャンヌ・ダルク」という名の人間だった。

 彼女に付いて回る責任の重さは、ジョンも知っている。しかしそれでも、彼はそこに見向きもしない。彼女が彼女らしくあれる「隙」のような存在があってもいい筈だと、彼は信じている。それが自分やジャネット達である事を常に願っていた。


「ジャネットはお前を信頼してる。お前が呼んでくれたから、あいつはお前の傍に行った。お前があいつを励ましてくれたから、あいつはココにいるんだ」

 ジョンは、ジャンヌを掴んでいた手をようやく放した。数歩後ろに下がって、ギリッと音が鳴るほど、強く歯を噛んだ。

「……僕は、あいつが一番苦しい時に何もしてやれなかった。そうする余裕すらなかった」

 ジョンは顔を上げ、しっかりとジャンヌの目を見詰める。そしてハッキリと言った。


「ジャネットを助けてくれて、ありがとう」


「――――」

 そう言って頭を下げたジョンを、ジャンヌは呆気に取れたかのように見詰め、「――嗚呼」と胸の中のつっかえが取れたかのように息を吐いた。


 安堵、だろうか。ジョンの不器用な優しさに、自分がやって来た事に何か意味があったのだと、そう感じる事の出来た安心感。

 ……簡単に言えば、褒められた事が嬉しかった――などと言う幼稚な感覚ですが。ジャンヌはそう考えてしまう、素直に喜べない自分自身の捻くれさに少し笑う。しかし、それすらも「自分自身」。ジョン達には、それを分かって貰えている筈だ。

 自分自身を理解して貰えているという事が、実は心地の良いものだったのだと、ジャンヌは初めて知った。


「頭を上げてください、ジョン。貴方らしくないですよ」

 笑みを含みながらそう言うジャンヌに、ジョンが「僕だって礼くらい言えるぞ」と眉間に皺を寄せながら顔を上げた。

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