13-4.

 子供達は襤褸ぼろのような衣服から、清潔なローブへと着替え、まるで聖歌隊のようだった。


「あっ!」


 メアリーに気付いた子供の一人が大きな声を上げ、彼女の方へと駆けて行く。やがてそれに全員が続いていった。

 ジャネットに向いて頷いたメアリーは手を離し、自分も家族へと駆け寄った。

「メアリー、見て見て!」「すごくきれいなふく!」「ゴワゴワしてないの!」「ふわっふわなんだよ!」「こんなのはじめて!」

 顔を赤らめて興奮気味の家族に、矢継ぎ早の言葉と共に詰め寄られる。メアリーは、満面の笑みで彼らを抱き迎えた。


「良かったねえ。すごいねえ。わたしもおんなじのを着たいなあ」

「メアリーも、きよう!」

「これから、『教会』いく!」

「メアリーもいっしょ!」


「…………」

 メアリーは微笑むだけで、返事をしなかった。その寂し気な微笑に、家族全員に困惑の色が広がった。

「メアリー、もしかして、一緒じゃないの……?」

 恐らく家族の中で一番年上と見える少女が、恐る恐る口にしたその言葉に、メアリーはやはり微笑みながら頷いた。

 子供達が露骨に狼狽えた。彼らはそんな事態を考えてすらいなかったのだろう。


「なんで!」「どうして!」「いやだ!」「うそだよ!」


 子供達は更にメアリーに詰め寄る。思わず倒れそうになった彼女はグッと耐えて、家族一人一人の顔を見回した。


「ごめんね、わたしは皆と一緒に行けないの。わたしだけ皆と同じ病気に罹っていないから」メアリーは微笑みながら、けれど涙を流しながら、「ごめんね、わたしだけが苦しまずに済んでしまった。皆はすごいね、皆は強かったから、今ここにこうしているんだよ。だから、大丈夫。わたしがいなくても、皆は大丈夫だよ」

「やだ!」「やだ!」「やだ!」「やだ!」

 口々に子供達が抗議する。その中には泣き崩れる子までいた。


 ジョン達は皆、一様に口を閉じたままだった。これはメアリーと子供達との間で交わされるべき言葉だ。自分達が何かを言う資格なんてない。


「聞いて、皆。ジャックの事を」

 子供達が顔を上げる。いなくなってしまった一番上の兄の行方。いなくなってしまう一番上の姉が語る言葉。

「ジャックはずっと一人で頑張ってきた。皆の為に、家族の為にってずっとずっと頑張って来た。皆も、それは知ってるよね。……少し、ジャックは疲れちゃったんだ。だから、ジャックにお休みをあげようと思うの」

 メアリーは家族の顔を見回しながら、語り続ける。

「皆、いいよね。ジャックにはゆっくりして貰おうよ」

「……ジャックは、皆の事が嫌いになったの?」

 呟かれた疑問に込められた恐怖。遠ざかる兄の背中に、子供達は怯えた。

「違うよ!」

 メアリーは激しく首を振った。


 家族の為に戦い続けた彼が、家族を嫌いになる筈がない。そんな事は天地が引っ繰り返ってもあり得ない。彼の魂は、いついかなる時だって、家族の元にある。


「ジャックは皆の事を嫌いになったりしない。絶対しない! ……あの子は頑張り過ぎたから、体を悪くしちゃったの」

「じゃあ、みんなでジャックのところ、いこうよ」

 メアリーは微笑みを絶やさないまま、首を振る。

「まず、皆が元気になるのが先だよ。そうじゃないとジャックには会わせられません」

 腰に手を当て、毅然としてそう言うメアリーの姿が、お姉さん然としていて、ジョンは思わず微笑んだ。

「大丈夫だよ。絶対また会えるから。わたしが約束する。ジャックは最後の最後まで皆の事を考えてた。だからジャックとは絶対にまた会える」

 それはまるで、自分自身に言い聞かせるようで。メアリーは「また会える」と繰り返す。


「メアリーは、やっぱり優しいね」

「アン……?」

 一番年上と見える少女の言葉に、メアリーは彼女の名を呼んで首を傾げる。

「メアリーは病気だって言ったけど、違うよね。わたし達は悪魔に取り憑かれたんだよね」

「…………」

「そしてわたし達にそうしたのは、わたし達が『ママ』と呼んでいた人形の中にいた悪魔」

「……そう、全部知ってたの。ごめんね、わたし、また嘘をついた」

 メアリーは申し訳なさそうに俯いた。アンはしかし首を振って、

「いいの、大丈夫よ、メアリー。『教会』の人達に全部聞いたわ。……話がまだ良く分からない子もいるけど」

 そう言って家族を振り返る。どうしたのかと、不思議そうに首を傾げる子供達が数人いた。


「わたし達、メアリーに謝らなきゃって話してたの」

「わたしに? どうして?」

 意外そうにメアリーは声を上げ、キョトンとする。

「わたし達を助けようと戻ってきてくれたメアリーに、わたし達、ひどい事を言ったよね。そして、メアリーを泣かせちゃったよね……」

 アンは口を動かしながら、涙を流し始めた。嗚咽を堪え、懸命に言葉を繋げ続ける。

「メアリーを信じられなかった。信じてあげられなかった。誰よりも家族を想ってくれていたメアリーを、わたし達は信じてあげられなかった……!」

 弟妹達が崩れ落ちたアンを囲って、抱き合った。涙は伝播していく。


 自分達は一度、メアリーを拒絶した。彼女の言葉に耳を傾ける事なく、心はずっと『ママ』の手の中にあった。メアリーの涙ながらの叫びに何を想う事もないまま、自分達は、最愛の姉を裏切った。


「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」「ごめんなさい」――――。

 家族一人一人が繰り返す謝罪に、メアリーはニコリと笑みを返す。

「もういいよ、大丈夫。ありがとう、皆。ごめんなさい、皆。――ただいま!」

「おかえり!」

 涙と笑顔。家族全員が一つになって抱き締め合う。皆の魂があるべき場所に、今ようやく帰って来たのだ。


「……まさしく、家族ですね」

 ジョンの隣に立ったジャンヌが、彼にだけ聞こえるように呟いた。ジョンは「ああ」と笑って、

「すげえよな。なんて言うか、すごく立派だ。あの家族を作ったジャックは、本当にすごい奴だよ」


「ジャック……ですか」

「……っ」

 ジョンは慌てて口を噤んだ。ジャックの事についてジャンヌ――『教会』に詰問されるのは、せめてあの子達が離れてからにしたかった。


「それが、彼のベルゼブブの元に下った少年ですか」

「あァ?」思わず大きな声を出してしまったジョン。慌てて咳ばらいをして誤魔化し、「……あいつはあの糞野郎の元に下ったりなんかしてねえよ。あいつはその支配を克服して、自分からベルゼブブとケリをつけた」


「……それは、要するに……――」

 ジョンは彼女の言わんとする事が分かった。首を縦に動かして、

「ジェームス・モリアーティに続く、悪魔の支配から逃れた魔人。ヒトでありながら悪魔のチカラを体現する魔人、その二人目だ」


「それがどういう意味を持つのか、分かっているのですか」

 ジョンは険しい目付きになったジャンヌと目を合わせ、彼女を連れてその場から少し距離を取った。

「分かっているよ。でもジャックは大丈夫だ、モリアーティの奴とは違う。あいつのようにむやみやたらに悪事を仕出かす事はない――と言うか、あいつはそもそも悪事の為に、自分の力を奮ったりしない」


 ジョンはジッとジャンヌの瞳を見詰める。ジャンヌもまた同じように見詰め返す。……やがて、ジャンヌがハァと息を吐いた。


「……貴方が今の発言を本気で言っている事は分かりました。しかしそれは貴方個人の見解です。私達『教会』からすれば、脅威が一つ増えた事に違いはありません」

「お堅い事で。あれを見てもそう言うのかよ」ジョンはメアリーとその家族に目を向ける。「あの子達を守る為にチカラを求め、そして手に入れた。あいつはそれ以外の為にチカラを使わない」

「貴方がなんと言おうと、私達は『ジャック・ザ・リッパー』を警戒します」


 ジャンヌは毅然としてそう言った。しかしその言葉に棘はないように思えた。その印象がジョンの身勝手な妄想であるか否かは、彼には判断出来なかった。

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