13-2.

「さて、それでは本題に入ろう」


 椅子を引き、レストレードがそこに座った。四人もそれにならって席に着いた。メアリーはジャネットに促され、彼女の膝の上に落ち着いた。


「メアリーから事件のあらましは聞いた。ホワイトチャペルの残酷な現状については、私も心苦しい。しかしその話をし出すと、長くなるだろうから、今は外す。

 娼婦、労働管理者、そして「人形」を殺したのは『ジャック』という少年。

 そう差し向けたのは、大悪魔『ベルゼブブ』と『ジャス・モアティ』なる人物。

 彼らはジャックの家族を取り込み、ホワイトチャペルで悪魔が憑依可能な『人形』を量産しようとしていた。その材料となる遺体を、メアリー達は運んでいた。その見返りとして、住居と食糧を提供していた」


 ジョンは頷き、

「僕が確認した悪魔憑きの『人形』は三体。女性と男性の『人形』は、恐らく警察が回収したでしょうが――」そう言ってレストレードを見る。彼は小さく頷いた。「もう一体の女性型が、ヴィクターの下にある筈だ」

「そちらも後日、警察に提出しますよ。おっと、持ち主の許可を取らなければならないね」

 ヴィクターが声を上げる。ジョンはその人形の持ち主の住所を告げると、レストレードが自分達で確認を取る旨を口にした。


「ベルゼブブは地獄へと追い返したが、もう一方のジャスは行方知れず。君達も姿は確認していないのだろう?」

 レストレードはジョンとジャネットに問う。二人は暗い顔で頷いた。

「ジャスは人形技師の筈ですが、恐らく無免許で無認可です。ジャスは最後まで姿を現さなかった」ジョンは机を指で叩きながら、「大悪魔と繋がりを持っている以上、魔人である可能性が高い。……だけどベルゼブブが追い詰められても助けには来なかった。忠誠心がないのか、それとも物理的に距離が遠かったのか……」

「……ジャスについては、引き続き警戒する必要があるな」

 レストレードの言葉に、ジョンは歯噛みした。自分の詰めの甘さを指差されている気がした。


 この事件の最も深い闇は、『「人形」に悪魔が取り憑く』というところだ。コレがもし悪魔達に広まったら、技師さえ用意すれば、彼らは自分達の居場所を簡単に作れ、市街地を動き回る事が出来るのだ。しかし「人形」の量産について、ベルゼブブ自身が「安定供給にはまだほど遠い。まだまだ研鑽の余地がある」と語っていた。その言葉を信じれば、まだ猶予はあると言う事か。


「……ふうん?」ヴィクターが興味深そうに口の中で呟く。「あの『プログラム』でも、まだ研鑽の余地があると言うのか……。面白いねェ……」

 ヴィクターの声に気付いたのは、ジュネだけだった。不審そうに彼の横顔を見詰めるが、レストレードが再び話し始めたので、慌てて彼の方へと視線を向けた。


「切り裂きジャック事件は、あくまでも娼婦や労働管理者達への連続殺人が主題だ。殺人という行為を行った者、すなわちジャック・ザ・リッパーの正体は、メアリーの家族であるジャック――で、間違いないのだろうね?」

 その言葉に、部屋の中が沈黙した。レストレードも口調は窺うようなものになっていた。

 ジョンは横眼でメアリーを見た。彼女は眉間に皺を寄せ、苦しそうな表情をして俯いていた。

 ハァと溜め息をついてから、ジョンはレストレードに視線を戻した。

「ジャックで間違いないですよ。悪魔のチカラを受け取ったジャックが、そのチカラで犯行に及んだ。遺体はバラバラにされていたと言いますが、あいつはそれだけ被害者達を恨んでいる。……あいつは家族を殺された復讐心から、殺人に及んだ」


 ジャックは人を殺した。それは紛れもない、取り繕う事の出来ない事実だった。


「理由はどうあれ、人が人を殺す事は罪深い。警察としては、なんとしても彼を逮捕しなければならないが――」レストレードはまたメアリーをチラリと窺う。「しかし彼もジャス同様、その行方は知れないままだ」

「……今更ですけれど、コレ、事件が解決したと言っていいんでしょうか」

 恐る恐るそう口にしたジャネットに、全員が苦笑を浮かべた。

「まあしかし、ジョン達の活躍で、切り裂きジャック事件の被害者が、もう増えないのは確かだ。それは僥倖ぎょうこうだと言っていいだろう」


 あいつの復讐自体は警察に発覚した時点で既に終了していた筈だ。僕らが介入しようとしまいと、被害者の数は変わらなかっただろう。……改めて見直しても、僕がこの事件を解決したという手柄などどこにあるのだろう。ジョンが重いため息をついて頭を抱えた時、


「ジャックは……、どうなるの?」

 メアリーだった。部屋の視線が、彼女に集まる。


 事件の概要などどうでもいい。手柄や功績が、どこにあっても関係ない。彼女にとって最も大切な事は、いなくなった家族だった。

「我々は、ジャックを切り裂きジャック事件の被疑者として捜査を続ける。間違いを犯した者は逮捕し、罰さなければならない。それが我々の仕事なのだよ」

 間違い……――間違い? メアリーが顔を赤くし、口を開く。

「ジャックは、家族を守る為に悪い事をした。それは確かだけど、ジャックのお陰で、わたし達家族は逃げられた」

 家族の無念を晴らす為に、敵を殺す。そうする事で、敵視はジャックだけに注がれた。メアリー達が教会に駆け込めたのは、その成果かも知れない。

 だけどね――と、ジャネットはメアリーを抱き締めた。


「人殺しは、いけない事よ。さっき警部も言ったでしょう」


「そうだけど、でも……」

 メアリーは言葉に詰まり、涙を流し始めた。しかし彼女が何を言いたいのか、その場にいる全員が分かっていた。

 事情は分かる。彼らが置かれた境遇が悲惨なものだった事は理解出来る。それでも――人を、殺してしまったのだ。

 更にジャックは悪魔のチカラを手に入れた。例え情状酌量の余地ありと判断され、刑罰が軽くなったとしても、悪魔である以上、『教会』が決して許しはしない。

 だからジョンはジャックを逃がした。例え支配から逃れたとしても、彼が魔人である事は揺るがない。最早、人間には戻れない、人間として生きていく事は出来ない。彼は一人で生きていかなくてはならない。それに少なからず不安を抱くのは当然だ。それでもジョンは「あいつなら大丈夫だろ」と無根拠ながらそう言い切れるだけの何かを、ジャックが最後に零した「Thank you」から感じ取っていた。


「メアリー、お前の兄貴が、簡単に負けるような奴だと思うのか?」

「…………え?」

「あいつは強い。どこにいたって、あいつは家族を守る為に戦う。お前が――お前らが危ない目に遭うようなら、すぐにだってあいつは駆け付けて来る」

 ジョンの言葉に、メアリーは想像する。自分が涙を流しそうになった時、どこからともなくやって来て、優しく背中を叩いてくれる彼を。

 彼と出会ったいつかを思い出す。地に倒れ伏すわたしに手を差し伸べてくれた彼。その姿はまるで――、

「……ジャックは悪魔なんかじゃない。わたしにとっては、ずっとずっと天使なんだよ」

 メアリーはニコリと笑う。ジャックの事を話す時の彼女の笑顔は、とても綺麗だった。ジョンは彼女にそうさせる彼の力に感嘆し、頬を綻ばせた。


「……ええと、つまりだね、ジャック・ザ・リッパーは捕まらず、ジャス・モアティも所在不明。分かったのは殺害に至った経緯と、その裏で画策していた大悪魔の存在か……」レストレードはそう言ってから、唸り声を上げた。「コレ、どこまで報道していいんだ……?」

 苦しそうなレストレードの言葉に、一同が苦笑いを浮かべて互いの顔を見合った。

「ああ、くそっ。悪魔絡みと言う事は、『教会』にアレやコレやと指示を貰わなくてはならない。規制だらけで情報を開示出来ず、警察の手柄を見せられなかったら、市民になんと言われるか分からん……。ああ、これだから悪魔は嫌なんだ……」

「でも警部が関わる事件って、大体悪魔絡みじゃないですか」

「ああ、そうなんだよ、ホームズ。だから事件を解決したところで、警察の威厳を市民に見せられない。私にも正当な評価が下りない。だから私はいつまでも昇進出来ないんだ畜生め」

 一同は、やはり苦笑いを浮かべる事しか出来なかった。世知辛いとはこういう事を言うのだろう。


 重い溜め息をつき続けるレストレードの背後で、ドアがノックされた。警部の指示でドアが開くと女性警官が姿を現した。


「警部、あの……」何やら警官は額に汗を浮かべていた。泳ぎ続ける彼女の目に「何事か」とレストレードは立ち上がった。「お客様がお見えです……」

「……誰だ? 私は今、忙しいのだが――」


「お手は煩わせません。子供達の移送に参りました」


 レストレードの声を破って響く、厳かな声。この真面目ヴォイスは……と、ジョンの背筋が凍る。ジャネットもビクリと飛び上がると、体をガタガタと震わせ始めた。メアリーがそんな彼女を不思議そうに見上げる。


 ドアの死角から颯爽と姿を現したのは、純白の鋼に金の装飾が施された鎧を纏った少女。常に眉根の寄った武張った顔は、どんな相手でも萎縮させるだけの凄味を感じさせた。彼女の名は、ジャンヌ・ダルク。世界に名高い『聖女』が、そこにいた。

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