13-1.

 翌日、ジョン達の姿は警視庁にあった。勾留されていたメアリーと、その家族が釈放されるからだ。

 案内された部屋の中で、ジョンとジャネット、ヴィクターとジュネがそれぞれ向かい合わせに座っていた。


 ジョンはテーブルに置かれた紅茶の湯気が宙を漂う様を見ながら、「煙草、吸いてえなあ……」と呟いた。途端、キッと鋭い目付きでジュネに睨まれた。彼女から体がちゃんと回復するまで煙草禁止令が出されたので、ジョンは仕方なく我慢するしかなかった。

 ジョンはジャネットに、切り裂きジャック事件がどう終止符を打たれたのかを尋ねた。


「あんたのお手柄って事になってるわよ」何故か嬉しそうに、ジャネットは笑んだ。「ホラ、『霧の都の殺人鬼、若きホームズが打ち倒す』――だって!」

 ジャネットがそう言って広げて見せる新聞の一面。しかしジョンは渋い顔をして、その紙面を指で突き破った。

「結局『ホームズ』じゃねえかよ」

 その新聞の文章にジョンの名は確かに書かれていたが、露骨に「シャーロック・ホームズの息子」である事を強調していた。

「……うるさいわねえ、アンタは。気にし過ぎじゃない?」

 ジャネットはうんざりしたような顔で、ジョンを睥睨する。彼は「うるせえよ」と中指を立てた。


「でも、ジョンが評価されているのは本当よ」ジュネもやはり嬉しそうに笑いながら、「色んな新聞社が、こぞって貴方にインタビューしたがっているわ。勿論、ジャネットもね」

「えっ、アタシも?」

 目を見開いて驚くジャネット。当然じゃないとジュネは笑って、

「ジョンとジャネット。その探偵と祓魔師のコンビが、切り裂きジャックをやっつけたって話になっているわよ」

「そんな……。アタシ、何もしてないのに……」

 ジャネットは俯いて、申し訳なさそうにチラリと横にいるジョンを見た。

「別に、間違いじゃねーだろ」ジョンはまた湯気を見上げながら、言う。「お前があの場にいなかったら、あの糞野郎と戦う事も出来なかったしな。子供達を庇いながら、そんな事、やってられる訳ねえんだから」

 ジョンは決して、ジャネットをフォローするつもりでそう言ったつもりはない。本心から生まれた言葉だった。むしろ不器用な彼は、誰かをフォローする事なんて出来ない。


「しかしインタビューねえ……。新人の探偵と祓魔師に、何を盛り上がっているんだか」

 ジョンは頭を掻いた。苦い顔の彼に、「嫌そうだねえ」とヴィクターが片眉を上げる。

「だけど、世間は期待しているんだよ。まるで『シャーロック・ホームズとジョン・ワトソン』の再来だ。そういうのが、民衆は好きなんだよ」

「ハッ。分かり易いアイコンってか。……僕は親父どころか、ワトソンの足元にも及ばないと言うのに」

 皮肉気に笑い飛ばすジョンに、ヴィクターは仕方なさそうに肩を竦めた。


 ジョンは常に自分を過小評価し、自分の強さを疑う事で今を築いて来た。それは恐らく、これからも変わらない。自分の強さを疑う――自分を常に「父」と比較する。強さの証明、力量の評価。その価値基準は、いつか超えると誓った彼の英雄。

 ジョンは自分が切り裂きジャック事件解決の立役者だと言われても、今一ピンと来ていないのだ。自分はただその場その場を凌いだだけに過ぎない。それが解決の糸口を作ったとしても、ただの偶然だとしか思えないでいた。

 だから、この事件が解決する上で最も懸命だったのは、あの少女だと彼は言いたかった。


 コンコンとドアがノックされた。四人は素早くそちらに振り返り、開くドアの向こうに立つ小さな女の子を笑顔で迎えた。

「――お兄ちゃん……!」

 メアリーはジョンを見るや否や、彼の胸に飛び込んだ。彼は引っ繰り返りそうになるのを耐え、彼女を受け止める。

「危っぶねえなオイ。すっ転ぶところだぞ」

「もう大丈夫なの? 怪我はない? 痛いところもない?」

 ジョンは矢継ぎ早に質問を飛ばしてくるメアリーを床に下ろし、しゃがみ込んで彼女と目線を合わせる。

「大丈夫だよ、ありがとうな。メアリーこそ、具合は悪くないか?」

「わたしは大丈夫。レストレードさんが良くしてくれたから」

 そう言って振り返る彼女の視線の先に、山高帽を外して胸に抱いたレストレード警部が所在なさげに立っていた。


「警部……」ジョンは立ち上がり、彼に向けて深々と頭を下げた。「色々とご迷惑をお掛けしました。そしてありがとうございました」

 短い言葉だった。けれどそこには最大級の感謝が込められていた。レストレードは一瞬呆けたように口を開け、やがて満足そうに頬を緩めた。

「いいんだよ、ジョン。君こそ色々大変だったろう。私は君の為に何もしてあげられなかった。謝罪しなければならないのは、私の方だ」


 レストレードにとってシャーロックは掛け替えのない友人であり、その息子であるジョンの事は、子供の頃からずっと見て来た。

 父の死をジョンがどう受け止めるのか。果たして受け止められるのか。心配から声を掛けるだけで、他に何もしてあげられなかった。そんな自分をレストレードは悔いていた。しかし顔を上げたジョンの目を見て、彼は安心したように息を吐いた。


「いえ、心配してくれただけで、ありがたい事です」

「ああ。……だが私の心配も杞憂だったようだ。――いい目をしているよ、ジョン。まるで君の父を見ているかのようだ」

 ジョンはレストレードの言葉を受けて、しかし心底嫌そうな顔をした。レストレードは「相変わらずだな」と言い、笑った。


 レストレードは部屋の中の一同を見遣る。皆、憑き物の取れたような顔をしていた。彼は痩せた顔に、また笑みを作った。

「皆、いい顔をしている。よほどジョンの事を気に病んでいたらしい。彼はもう大丈夫だ」

 そう胸の中で独り言ちて、開けたままだったドアを閉めた。

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