12-2.

「あァ……?」


 そういう、事なのか? そういう事だったの、か……? ジョンは思わず声に詰まり、口を手で覆ってベッドに崩れた。


 もし、ジェーンがそういう意味で自分の告白を受け取ったのだとしたら? そして、そういう意味でそれに答えていたのだとしたら?

 もし、自分の告白が――精一杯の言葉が、彼女に届いていなかったのだとしたら?


 ――――言葉。

 人はお互いの意思を伝え合う為には「言葉」を用いるしかない。

 それがなければ、互いの意思疎通は叶わない。

 一言足りないだけで、「意味」は変わる。

 一言多かっただけで、「意味」は変わる。

 多くても少なくても誤解を生む。だけど自分の「想い」全てを相手に伝えたいのなら。

 ……必要なのは、たった一言なのだ。

 それを伝える「言い方」、「言葉遣い」、「言い回し」は多種多様あれど、どれもこれも伝えたい「想い」はたった一つ。


「君はただ一言、『好き』だと伝えれば良かったんだよ、ジョン」


 丁寧な「言い方」でなくていい。綺麗な「言葉遣い」なんて必要ない。くどい「言い回し」なんて面倒臭い。


「全部君には似合わない。みっともなくてもいい、格好良くなくていい、舌足らずだろうが、声に詰まろうが舌を噛もうが構わない。むしろそっちの方が、よっぽど君らしいよ」

「……恰好付けたつもりなんてないんだ。あの『言葉』は本心だった。あれはあれで、僕の本当の『気持ち』だったんだよ」


 告白を受けたジェーンの浮かべた笑顔が、ジョンの中で蘇る。あの無垢な笑顔に悪意がないのは当たり前だ。彼女も彼女で、本心からの言葉を返していたのだから。


「あああ……」

 ジョンは遣る瀬無さに呻き声を上げて俯いた。ヴィクターと共に頭を抱えたままそうしている内に、ふいにどちらからともなく笑い始めた。

「いやマジありえねえだろ。なんなんだよ、あの糞女。こっちの一世一代の告白をちゃんと受け止めねえとか。マジフザけんなよ、糞っ垂れ」

「君こそなんでそんなややこしい言い方をしたんだよ。君みたいな脳筋バカが、そんな事をするから悪いんだ」

「あァ? うるせえよ、畜生。あの天然ボケ女が悪いんだよ。僕は悪くない!」

「慣れない事はするものじゃないなあ! どうせ雰囲気とか、勢い任せだったんだろう、君は! もうちょっと良く考えてから行動しろとあれ程言ってきたのに、響かないねえ!」

「うるせえんだよ。ああ、糞。クッソ、クソ、糞、くそ……くそが……」

 ジョンの悪態をつく声が、どんどんと掠れていく。再び俯く彼の頭頂部を見詰めながら、ヴィクターは何も言わずにジョンが落ち着くまで待った。

「くそ、フザけんなよ……っ。なんだ、このオチ。笑える訳ねえだろくそ……ッ。なんで、なんで――、なんでかなあ……」

 シーツに落ちた涙が染みを広げていく。ヴィクターはジョンが涙を流す姿を初めて見た。少しばかりの驚きと、胸を絞める歯痒さに知らず拳を握っていた。


「……ジョン、君は、ジェーンにフられたと勘違いし、そのショックを引き摺ったまま、『聖痕』を受け、そして失敗した」

「……ああ、そうだ」ジョンの声は低かったが、しっかりとしたものだった。「魂が肉体から離れそうになった。その辺の記憶は本当に曖昧だが、親父がそれを阻止して体に戻そうとしていた。その隙に悪魔が現れ、ワトソンとジェーンを襲った。僕は気を失っていて、目覚めた後には親父達の死体が転がっていた」


 ……それが、あの夜に起きた出来事の顛末。


 ジョンは顔を上げた。赤く染まった瞳の奥に宿る強い炎。握り締める拳は、血を流す程に硬く、強い。

 ジョンは前を向いていた。悔恨と憎悪を忘れる事の出来ぬまま、しかし確かに前だけを見据える目だった。


「君の怒りは一体どこに向かっているんだい」

「あァア?」

 ヴィクターの問いに、ジョンは物騒な声を上げた。

 眉は寄って凶悪な角度に吊り上がり、剥かれた牙は尖り、得物を喰らわんと今にも拳と共に跳び出しそうに震えている。その瞳の中の涙は炎で乾き、その走る血は己の狂気を発散させろと押さえ込む理性と獣性の葛藤。

 薪は命で、火種は憤怒。煌々と燃え上がる黒い炎は、全てを失った少年の魂を燃やし尽くすまで消えないだろう。

「そんなモン、決まってる。糞っ垂れな僕自身と、それ以上に糞っ垂れな悪魔野郎だろうがよ」

 敵を定める。目的を見定める。標的を絞り込む。選択肢は単純であればある程良い。


 ――ベルゼブブを倒す。恩人達の仇を取る。


 何であれ、ジョンは逃げる事ではなく、進む事を選択した。それを後押ししたいと、ヴィクターは願う。


「ジョン、君の選ぶ道は戦いだらけだ。そして勝ち続けなければならない。それは分かっているよね」

「当たり前だろ。それに喧嘩だらけだって言うんなら、そんなの今までと変わらねえって事だろうが。違うか?」

 そう言って、凶悪な笑みを向けるジョンを見、ヴィクターはハァと溜息をついた。

「そうだね、変わらない。……そして、君も血の気が多い事に変わりないと言う訳だ」

 ヴィクターは考え込むように下を向いた。やがてどこか強い意志を瞳に宿し、


「ジョン、ならばボクも戦おう。ボクは医者だ。だから、絶対に死ぬな。生きて帰って来い。君がどんな怪我をしたって絶対に治して見せる。それが――ボクの戦いだ」


 自分はジョンと共に戦う事は出来ない。いつだって彼が帰って来るのを待つ事しか出来ない。

 ジェーンはそれを嫌っていたし、憎んでいた。傷だらけで帰って来るジョンの姿に心を痛めていた。無事を祈る事しか出来ない自分が嫌いだと語る彼女の涙を、ヴィクターは知っている。

 けれど、ヴィクターはジェーンとは違う。彼には彼にしか出来ない事がある。「待つ」事の痛みを知っている彼は、それすら出来なくなった友人の分まで戦う事を決意した。


「今更何を言ってんだよ。僕はお前だけしか頼れねえんだぞ。しっかりしてくれよ、ジュニア」

 ジョンが浮かべた笑みに、ヴィクターは思わず声を失った。

 久しく見ていない、友人が浮かべるそのクソガキみたいな笑顔に、ヴィクターは「嗚呼」と溜め息をついた。


「……だから、ボクをそう呼ぶなと何度言ったら分かるんだい、ホームズ」

「あァ? お前こそ僕をその姓で呼んだら殺すと何回言わせんだよ、オイ」


 言って、ニヤけ面のヴィクターと怒り顔のジョンが睨み合う事数瞬。やがてどちらからともなく笑い出した。


 一頻ひとしきり笑い呆けてから、ジョンが、

「ところでドクターさんよォ、僕の体は今、一体どうなっているんだ?」

「うん? 言ったろう? 外傷はないのに、意識だけがないって。動く事は出来るだろうけど、まあ今はゆっくり休むといいよ」

 ヴィクターは軽い調子でそう言った。それが何よりの証拠だと、ジョンは受け取った。

 ジョンは傍らで眠るジャネットに目を向ける。サラサラと流れる綺麗な金髪が、ところどころクネクネとうねっているのは、ジョンが指に巻き付けて遊んでいたからだ。再びジョンは彼女の髪を弄りながら嘆息した。


 ――「父さんとジェーンを奪った癖に……、アタシから――、ジョンまで奪おうって言うの……?」今思い出しても、心が痛む。それはその言葉の内容ではなく、それを口にする彼女が浮かべる苦し気な表情が故だ。


 ジャネットの言葉は紛れもない本音であり、彼女は心のどこかで自分を憎んでいるのだろう。それは当たり前の事で、ジョンはむしろ取り繕われた方が嫌だった。自分と彼女の間に隠し事など今まで一つもなかった。だったら、最後までそれを貫きたい。

 良くも悪くも、ジョンの怒りや苛立ちを真正面から受け止めてくれるような存在は、ジャネット以外にいなかった。


「……いつまでアタシの髪を弄るつもりよ」

 低い声が響く。剣呑な目付きをしたジャネットが顔を上げ、キッとジョンを睨み付けた。

 ジョンは呆気に取られたようにポカンとした後、不敵にニヤリと笑った。

「相変わらず寝起きの機嫌が悪いなあ、お前は。聖都でも毎朝そんな低血圧な目で周りを睨み散らかしてんのか?」

「あァ? そんな訳ないでしょ? あそこにはアンタみたいなチンピラはいないのよ。向こうで苛立った事なんて一度だってないわ」

「チンピラなのはお互い様じゃねえか。一々啖呵切ってくる女なんかお前以外に見た事ねえよ」

「喧嘩売って来るのはアンタでしょう? 買ってやってるんだから、ありがたく思いなさい」

「そりゃあこっちのセリフだよ、糞女。物心付いてから、僕と喧嘩して勝てた事が一度でもあるか?」

「なんだァ? 調子乗ってんじゃねえよ。病み上がりだろうが容赦しねえぞ……!」

「ハッ! いいねェ、お前とやるんだったら、病み上がりぐらいが丁度いいハンデだろうよ――」


 ベッドから降り立ったジョンとジャネットが、鼻と鼻とが付くくらいの距離まで詰め寄って睨み合う。

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