8.

 一人目はあの男だ。オレ達のアジトに、凌辱した亡骸を引き摺って現れた男だ。居場所を突き止めて、あの夜にアジトを襲った他の三人諸共殺した。全員長く苦しむように、全身を切り刻んで殺した。


 その後は娼婦だった。十五歳を超えた女の子達は、家族の為に体を売っていた。辛いだろうに、家族の為にそうしてくれていた。それなのに、同業者の女共は客である男達に女の子達の情報を渡し、女の子達はオレ達のアジトの場所を吐くように男達に拷問されて殺された。彼女達への復讐の為に、娼婦達もバラバラにして殺した。


 そして、あの神父だった。綺麗事ばかり口にするあいつは、ただの偽善者だ。救う気概も力もない癖に、祈るだけなら誰にだって出来るんだ。それだけで救われるなら、オレ達はここにいない。


 一人殺す度に、体は変貌していった。人を殺す度に、ヒトから離れていった。誰かを殺せば殺すほど、自分がコワれていく感触を実感していた。

 それでもいい。自分がどうなろうと構わないと決めたから、ジャスと名乗る男の手を取った。


 アジトを襲われ、その襲撃者を撃退したまでは良かった。しかし代償に大怪我を負ったオレには、撤退した奴らを追う事が出来なかった。「追撃したい」という思いだけでは体は動かず、オレは路地の影に身を潜ませて体力の回復を図るしかなかった。


「やあ、お困りのようだね」


 紳士然とした恰好のジャスは、うずくまるオレを見てニコリと笑った。その笑みに、偽りはなかった。地に転がる子供が心底可笑しいと笑っていた。

「手を取り給え。私なら、君の力になれると思うよ」

 目の前に立つ男の瞳は、精錬とした悪意と壮絶な害意で成り立っていた。差し出された手を取ったら、自分はどうなるか分からない。

 けれど――、オレにはそれで十分だった。十分過ぎたのだ。

「あいつら、殺したい。殺したい、殺したい……ッ」

 憎悪は殺意に。悪意は殺意に。敵意は殺意に。全ての感情を殺意に変えて。「誰かを殺したい」と望む、決して燃やしてはならない渇望。

「――イイ目だ」

 ジャスはそう言った。そう言って、伸ばしたオレの手を握った。


 彼が案内したのは、ホワイトチャペルに点在する空き家、その地下室だった。凍えそうなまでに冷え切ったその部屋の中には、多くの遺体が安置されていた。

「何、実験中でね」ジャスは息を呑むオレをくつくつと笑い、「ベル。客人だ。例の件のいいテストケースになるだろうよ」

「あァ?」

 遺体だと思っていた内の一体――いや、一人がムクリと体を起こした。大柄な体に粗野な態度を取る、ベルと呼ばれたその男は威圧的にオレを見下ろした。


 しばしの間、ベルはオレを眺め続けた。泥や垢に塗れて汚れ、傷だらけの子供に何を見出したのか、やがてベルはニィと歯を剥き出した。

「お前が求めるモノは、神では与えられない」

 ベルが口にした突然の言葉に、オレは度肝を抜かれた。

「あいつは何か与えてくれたか? お前達の声に耳を傾けたか? 手を差し出した事はあるか?」

 ない、ない、ない。そんな事はない。祈っても望んでも願っても無意味だった。だからオレ達は寄り添い、助け合って生きていくしかなかったのだ。

「――だが、俺は違う」ベルは笑った。また笑った。愚かしいと嘲るように。「お前らは見上げるべきではなかった。地の底に向けて泣き叫ぶべきだった」

 地の……、底。オレはその言葉に、目の前に立つ男の正体を見た。

「アンタ、悪魔か」

 オレの問いに、ベルは――悪魔は笑った。

 歯を剥き出して獰猛に。これ以上なく冷徹で、激しく猛る炎のように獣臭い。

「そら、チカラをやるぞ」

 ベルは手を伸ばした。オレに向けて手を伸ばした。

 力、ちから、チカラ――。オレが望み続けたモノ。


 アイツらを殺す為のチカラ――――ッ!


 オレは目を覚ました。……始まりの夢を見ていた。

 頭を起こして、周囲を見渡す。ここは草臥くたびれれた食肉処理場だった。染み付いた死臭が常に鼻を突くが、扉だけは頑丈だったから、次の拠点として選んだ。もしまた襲われたとしても、扉をこじ開けるまでの間に皆、逃げる事が出来るだろう。


 まあ、襲われたところで、今度は――今度こそは必ず返り討ちに出来る。オレにはそれだけのチカラが備わった。


 ベルから受け取ったチカラでオレは体を自在に操り、変形させられるようになった。筋量は変わらないというのに、大人の男相手にさえ負けないような筋力も得た。

 参考にしたのは、ジャスが作った「人形」だった。背中に鉄の腕を幾つも生やした、彼が設計した「人形」。彼は遺体を使って「ヒト以上の行動」を制御出来る「人形」を作ろうとし、その成功例が、後に「ママ」と呼ぶ事になる「人形」だった。

 体が変形する際に発する違和感は想像を絶するものがあった。けれど死んでいった家族の無念を想えば、なんでもなかった。

 

豚や牛と同じように吊るされ、解体機に呑まれた彼。集団に犯され、男の欲望を喉に咥えたまま窒息死した彼女。男達に代わる代わる一昼夜、骨格が歪むまで殴られ続けた彼。四肢を切断され、玩具にされた後に川の中へ投げ込まれた彼。尻の穴まで犯され、内臓を掻き出されて野晒しになった彼女。全身の骨を一本ずつ折られ、泣き叫びながら死んだ彼。

 

怨嗟を薪に、殺意を焚け。彼らの声が、オレの魂を掴んで離さない……!

 

――「おいクソガキ! もう止まれ! いい加減にしないと、ヒトに戻れなくなる!」。

 ふいに、「あの人」の声が頭の中に響いた。

 

……あんな声を向けられたのは初めてだった。言い方は乱暴だったけど、オレの身を案じ、そうして焦りを感じている事が伝わって来た。

 メアリーは今、「あの人」と一緒にいる。メアリーは自分達が何か悪事を働かされていると感じ、家族をそこから救う為に飛び出した。彼女はそういう人間だった。前にもオレ達が食物を盗んでいる事を知ると、すごく傷付いたような顔をした。

 メアリーは優しい人だ。本当なら、こんな所にいない方がいい。それは分かっている。


「っ、が、ハッ」

 急に胸が苦しくなり、咳き込んだ。咳が治まり、口に当てた手を離すと、そこは血でびっしりと濡れていた。

 不安と恐怖が襲う。オレは膝を抱え込んで縮こまる。

 チカラを使えば使うほど、「オレ」が分からなくなる。体が壊れていく。自分が千切れて飛んで行って、何か別のモノに取って代わられるような気がした。脳が分裂する。意識が簒奪される。意思が震動する。自分が、ジブンが、自ブンが、分からナくなル。

「Thank you…, Jack, Thank you, Mary…,Mary, Jack, Jack, Thank you…」

 彼女に呼ばれた、生まれて初めての「名前」。初めて向けられた「感謝」の意。初めて口にしたいと思った「彼女」の名前……。

 繰り返す、繰り返す。何度も何度も繰り返す。それだけで自分を取り戻せる気がした。


 扉が突然開いた。思わずビクリと飛び上がったが、入って来たのは七、八歳の小さな子供達だった。六人がかりで何かを頭上に持ち上げ、運んでくる。

「ジャック! 新しい、死体!」

 陽気な声で、遺体を抱えて来る。その声の明るさと荷物の陰鬱さのギャップに、少し笑いそうになった。オレは立ち上がり、彼らを迎えに行く。

 大きな麻袋に入った遺体を、子供達は半ば投げるようにして床に転がした。遺体は、体格からして恐らく成年に近い男だろう。


「こいつ、どこから?」

「お姉ちゃんが!」

 子供達が笑顔になった。笑顔でそう言った。しかしその言葉に、オレは困惑する。

 彼らが語る「お姉ちゃん」は、メアリー以外にいない。遺体の正体がメアリーの筈はない。けれど、彼女が遺体に関わる筈がない。彼女は遺体の回収には参加しなかった。彼女にはまだ幼い子供達の世話をして貰っていた。オレ自身がそうさせていたのもある。彼女は遺体などの不浄なモノに極力触れない方がいい。

「メアリー、いるのか?」

「いるよ?」

 子供達が一斉に扉に振り返って、指を差した。

 オレはそちらに振り向いた。そこには扉に半ば隠れ、こちらを覗き込むようにしているメアリーの姿があった。


「おッ、前……」オレは大声を上げそうになるのを、寸でのところで堪えた。「……なんでここ、いる」

「帰って来たんだよ」メアリーは深呼吸してからそう言い、オレ達の下へ歩み寄る。「どうしてそんなにビックリしてるの?」

 メアリーが帰って来てくれた。また会えた。こんなに嬉しい事はない、それは嘘じゃない――けれど……。

 子供達がメアリーの手を引く。メアリーの声を聞いた他の子供達も、続々と彼女の周りに集い始めた。どこにいたのか、何をしてたのか、ご飯は食べたのか、その服はどうしたのか。そんな事をしきりに尋ねていた。

「この死体、お姉ちゃん、持ってた!」

 オレはその言葉に目を見開く。子供達を押し退け、オレはメアリーに詰め寄った。


「どういう事だ」

 メアリーは目を伏せた。その視線は遺体に向けられていた。

「私が……、殺した」

 ドクンと、心臓が鳴った。猛烈に嫌な予感がした。オレはメアリーから視線を切り、遺体に目を向けた。

 麻袋に手を伸ばし、勢い良くそれを剥がした。

「――――ッ!」


 麻袋の中にいたのは、紛れもなく「あの人」だった。


「メアリー、これ、どういう……なんで!」

 オレは上手く言葉を発せなかった。メアリーはオレの方を向かないまま、

「なんでって、『ママ』の敵……でしょう」

 それはそうだ、その通りだ。オレは自分でもどうしてこんな焦っているのか分からなかった。メアリーは取り返しのつかない事をした――そんな意識だけが頭の中を埋め尽くしていた。

「あああ……」

 オレは思わず頭を抱えて後退った。「ママ」に――いや、ベルに気付かれたらマズい。そう直感したオレは、再び遺体を麻袋に戻そうとした。


 その時、目を開いた遺体とバッチリと目が合った。


「…………は?」

 オレは呆気に取られ、そんな言葉しか出せなかった。

「……よう、また会ったな、クソガキ」

 横たわる男は口の端を歪めて笑うと素早く起き上がり、動けなかったオレの首に腕を蛇のように絡めた。

「ぅ、ぎ、ガ……っ!?」

 何が起こっているのか分からない。首を絞められ、意識が遠のいていくオレの目が最後に映した景色は、メアリーが小さく「ごめんね」と呟く姿だった。

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