7-2.

 終わりは突然だった。大きな音がして、わたし達が拠点にしていた倉庫の扉が勢い良く開いた。

 そこには大人の男の人が何人もいた。全員、髭も髪もモジャモジャだった。その中でも一際大きな体をした男の人が、一人の女の子を引き摺っていた。

 ジャックが怒鳴った。その男の人は意地の悪そうに黄色い歯を剥き出して笑い、引き摺る女の子を掲げた。


 両手首を大きな手に掴まれた女の子は、裸だった。お腹や顔に青い痣や赤い腫れが幾つもあった。片目は潰れ、半開きの口からは唾液を零していた。

 体を泥と傷と血で汚された女の子。男の人は、彼女をゴミか何かのようにジャックに向けて投げ捨てた。

 女の子は――既に事切れていた。ジャックは彼女を抱き止めると、全身を震わせながら涙を流し始めた。


 彼女はわたし達の居場所を男の人達に喋ってしまったのだ。殴られ、踏まれ、蹴られ、汚され、それでも懸命に堪えたけれど、心が折れてしまった彼女を誰が責められよう?


「アアアアア――ッッッ!」

 ジャックが吠えた、まるで彼が彼でなくなったかのように。獣のように凄惨で、わたしはその咆哮に、月に向けて吠える人狼の話を思い出した。

 ジャックの声を合図に、子供達が走り出した。一目散に倉庫から抜け出し、散り散りになって逃げ出した。

 わたしは恐怖に泣き叫ぶ子、病気や怪我で動けない子をどうすればいいのか分からず、その場に立ち尽くすしかなかった。

 ジャックは地面を蹴った。声を上げながら、男達に立ち向かって行った。

 男達は皆、笑った。蔑むように、嘲るように。笑って、その手に握る刃物を光らせた。その笑い声は闇の中から迫り来る蝙蝠の羽音だった。


 わたしは――悪魔を見た。悪魔はお話の中にあるような異形ではなく、ヒトの形をしていた。

 嗚呼――――、また、蛾が飛んでいる……。


 わたし達はホワイトチャペルの隅にあるこぢんまりとした教会に助けを求めた。万が一の場合に、ここに逃げるようジャックや年上の子達から指示されていたのだ。

 ジャック達は大人達を信用していなかったから、出来るだけ自分達の力だけで生き延びようしていた。だから、教会を最後の手段としていた。

 教会に辿り着けた子供達は僅かだった。わたしが到着した時、そこには十人しかいなかった。

 これだけしか――。わたしは絶望的な気分になって、膝を崩して泣き出してしまった。わたしはこの中で一番年上だから、泣いていてはいけないのに。辿り着いた子供達と一緒に抱き締め合い、泣き続けた。


 教会にジャックが姿を現したのは、わたしの到着から遅れる事、十日後だった。彼は全身に傷を負っていて、酷い熱を出していた。

 教会の神父様はとても親切な人だった。いきなり押し掛けたわたし達に温かい毛布とスープをくれたし、ジャックの看病だって付きっきりでしてくれた。


 ……わたし達はやり過ぎたのだ。大人達から物を盗み、生きる為にと欺いてきた。堪忍袋の緒が切れた彼らはわたし達を皆殺しにしようと、わたし達の拠点を襲った。

 目を覚ましたジャックは、わたしの目を見ずにそんな事を言った。強く歯を噛んで、懸命に涙を堪えながら。

「オレが、もっと、上手く出来れば……。もっと――、もっと……ッ!」

 ジャックは自分を責めていた。仲間の死は、自分の所為だと責めていた。頭に爪を立て、引き絞るような声で唸り続けた。

 でも、わたしは首を振った。

「ジャックがいたから、わたしはここにいる。ジャックに救われた人は、たくさんいるんだよ」

 しかし、わたしの声は彼に届かなかった。ジャックは「うるさいッ!」と叫んで、わたしを強く睨んだ。


 血走って赤い、濡れた瞳。それに射竦められたわたしは、思わず息を止めた。まるで、まるで――死んだ時のお母さんみたいな目だった。


 わたしと子供達は祈り続けた。ジャックの回復を、ここに来られなかった他の子供達の無事を。祈れば、きっと神様がそれを聞き届けて下さると、神父様が言ってくれたから。

 だけど、そんなわたし達すら、ジャックは煩わしくなったようだった。


「祈るだけで変わるなら、オレ達、ココにいない!」

 ある夜、ジャックの怒鳴り声が聞こえて、わたしは起き上がった。ジャックの声音に不安になった子供達が、半ばぐずりながらわたしの手を握った。わたしは彼らを宥めて、一人でジャックの下へ向かった。

「オレにもっと、もっと力があれば……ッ! あいつら、あんな風に死ななくて良かった!」

 ジャックが教会に辿り着くまでに何を見たのか、わたしは知らない。彼の瞳に映り込んだ光景は、想像すら出来ない。


「――大人、皆同じ。綺麗事しか言わないか、ひたすらに汚いか、そのどちらかしかいない」


 彼は躊躇わなかった。それが彼の求めた強さだったのかも知れない。

「オレには要らない。お前らなんて、もう要らない……!」

 ジャックは神父を刺した。胸を刺し、倒れた彼の背中に乗り移って更に刺した。腕が上がらなくなるまで彼を刺して、戸の前に立つわたしに振り返った。


 ……ジャックの目は恐ろしく静かだった。まるで真っ黒な夜の海、その水面に映り歪む焔の月光。

 ジャックは悪魔になっていた。人を殺す事を厭わない、間違った強さを手に入れていた。


 その後は、あっという間だった。教会を後にしたわたし達に、ジャックは「ママ」を紹介した。彼女の言う事を聞いていれば、衣食住は約束されると言う。その言葉は本当で、わたし以外の子供達は彼女を信頼し、懐く者まで現れた。

 だけどわたしは、ずっと「ママ」の中に不吉なモノを見ていた。きっと彼女は、わたし達を破滅させる。


 時折、「ママ」は別の大人を連れて来る事があった。一人はベルと名乗る大柄の男で、もう一人はジャスと名乗る白髪で初老の男だった。彼らは子供達と話す事はないが、ジャックとだけは交流していた。

 大人達に囲まれ、言葉を交わすジャックの表情は乾いていた。ただ淡々と報告を上げ、指示に合わせて彼はどこかへと行ってしまう。


 このままではジャックがどこかへ消えてしまう。家族までも後戻りの出来ない場所まで引きずり込まれる。

 わたしは一人不安に苛まれ、そして「ママ」を、ジャックを、家族を裏切る事を決めた。


 わたしはいっそどうなってもいい。だからせめて皆を……。わたしは家族の下から飛び出して、そして――――、

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る