4-6.
ジャネットは「人形」を見据えながら駆け進む。「人形」はメアリーの手首を掴み上げ、彼女の動きを押さえ込んでいた。
「お姉ちゃん――」
メアリーは自分に向かって直走るジャネットを見、うな垂れて首を振った。
「……敵が五メートル以内に接近。迎撃を開始します」
静かに「人形」が口を開いた。同時に背部から折り畳んでいた四本の鉄腕を開くと、ジャネットに向けて一直線に伸ばした。
「っ!」
ジョンが語っていたのはコレか。ジャネットは鉄腕が握る四本のナイフを見、思わず足を止めそうになったが、心を奮い立たせて更に速度を上げて疾駆する。
ジャネットの後ろではジョンが戦っている。今の彼は不安定だ。久し振りにジョンと会ったこの数時間で、彼女はそれを実感していた。意識が浮いたり、沈んだり、どこか遠くに飛んでいる時もある。
父親と似て、以前から何をしだすか読めない男ではあったが、それに拍車が掛かる可能性がある。――アタシがジョンを見てないと。幼い頃と同じ誓いを抱いたのは、奇しくもあり、運命的だった。
ジャネットは怯んでしまった。目の前にいる敵に臆してしまった。けれどジョンは彼女と違い、変わらず前を見ていた。だったら――、アタシだってそうするしかないじゃない。
アタシは任された、ジョンに任されたんだ。彼からの信頼が、ジャネットに勇気をもたらす。
アタシの願いはただ一つ。アタシは、ジョンの隣に立っていたい――!
一本、二本と、ジャネットは迫り来るナイフを拳銃で殴り、それを握る鉄の指から弾き飛ばした。彼女は速度を緩めることなく、走り込んで残りのナイフを
「メアリー、頭を下げなさい!」
ジャネットは叫び、メアリーが咄嗟にその指示通りに動いた。そしてがら空きになった「人形」の顔面を渾身の力を込めて殴り飛ばした。
「おらァ! どうだッ!」
ジャネットが解放されたメアリーを腕の中に抱き、手に残る十全な手応えに吠えた――その時だった。
「――ああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!」
彼女の背後で突如、ジョンの絶叫が上がった。
「ジョンッ!?」
ジャネットが目を見張り、身を
「ジョンに何をしたッ!」
ジャネットが銃口を魔人に向け、恫喝する。魔人はその言葉を聞いて、「くくっ」とくぐもった笑みを浮かべた。
「本当のことを、言ったまでだ……。『あの日』のことをな」
「!」
ジャネットが目を見開き、思わずジョンに目を向ける。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
胡乱な目付きで頭を抱えて
「ジョン! しっかりして!」
こんなジョンは見たことがない。彼女の中のジョンは、いつだってやる気のない態度で他人を睥睨し、けれど的確に真実を射止めるような、そんな横柄だが背中を預けるに足る人間だった。こんなに弱り果て、くたびれたジョンを見るのは彼女にとって初めてだった。
背後で「人形」が起き上がる音がした。ジャネットは自分が置かれている状況に愕然し、絶望する。動けないジョンを守りながらメアリーを救出し、悪魔と人形を撃退する。それを自分一人だけでは不可能だと、一瞬の内に把握してしまった。
どうする――、どうする……ッ。ジャネットは震えそうになる体を押さえ付けながら、必死に思考を回転させる。
「『十字架』を使えないなんて――、一体なんの為にそいつはココに残されたんだろうなあ?」
魔人の言葉に、再びジャネットは目を見開いた。
「お前……ッ、どうしてソレを知っている……!」
ジャネットの感情を押し殺した声に対し、男はおどけるように肩を竦めるだけだった。
「……メアリー、貴女はここから離れて」
ジャネットは拳銃に弾を装填しながら、小さくそう言った。メアリーは自分の服をギュッと掴んだまま、
「で、でも……」
「いいから――早くッ!」
ジャネットには余裕がなかった。それが怒声となって発露した。メアリーは彼女の声音にビクッと飛び上がり、反射的に足を動かした。
「おっと」
魔人がそれを大人しく見ている筈もなかった。しかし彼の前にジャネットが躍り出て、彼の追跡を阻んだ。
「アアアッ!」
ジャネットが雄叫びと共に腕を振るう。魔人はその応酬を後退してかわし、見極めた一瞬の隙をついて放った前蹴りで、ジャネットを弾き飛ばした。
呻き声を上げ、地面に転がるジャネットを尻目に、魔人の視線はジョンへと向いた。彼は未だに体を丸めたまま、動かない。
「情けない、それでもあのシャーロック・ホームズの息子か?」
男の揶揄するような口振りに、ジャネットが猛烈な怒気を露わに両腕で体を起こす――が、視界の端でそれに気付いた男が体を振り向かせながら、思い切り彼女の顔面を蹴り飛ばす。
ジャネットは仰向けにされ、痛烈に背中から地へと倒された。
「お姉ちゃんッ!」
メアリーが絶叫し、思わず足を止めた。男がニヤリと笑って、彼女に向けて歩を進め始めた。
吹き飛び、宙を舞ったジャネットの血が、ジョンの顔を濡らした。その刺激で、彼は自分の視界が段々と澄んでいく事を実感した。
「あ、が、ああ――っ」
半開きの口から唾液を滴らせながら、ジョンが尚も
ジャネット――、嗚呼、クソッ。僕の所為だ、僕の――。フラフラと揺れる体。そしてようやく敵である男に目の焦点が合った時、力強い光が彼の瞳の中に宿る。
「く、そ……ッ。お前、くそ……ッ!」
「ようやくお目覚めか! 遅せえなあ、オイ!」
男が傍に倒れるジャネットの足首を掴み、力任せに振り回し、ジョンに向けて投げ飛ばした。
ジョンはジャネットを抱き止めると、そのまま強く抱き締めた。
「じょ、ん……?」
「ごめん、ジャネット。本当にすまない、ごめん、ごめん、ごめん――」
罪悪感、罪悪感、罪悪感。胸を劈く彼女への謝罪の念が、ジョンの口を衝いて出続ける。
「嗚呼……、顔が血塗れだな」
馬鹿にするように指差して、男は笑みを見せた。
その声が、ジョンの思考回路を焼き切った。殺意に近い憤怒を燃やし、ジョンはジャネットを地面に寝かせるや否や、力強く男に向かって跳び出した。
肩から大きく振るう、ガムシャラな鉄拳撃ち。単調なその拳をかわすのは容易く、男はただ後方へ下がるだけで良かった。ジョンはしかし、感情の赴くままにひたすら両腕を振り回した。
いつもの彼の戦い方ではない。「悪意の察知」――、彼はそれを活かして敵の攻撃を捌きながら僅かな隙を突き、人体の弱点に向けて的確に攻撃を打ち込む。敵を倒す為の最速にして最短の選択肢を常に取り続ける。それが彼のスタイルだった。
キレていても、どこか冷静で、頭を使った戦い方が出来るのがジョンだと、ジャネットは思っていた。彼のそういう体捌きを見て、いつも感嘆していた。だから目の前で彼が繰り広げるデタラメな動きを、現実だと信じることが出来ないでいた。
「アアア――ッ!」
獣のように咆哮を上げ、ほとんど呼吸もせずに拳を繰り出すジョンを見ながら、男は呆れたように鼻を鳴らした。
「なんだ、お前。つまらなくなったな」
男は言葉通り、心底つまらなそうな声を出して、ジョンの顔を上段蹴りで薙ぎ払う。あっさりとそれは決まり、ジョンはまるでゴミのように石畳の上を転がってった。
「うるせえんだよ、うるせえんだよ、うるせえんだよ……ッッッ!」
彼は呪詛のように同じ言葉を繰り返す。それは男に向けている訳ではなく、自身の胸を締め付ける罪の意識に向けて放っていた。胸の前で衣服を掻き抱きながら、彼は息も絶え絶えに立ち上がる。
涙を浮かべ、汗を流し、唾液を滴らせながら、全身を震わせる――。ジョンの
こんなの、ジョンじゃない……。ジャネットの胸の中にその言葉が響き渡った。波紋のように広がるそれが、深い絶望を連れて来る。
す――と、ジョンが両腕を広げ、持ち上げる。数瞬、ジャネットはその姿勢の意味を理解するのが遅れた。
ジャネットは体の痛みを忘れて立ち上がり、ジョンの背後から飛び込み、彼を強引に押し倒した。
「じゃ、ねッ……――」
「ダメッ! ジョン! それはっ、ダメッ!」
「なんだよ、見たかったのになあ」
頭上から降り注ぐ、男の声。ジャネットは目を見張り、素早く顔を上げる。
男は薄く笑ったまま、拳を掲げる。一撃目――、石畳を軽く潰して見せたあの拳撃を真上から頭部に喰らったら……、どうなる?
ジョンを抱き締め、ギュッと目を閉じることしか、もうジャネットには出来なかった。これで終わりなのか――と、歯噛みしながら。
しかし、一向に男の拳は降って来なかった。ジャネットが目を開いて顔を上げると、男はジャネット達を見ていなかった。
何があるのかと、ジャネットもそちらに振り返った。
何十人という数の警官が、そこに集まっていた。パブからジュネが通報したのだろうか。
男は自分に伸し掛かる状況に、しばらく沈黙した。少年とメアリーを交互に見比べ、自分との間にある距離を測るようにした。……やがてチッと舌打ちをして、未だ地面に這って喘いでいた少年を抱えた後、「人形」に振り返った。
「お前らを見られる訳にいかない。引くぞ」
「承知しました」
男が苦々しく呟いた指示に、「人形」が無機質な声を発した。二人は踵を返して共に歩き出した。
「待て、よ……ッ。くそ……!」
疲弊した体で、彼らに追い付くことは叶わなかった。ジャネットは躓いて石畳に崩れ落ち、それを笑う男の声が段々と遠ざかっていくのを黙って聞いているしかなかった。
「お兄ちゃん、お姉ちゃ――」
嗚咽しながら、メアリーが二人に駆け寄った。
三人を嘲るように笑い、パンパンパンと三度手を打ち鳴らし、男は消えた。それは三位一体を侮辱する意味を含んでいた。
ジャネットは、悔しさをそのまま拳に乗せて地に叩き付けた。
「ジョン! ジャネット! 大丈夫か!」
レストレードが駆け寄って来る。地面に倒れる三人を見て、半ば呆然としていた。
「ぅ、あ、あ、ああ……」
ジョンは虚ろな目をして、意味を成さない声を上げていた。気味が悪そうにジョンに振り返ったレストレードが、
「ジャネット。ジョンは、一体どうしたんだ?」
「それは……」
ジャネットは言葉を選ぶように目を泳がせる。
彼女の様子を見て、体が痛むのかと勘違いしたレストレードが、
「いや、いい。無理に答えなくていい。とにかく、二人を病院へ運ぶ」
「待って、お願い、あいつらを――」
「無理をしない程度に私の部下が追跡している。君達はまず自分を心配するんだ」
警部の強い声に、ジャネットは「はい……」とやはり悔しそうに返事をした。
「ヴィクターの所に、お願いします」
「ああ、分かった」
ジャネットは警部のその言葉を聞いたのを最後に、意識を失った。
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