2-4.

「ジョン、早速だがいいかな。我々に付いて来てくれ。これから被害者が殺害された現場を回ってみようと思う」


 あまり血腥ちなまぐさいモノを子供に見せるは如何いかがだろうかとジョンは思ったが、こうなったのは自分の所為せいだったと思い直した。「はい」とだけ返事をして、先を歩く警部達に付いて行く。


「そうだ、ジョン。君は切り裂きジャックについてどこまで知っている?」

 レストレードがジョンに振り返り、そう問うた。ジョンは困ったように頬を掻き、

「あー……、警部。僕自身はその切り裂きジャックにあまり興味がなかったので、新聞で発信されている情報以上のことは知りません」

「切り裂きジャックに興味がないと来たかあ。シャーロックは面白半分に首を突っ込むだろうがな」

「半分どころか、全部ですよ。あいつの行動の原動力は、ただの好奇心ですから」

 ジョンは懐かしそうに――けれど、どこか辛そうに。溢れ出そうになる余計な感情を表情に出さない為に拳を握り締める。


「ハハッ、そうだったな。

 ――さて、話を戻そう。切り裂きジャックについてだな」

 レストレードが語る事件の内容は、ジョンが知っている事実とほとんど一致していた。相違点は、被害者の種類だった。

「売春婦と労働監督者だけでなく、その監督者の下にいた『人形』も破壊されているのだ」

 死刑や獄中死した犯罪者達を「人形」にし、労働力として利用している事は、ジョンも知っていた。それを非人道的だと抗議する声はもちろん上がっているが、給与を支払う必要のない「人形」を機械の一部として組み込み、工場を運営する動きはもほや一般的だった。


「ホワイトチャペルに『人形』がいるんですか?」

 こんな世も末な場所に――とジョンが続けなかったのは、自分の後ろにメアリーがいるからだった。

「むしろ貧しい工場の方が『人形』を欲している。給料は要らないし、文句も言わない。必要なのは最低限のメンテナンスだけだからな」

「大手の工場はどうなっているんです?」

「人権団体や『教会』からのバッシングが怖いからな。大きな工場ほど、『人形』を労働力として使わない」

 そういうものかと、ジョンは首を傾げる。


 経済力のない工場ほど『人形』への需要は多い。しかしその影響で職に就けない人間は増えていく。そうした人間が集まり始め、やがて貧民街へと成り果てていく。ジョンは動く死体が負の連鎖を繋げているような気がしてならなかった。

 切り裂きジャックが『人形』を破壊する理由はそこなのではないかと、ジョンは思い付く。自分が飯を喰えないのは、お前らが職場を奪うからだ――と。


「う、む……。それはあり得るかも知れんな」

 ジョンの閃きに、レストレードは呻くようにそう言い、頷いた。


 一行が辿り着く切り裂きジャックの犯行現場には、どこも血の跡が色濃く残っていた。首を刺し突かれたが故に噴出した血液が、辺りを汚す様が容易に想像出来た。ジョンは左手にぶら下げるロザリオに目を落とす。

 悪魔の探索には、彼らに対を為す何か神聖なアイテムを用いる。悪魔が「神聖」を拒むように、「神聖」もまた「悪性」を拒絶する。故に悪魔がその場にいたのなら、何かしろの反応がロザリオに表れるはずだが、時間が経ち過ぎているのだろう。痕跡が消えるのも仕方のないことだった。

 ジョンはコートの裾を捲って、自分の手首を見る。そこに巻かれた包帯、その下にある円形の傷痕を見る。

 ロザリオにも傷痕にも反応はない。悪魔の追跡は難しそうだった。


「警部、犯人を見たという人の証言に信憑性はあるんですか?」

「……ないとは言えない、というレヴェルだな」

 苦々しい顔で、レストレードは唸るように言った。……他に有力な証言がないのだろう。だから嘘であれ真であれ、それにすがるしかないのだ。

「複数の腕が複数の刃物を持っていた――という話でしたよね。それ、犯人が複数で重なり合っている状態で、それぞれの人物が腕を振り上げていたからそう見えた、なんてオチはないですか?」

「……君は私達を責めているのか? マスコミは何かと私達を『無能』だなんだと扱き下ろすが、私達は必死に捜査している。何も進展していないことに最も苛立っているのは、私達だ」

 レストレードはジョンを睨み付けた。短気過ぎるだろう、僕といい勝負だぜ糞っ垂れと、ジョンは苦笑いを浮かべる。

 つまり、レストレード達に事件について聞いても、彼らだって何も分かっていない。ろくな返答を期待出来ないのだ。ジョンは頭を抱える。……この事件が解決する日が来るのだろうか。


「……本当に反応しないな」

 ジョンはロザリオを指で弾く。キンという金属的な高い音がして、揺れている。ただそれだけだった。


 しかし――と、ジョンは背後に振り返る。またも視線を感じたのだ。それはレストレード達と歩いている最中に何度も感じた。明らかに誰かに見張られ、後をつけられている。

 けれどその何者かは「見て」いる、ただそれだけだ。確かにこの場所を出歩くに、自分達の恰好はおかしいだろう。物取りやスリに目を付けられているだけかも知れない。その視線に、けれど悪意は感じ取れなかった。


「ジョン、こっちに来てくれ」

 レストレードの声に、ジョンは振り向く。レストレード達の前には、黄ばんだ歯を見せて薄ら笑いを浮かべる男の姿があった。彼の手には紙幣が握られていた。なるほど、情報を渡す代わりに金をねだったのか。ジョンはそこまで思考しつつ背後からの視線に緊張を強めながら、レストレード達の下へ向かった。

「彼の話を聞いてくれ」

 レストレードは財布を懐にしまい、なんとも嫌そうな顔をしながらそう言った。

 警官に促され、男は話し始めた。


「ここで血腥い事件がある時、大抵『ブラッディ・エンジェル』が傍に居るモンだ」


 ずいぶんと洒落しゃれた名前だな。ジョンは詰まらなそうに鼻を鳴らした。

「あいつが入った工場なんかでは、おかしな自殺が多かったのさ。それを気味悪がって従業員がどんどん減っていくもんだから、最後には工場が回らなくなって、経営者も首を吊っちまうのさ」

「……ただの偶然ではないかね?」

 レストレードの言葉に、男は首を振る。

「あいつが入る前までは、その工場に何も問題はなかったのさ。それなのに、あいつが入った途端、誰かが狂い始める。あいつはそういう奴なのさ……」

「貴方はその人を見たことがありますか?」

 今度はジョンが口を開いた。男は目を丸くした後、首を振った。


「何言ってんだ? あるわけないだろう」

「…………」


 ジョンは閉口した。要するにこの男は、自分が見てもいない人間の噂話をしているに過ぎないのだ。

 そんな不確かな情報に金を払ったと知ったレストレードが目付きを険しくさせて、男に詰め寄った。

「そいつはどんな風貌だ? 見てはなくとも聞いたことくらいあるだろう!」

 なんとか手掛かりを掴みたいという一心だろう。レストレードの勢いに、男は面食らい、後退あとずさりした。

「し、知らねえ。なんか色んな話があってよ。よぼよぼのババアだとか、太っちょの男だとかよお……」

「メアリー、『ブラッディ・エンジェル』って聞いた事あるか?」

 ジョンは男から視線を切り、メアリーに振り返った。彼女はフードを深く被った頭を小さく横に振った。

 ――どこか奇妙だと、ジョンは思った。顔を見られないようにと注意したのは自分だが、メアリーの様子に、どこか怯えのようなものを見た気がした。


「分かった、もういい。協力に感謝する」


 レストレードは溜め息混じりにそう言い、男に背を向けた。しかし彼は慌てたように、

「待ってくれよ、旦那! まだいい情報を俺ァ持ってるんだって!」

 レストレードが詰まらなそうに振り返る。しかし男はそれを下卑げびた笑みで迎えると、再度金を催促した。

 レストレードは見極めようとするかのように男を見詰め――、否、睨み付ける。やがて大きな溜め息を付きながら、紙幣を一枚だけ男に突き付ける。しかし男は露骨に顔を曇らせた。

「これだけ? 旦那ァ、もうちょっと頑張って下さいよォ」

 ナメてんのか――と、思わずジョンが眉間に皺を寄せ、男に向かって一歩詰め寄った。それを敏感に察知したレストレードが、ジョンの胸を手で押して抑えた。

「それ以上の報酬に値する情報か否か、それは君の話を聞いた後に我々が判断する」

 断固とした声でレストレードがそう言った。男は渋い顔をしながらも、話を始めた。


「『ブラッディ・エンジェル』はどこかから来た。元々ここにいた訳じゃあない、よそ者だ。この街にいる連中はよそ者には鼻が利くから、すぐに分かる。皆、よそ者は嫌いだしな。自分の食い扶持を奪われるんじゃないかと冷や冷やしてるんだ」

 生き辛い世界だと、ジョンは素直にそう思った。その世界を生き抜いてきたメアリーを尻目に。

 そんな彼女は男に決して目を向けず、更には目を向けられぬよう、ジョンの背後に小さく縮こまっていた。

「もっと具体的な情報をくれ。家はどこなのか、どこで仕事をしているのか、とか」

「いやあ、そんな事を言われても……」

 男の曖昧な笑みを、レストレードは溜め息をもって返した。金を無心されるばかりで、役に立つ情報がいつなれば出て来るのやら……。


「ああ、そうだ。最後に自殺者が出たって噂の工場を知ってる。そこを調べれば、何かあるかも知れないですぜ」


「…………」

 レストレードは返事の代わりに、見定めるように男に目を立てた。一応――とばかりに、その工場の住所を尋ねると、男はしたり顔で更なる金銭を要求して来た。またも大きく溜め息を付いてから、レストレードは懐から財布を取り出した。


 最後に工場の住所を語り、嬉しそうに紙幣を数えながら去って行く男の背中をジョンが無為な面持ちで見つめていると、

「……さて、実のある話だったかね」

 レストレードは男の事など忘れてしまったかのような口振りだった。ジョンや警官達は口元に苦笑を浮かべた。

「どうでしょうね。天使の名の付いた怪しい奴がいると言うだけで、結局、容疑者が増えただけの気がしますけど」

 ジョンの言葉に、今度はレストレードが苦笑する。

「それらは全て手掛かりだ。我々は地道に、少しずつでもいいから、犯人に向けて進むしかない」

 そう言って、彼は足を前へと踏み出した。向かうは、男が口にした工場だ。


 男が語った工場は、屠畜場だった。しかし既に放棄されており、廃墟と化していた。機械類は手付かずだった時間を表すように、積もり積もった埃に埋もれていた。 

 床のところどころに放棄された肉片が腐臭を撒き散らし、鼻を刺すような刺激臭を漂わせていた。口元を裾で押さえながら、一行は腐肉を漁るネズミの群れを掻き分けて進む。

「警部……!」

 警官の一人が背割り機と呼ばれる解体機を指差して、レストレードを呼んだ。コンベアに吊るされた豚などを縦に真っ二つに割り、枝肉と呼ばれる状態へ加工する機械だ。彼の下に近付いたレストレードがサッと顔を青くするのを、ジョンは見逃さなかった。

「警部、どうしたんです――」

 ジョンがレストレードの顔色を訝しみ、彼に向かって一歩足を踏み出した。しかしレストレードは素早く手を上げ、ジョンを牽制した。

「来るな、見てはいかん」

 レストレードの視線は、解体機の真下にある何かに注がれていた。

 一体何があると言うのか――。ジョンはレストレードの制止を切って、彼と同じモノに目を向けた。

「……?」

 ジョンは一見しただけでは、ソレがなんなのか分からなかった。――否、違う。判明は出来ても、理解をしたくなかっただけだった。


 ソレはコンベアに吊るされた後に解体機に呑まれ、瞬く間に絶命した。その後、無惨にも床へと投げ出され、そのまま置き去りにされた。まるでゴミのように。まるでオモチャのように。


「Shit...」

 一体何が起きたのか、どうしてこんなことになったのかと想像すらしたくないと、ジョンは吐き捨てるようにそう言った。そして慌てたようにメアリーの下へ戻った。首を傾げて待つ彼女を、ジョンは少し乱暴にソレから遠ざけさせた。

「どうしたの……?」

「なんでもない、ここは空気が悪いから、外に出よう」


 ジョンが見たモノ。――ソレは人間の遺体だった。しかも、恐らくは子供の遺体。どうして子供が解体機に巻き込まれるような羽目になったのか。事故なのか、いやしかしコンベアに吊るされなければ、そんなことにはならないはずだ。悪戯だったとしても、自ら吊られるような事態に陥るだろうか。

 もしも事故ではなく、人の手による事件だとしたら……と、ジョンは最悪の状況を想像しながら、とにかくあんなモノをメアリーの目に映すわけにはいかないと思い直した。

 ジョンとメアリーが工場の外に出てしばらく待っていると、レストレード達も連れだって現れた。皆、やつれた顔をしていた。警官とは言え、あんなモノを見れば、無理もないだろう。


「警部、アレは一体……」

「……とにかく『切り裂きジャック』とは無関係だ」レストレードはこの日一番の重い溜め息を付いた。「我々が今、追っているのはジャックだ。この件はまた近い内に別件として処理する」


 切り裂きジャックは刃物で人を殺した。それに狙いは娼婦や監督者だ。一連の犯行と子供の遺体は結びつかないと、レストレードは判断したようだった。


 ジョンは遣る瀬ない思いを抱きながらも、レストレードに頷いて答えた。

「切り裂きジャックに繋がるような手掛かりは何かありましたか」

「まだ全てを調べ尽くしたわけではないが、あまりかんばしくなさそうだ。従業員名簿などの書類関係は持ち出されたか、廃棄されているようだしな」

「ということは、警部は金を無心されただけなわけですね」

 ジョンは重々しい空気を変えようと茶化してみるが、上手くいかなかった。レストレードと警官は苦々しい顔付きを晒して、また歩き始めた。引き続き、切り裂きジャックの犯行現場へ向かうのだろう。

 ジョンはもう一度工場の方へ振り返ってから、メアリーを後ろに連れて、レストレード達の後を追った。


 次なる犯行現場に着くや否や、警官達は気を取り直したかのように機敏に動き始めた。周囲に遺留品がないか捜索を始める傍ら、ジョンも悪魔の痕跡を探し始めた。

 犯行現場に残る血の跡、石畳を穿つ刃物の痕、流れた血が排水路へと向かった道筋……。ジョンはそれらの痕跡に触れてみたが、手首の傷跡に変化は見られなかった。


 そんな中でチクリと、うなじを撫でる痛みにも似た感覚。ジョンは素早く背後に振り返る。また視線を感じたのだ、今度は――そう、明確な「敵意」をまとった視線を。その瞳を持った者がどこかに遠ざかっていくのも、また感じ取った。

 今まで「色」を持たなかった背後の視線が、ここに訪れた途端、「敵意」を剥き出しにした。これは……と、ジョンは眉を寄せて険しい顔をした。

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